去年母が旅立ちました回答受付中
母が亡くなって1年以上経ちますが、いまだに辛いです。
母が病気になってから亡くなるまで私が付き添い介護もしました。
私が病気になった時は母が付き添ってお見舞いにも来てくれました。
その時仕事をしていたにもかかわらず、仕事帰りに2時間半かかる病院まで来てくれました。
また救急車で運ばれた時も夜遅い時間にもかかわらず2時間ほどかかる病院にも来てくれました。
その時は夜遅いこともあって病院に泊まってくれた時もありました。
硬いソファーの椅子に横になって体も痛いのに寄り添ってくれました。
そんな優しい母がある日父に叩かれた、と知りました。
その時私は1人暮らしだったのですが、母から電話がありました。
叩かれた、と聞いた時は胸が張り裂けそうでした。
結局父とは離婚しました。
それで私は地元に帰って母と暮らし始めました。
毎日穏やかで楽しく生活をしていたのですが、
ある日母に病気が見つかりました。
がんでした…。
もう母も私も身も心もズタボロです。
訪問診療に切り替えて出来る限りのことをしようと介護を精一杯やりました。
日が経つにつれてどんどん弱っていく母を見るのは辛かった…。
だんだん病魔が体を蝕んでいくんだなって感じました…。
トイレから立てなくなることもあってその時は私がベッドまで運んだこともありました。その時は本当に心も体も辛かった…
あれだけ元気に遊びにも行って、仕事にも行っていたのに…
病気になる4ヶ月前までは元気だったのに…
こんなに弱くなってしまうのか…と
母の目が虚になってきた時には、もうほんとに怖かったです。
母じゃなくなってしまうんじゃないかと。
けど最後まで私のことをわかっていて旅立っだったので、母を介護できて幸せだったなと思います。
ただ一つだけ心残りがあります…
それは亡くなる1時間ほど前に必死に何かを伝えようとしてくれたことです。
何を伝えたかったのか、結局聞き取れませんでした…。
何を伝えたかったのでしょうか?
また亡くなって半年後に母の夢を見ました。
そこには変わらず笑顔で帰宅する母の姿がありました。
亡くなった人の夢を見るのは何か意味あるのでしょうか?
駆け足で旅立ってしまった母…。
心の準備も何もできずに旅立ってしまった母…。
母のいない人生に耐えられません…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「あなたが娘で良かった。愛している。ありがとう」と聞こえる。
プロフィールや前回の質問も読ませてもらいました。
お母さまは生涯をかけて、あなたを愛し守ってくださった人だったのですね。また、あなたの存在も、お母さんには生きる支えだったことでしょう。
夫からのDVがあっただろうと思います。思い通りにならなければ、尊厳を傷つけられて、心身を追い込んでいく。あなたも、そんな母を見てきたからこそ、お母さんを守りたかったし、大切だったのですよね。互いに支え合いながら、大事に大事に生きてきた時間だった。
なぜ、懸命に生きた母が、病に苦しまなければならなかったのか、幸せでいてほしかった、もっと一緒に生きたかった、そばにいてほしかった、会いたい……
お母さんの存在が、どれほど大きなものだったか。今でも悲しくて寂しくて堪らないですよね。
家族の中で、娘の存在が、ずっと一緒に生きてくれた。あなたの存在は、お母さんには希望だったことでしょう。
私には、「あなたが娘で良かった。愛している。ありがとう」と仰っていたように聞こえますよ。今も お浄土から、見守り微笑んでくださっていることでしょう。
感じたいですよね。お母さんを。夢でも、会いに来てほしいですね。
こうして、亡き人を偲び手を合わせることも、ご供養ですよ。
私もこちらから手を合わせます。
また一緒にお母さまの話をしましょう。
これからも、ずっと親子ですものね。
質問者からのお礼
「…ありがとう」ってやっぱり言ってくれましたしたよね。
そう思いたい、いえ、そう思います、私も…。
母は生前一度も「ありがとう」と言ってくれたことはなかったけど、入院中に先生に呼ばれて病院に行った時は「(来てくれて)ありがとうね。」って言ってくれました。
いまだに母の面影というか、介護していた時のことが思い出されます。
苦しかったけど、辛かったけど最後まで母に寄り添うことがで来てよかったです。
母は幸せだったのかな…。
寄り添うような回答していただいてありがとうございました。