劣等感・みっとっもなくて毎日辛い
過去様々なトラブルがあってそのことが毎日頭のなかでグルグルと思い浮かんできて辛いです。
なぜこんなに毎日嫌なことを考えるのかと思った時、自分に劣等感やみっともないという潜在意識があってそのせいでなっているのかな?と思いました。
どうしたら劣等感やみっともない生き方をしていても前を向いて生きていくことができるのでしょうか?
失敗 大切な人に迷惑をかけたこと
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたを支えているものはなんですか?「今」を生きて!!
実は、私は生まれつきの脳性小児麻痺が抱えながら生きてきました。日常生活に不自由はありません。しかも、仏様の教えをいただいて生きてきたので、自分の障害を乗り越えて明るく生きていたいと思っています。でも一方では、物事に失敗したり、他人から批判されたり相手にされなかった時は、やはり障害のせいだと劣等感が襲いかかり、気分が落ち込む私です。とてもネガティブな性格です。ななしさんよりも年上の50代なのに、とても情けないです。
でも、ある時大きな発見がありました。お寺で続けている子ども会でお話をしている時の事です。その時のお話のテーマは「あなたを支えているもの」でした。この中身を紹介する前に、ななしさんにやっていただきたい事があります。コピー用紙の真ん中に「私を支えているもの」と大きく書いて、30秒ほど考えて、思いつくものすべてを書き出してみてください。どんなものが思い浮かびましたか?合計で何個になりましたか?
その時、子どもたちがつぶやいたものは合計で39個になりました。私は、子どもたちに「あなたは独りじゃないですよ。気づこうが気づくまいが、実はこれだけ多くのものがあなたを支えていますよ。だから、いつでもこのことを思い出して、精一杯生き抜いてくださいね」と子どもたちにエールを送るつもりだったのです。
そんなお話をしている最中に、私は気がついたのでした。(これは子どもだけでなく、私自身の事でもあるのだ!)と。障害があろうがなかろうが、またそのことを糧に出来る出来ないにかかわらず、(そのようなことはお構いなしに)実際にこれだけたくさんの人やものが今私を支えてくれている。これまでも支えてくれていた、という真実に触れた時、何かを感じました。そして、嬉しくなりました。
人間は、日常生活の中で全てのものが見えているわけではありません。自身が焦点を絞ったものにのみ関心が向いています。その他のものは見えていません。仏さまのご縁をいただくとは、日常とは違う広い視野をいただくと言い換える事が出来ます。ななしさんを支えているもの一つひとつをあげながら、それらの支えの中にある事をいつも思い出しながら、(辛かった過去ではなく)今を生きてみてください。
つぶやき上位10個:家族/友だち/阿弥陀さま/自分自身/学校の先生/太陽/ご飯を作ってくれる人/ご先祖さま/原始人/世界の人たち
質問者からのお礼
解答してくださりありがとうございました。
考えてみたところ私には6・7個しかありませんでしたが、支えてくれるものがあるのなら感謝しながら生きていこうと思います。
とてもためになる教えをありがとうございました。