幸せを数えられなくなりました回答受付中
過去の嫌な事、無くした時間(あったかもしれない幸せ)ばかり数えてしまいます。
最近、子宮の病気や腫瘍の検査等で落ち込んでいますが、それにしても私の人生には不幸が多いと感じています。
若い頃は母の虐待に悩み「どうせ世の中の役に立たない人間なんだから早く死になよ」と等と言われ続け。
姉が時代劇ごっことして私の手を縛り頭を押さえ湯船に突っ込むのを母は笑って見てました。
その母の介護を20代で終えて、死のうと思っていたところ主人と知り合い結婚しました。
その頃は人生やり直せるかも知れないと一生懸命でしたが、義両親の酷いモラハラと借金でめちゃくちゃになり、借金を押し付けられた主人は務めながら私と副業して何とか返済もしてます。。数千万
その果てに今回の病気です。
あの親元に産まれなかったら、心身共に真っ当に歩めたかもしれない。
結婚しなければ、せめて私にとって貴重な友人達と遠距離にならなかったのに。
贅沢を望んでるわけじゃないのだからお金に困るなんて事も無かったはず。
落ち着いた家庭を持てていれば子供も産めたかもしれない、家も建てられたかもしれない。
この思考でいっぱいです。
食べるのに困ってない、借家だけど大家さんと仲が良い、猫も居る、夫婦共通の趣味もある。
何が不幸せなのかと主人に言われます。
言いたい事は分かります。
無いものは無い、今ある幸せを見る方がずっと良いですよね、でもこの幸せの数え方が最近むなしく感じるんです。
多くの幸せ、大きな幸せを望んでる訳じゃないのに、一般的な幸せを感じる事が許されていないみたいで、その中の残された幸せを数えるのは涙が出ます。
猫が居るのも、今日もご飯が食べられるのも良い事ではあるけれど、私に残された最後の砦はこれか‥それすら危うい道の上に居るから、それを幸せに数えようとしてるんだろうと考えてしまいます。
私が贅沢なんでしょうか‥
例えるなら。
数人で一つのポテトチップを食べている時、私が食べよとした時には最後の袋に付いた粒だけ、それでも食べたんだから良かったねって言われてるみたいな気持ちでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せを感じて生きて下さいね
拝読させて頂きました。
あなたは本当ならば得られたであろう幸せを思うとつい辛くみじめになってしまうのですね。詳細なあなたのことや今までのことはわからないですけれども、あなたのその悲しみや辛さを心よりお察しします。
あなたがそう思うこともとてもよくわかるようには感じます。もしもああだったら、もしもこんな風に育っていたら、あんな風に生きることができていたら自分はもっともっと満足のいく充実した生活をしていただろうし、もっと沢山の幸せを手にしていただろうと思ってしまうのは当然かもしれません。あなたのおきもはとてもわかる様に感じますし、もしそうだったらと思わずにはいられないかもしれません。
ただあなた自身はあなたにとっては少ないと思えるかもしれませんが、いくつかの幸せをご主人と一緒に分かち合いながら生きておられるのも事実だと思います。
あなたにとっては満たされず不十分かもしれませんけれども、あなたのことを大切に思う方と一緒に分かち合い生きていらっしゃるのです。
わずかに蜃気楼のようなものかもしれませんが、あなたの今目の前にかけがえのない大切なご縁と時間があることをどうか少しでも実感なさり受け入れていきましょう。
あなたがこれからの未来も本当に大切な方々とのご縁に恵まれながら心豊かに幸せに生き抜いていくことできます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。どうかこれからも幸せを感じて生きて下さいね。至心合掌