ペット供養のお供え物について
質問を読んで下さり感謝いたします。ペット供養のお供え物についてご意見をお聞かせ下さい。
供養には「ペットの好きだったものをお供えしましょう」とよく言われますが、お肉やお魚が大好きでした。
しかしお供えするうちに「この牛の供養はどうなっているんだろう」「お魚の魂は供養されてるのかな」「肉と魚の切り身になってくれた命を供養せずにペットだけ供養するのは許されるのだろうか」と悩みが生じてきました。
人の供花だって花の命を奪っているのに花の供養をしている話は聞いたことがないし、細かい事を言えば人のお供えのお菓子に卵が使われる事もあるだろうし気にするのがおかしいのかな?と自分をごまかしてみたりするのですが
やはり仏前に供える肉や魚に対して居心地が悪く、供養とは何だろうと悩みが強くなってまいりました。しかしフードやお菓子をペットは食べなかったのでお供えしても喜ぶ顔が全く思い浮かびません。
いっそ肉や魚にもありがとう、頂きます、成仏して下さいとお祈りするのが良いのかとも思うのですが肉や魚の一切れにお祈りして大元の個体に届くのかどうか…
肉や魚に供養と言いながら写真なども飾らず言葉と気持ちだけで祈るのは自己満足なのではないか…とか
でも仏壇に見ず知らずの牛や魚の写真はシュールだよなあ…とか
そもそも魂になったペットに他の命の体をお供えしてペットは喜ぶのか?とか
毎日の自分の食事で供養云々考えた事もないのにこの感情はなんなのだろうとか
理屈を言い出したら何もお供えできなくなるのではとか…お供えする度に堂々巡りに悩んでいます。
便宜上ペットという言葉を使ってはおりますが心情的にはかけがえのない家族であり、人生最高の相棒であり、魂の一部と言っても過言ではないくらい感謝している存在なので大切に供養したいのです。
お坊様からのご助言をお願い出来ましたら幸いです。宜しくお願いいたします。
(もし動物や植物など自然界のために祈るためのお経や仏様がいらっしゃいましたら重ねてご教授頂けましたら助かります。)
好きすぎて逆に対象に迷惑をかけてしまう。例としてイモムシが好きすぎて自然界にいるのが一番と分かっているにも関わらず室内に連れてきて一緒に暮らしてしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な方や子に届きます様に
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃることもっともかと思います。動物も魚も花も命です、肉もお菓子もペットフードも命からできていますからね。あなたのお考え心より受け止めさせて頂きます。
それぞれ尊い命ですからないがしろにはできませんよね。あなたがお考えなさるように一つ一つ尊い命ですからね。私達もその命を毎日頂きながら生きながらえさせて頂いていますからね。
お供えをなさる時には亡くなった方が好きだったものをお供えなさればその方への思いが届くようにと願いお供えなさって頂いております。その方への感謝の気持ちや安らかにご成仏なさって頂きたい気持ちやこれからもずっとお見守りなさって頂きたい気持ちや悲しみやさみしさや再びめぐりあいたい気持ちもあるかと思います。
それらあまたの気持ちを供養のお布施としてお供えなさって頂きます。
ですから好きだったものをお供えなさって頂いて問題はないと思います。
また私達僧侶は日々あまたの命への供養の気持ちを捧げさせて頂いております。
三界万霊有縁無縁乃至法界 平等利益 と仏様に向かいおとなえさせて頂いております。
全てのものが平等に救われます様にどうか宜しくお願い申し上げます、という願いを込めて毎日毎朝おとなえさせて頂いております。
私は仏様ではありませんから詳細なことは分かりませんけれども、仏様は必ず全てのものをお救いお導きなさって下さいます。
あなたもどうか心を込めて大切な方々や子をご供養のお気持ちをささげて下さいね。
あなたのご供養なさるお気持ちが大切な方々や子に届きます様に心を込めて仏様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お供え物
イモムシックさん、ご質問ありがとうございます。
「ペットの好きだったものをお供えしましょう」というのは、一見その通りだと
納得してしまいますが、お供えって仏様に供えるのではないでしょうか?
肉や魚は確かにお供えにはそぐわないように見えます。
仏様に供えると考えると、お供えの品が、選びやすくなると思います。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様、
心のこもったお返事を頂き本当にありがとうございました。
自分でもなんだか理屈っぽい悩みかな?と思い投稿した事を少し恥ずかしく思っていたのですがこうしてご丁寧に私の気持ちを受け止めて頂いた事、
好きなものをお供えしても問題ないというお言葉を頂けた事で気持ちが楽になりました。
三界万霊有縁無縁乃至法界 平等利益 という言葉は初めて知りましたが、意味を調べて供養を悩む自分の胸にとても響くものがありました。
私もお供えをする時にはこの言葉と気持ちを一緒に供えます。
佐野はペットとも訪れたことがある思い出の土地ですので記憶の風が心に吹いたような気持ちになりました。
拙い質問にもかかわらず沢山の学びを頂きました。ありがとうございました!
藤堂尚夫様、
こちらこそ早くにご返信を頂き本当に有難うございました。
藤堂様からのご返信を頂き最初に気づいた事は、ペットの仏壇にはご本尊様がいないという事でした。
ペットのための仏様を調べると阿弥陀様や馬頭観音様というお話が多い様に思うのですが決まった概念は無い様で、私も一体どの仏様にどう祈ればいいのかと疑問に思いつつペットのためにお供えをしておりました。
そこで藤堂様から頂きました「仏様に供えると考えると」という言葉を元に、今はペットにお供えして、お供えした肉や魚の命に対しても仏様にお願いしつつ、自分に縁がある仏様との出会いを待とうと考えました。
ペットとの別れをきっかけに仏教の事を学び始めたのですが、藤堂様からのご返信からも大切な気付きを得られました。ご親切に心から感謝いたします。
お二方からのご返信を自分なりに考えて、目の前のお肉やお魚の命にも自分に縁があった魂として責任を持って感謝の気持ちを持つこと・お供えの後は頂いて自分の命として生き続けてもらえば良いのではと気持ちに折り合いをつける事が出来ました。
この度は本当に有難うございました!