健常に生きてきた方との差が辛い
私は生まれがとても小さく、その上麻痺があり、足が悪く、感覚が薄いです。(身体障害者です)
中学の頃から心理的虐待も受け、そのせいで適応障害になりました。入院もしました。身長も140cmに満たず、明らかに健常に育たなかったことが苦しいです。無くなった兄の名前も貰っていて、時折名前に縛られている感じさえします。
健常に生まれて健常に育った方たちと同じ土俵にすら立たせて貰えないこと、発育の差、価値観のズレが本当に苦しくてたまりません。
普段はそれらを封じ込めていますが、顔を出す度に死にたくなります。
妹は健常者なのですが、羨ましくて仕方がないです。なれないと分かっていても、どうしても健常になることを諦めきれません。どうしたらいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それぞれが自分の道をあゆむ
ご相談読ませていただきました。こういった心の重荷を抱えながら日々生きていること、言葉では表現しきれないほどの困難を乗り越えていることでしょう。
生まれつきの状態や育った環境があなたにとって試練であったこと、そしてその試練がどれほど深く心に刻まれていることか、お察しします。本当に辛い思いをされてきましたね。
「健常に生まれたかった」という思い、それは当然の感情です。周りと自分を比べることで生じる苦痛や孤独感、無力感、そうしたものが心を押しつぶしてしまうこともあるでしょう。特に兄弟姉妹に健常者がいると、その思いは一層深くなるでしょう。
あなたが抱えている「名前に縛られる」という感覚、それも大変な重荷ですね。ご兄弟の存在と共に生きる中で、自分のアイデンティティが感じられなくなることは、本当に辛いことだと思います。
まず第一に、その苦しみや感情を無理に封じ込める必要はありません。時には深く感じ、涙を流すことも、人間としての自然な行為です。そして、その感情を認め、受け入れることが、少しずつ心を軽くする第一歩かもしれません。
そして大切なのは、あなた自身が今まで本当に頑張ってきたということです。適応障害での入院経験も含め、数々の困難に立ち向かってきたあなたの姿は、何よりも尊いものであると感じます。その頑張りに自信を持ち、まずは自分自身を褒めてあげてください。
「どうしたらいいか」と問うその気持ちはとても大切です。答えは一つではないかもしれませんが、自分自身のペースで一歩一歩進んでいくこと、できることから少しずつ始めていくことが大事です。
例えば、日々の中で自分を癒やす時間を持ってみること、心地よいと感じる場所や音楽、香りなどを探し、それに触れることで少し心が安まる瞬間を作ってみてください。癒やしと安らぎを感じることが、次の一歩を踏み出す元気を生んでくれるかもしれません。
あなたの旅路は決して一人で歩むものではないことを忘れないでください。他人との比較は時に辛さを増しますが、それぞれが自分なりの道を歩んでいることを理解し、自分らしさを見つけていくことができれば、少しずつでも心が軽くなることを願っています。
辛いと感じたときは、どうか一人で抱え込まずに、信頼できる人やこのhasunoha頼って下さい。あなたの心の平穏と幸せを、心からお祈りしています。合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。心がすっと軽くなるような気持ちになりました。いただいたお言葉を見返して、明日も生きていこうと思います。重ねてになりますが、本当にありがとうございました。