いつかくるペットの死への恐怖
皆様にはいつも大変お世話になっております。
前回も似た内容の投稿をし、いただいたご問答のおかげで少し心が救われました。心境が少し変わり、また皆様のお力をお借りしたいとこちらへ来ました。
私は12歳の老うさぎ(人間年齢で換算すると90歳近く)と過ごしております。現在うさぎは老いによってかなり弱った状態であり、大好きだったおもちゃへの興味も食欲も無くなって魂が抜けているかのように虚ろな目で床を見ながらボーっとして過ごしていることが殆どです。
昨年も動物病院へ行くたびに老化や病気の進行の知らせが辛かったものの、「まぁ、うさぎの平均寿命をとっくに超えてるから弱っていくのは避けられないし仕方ないよね」とすぐに受け入れられました。しかし最近になって急激に老いて弱っていき、もう元気な姿には戻れないと悟ってから「今日が、明日が最期だったらどうしよう」「朝起きたら、帰ってきたら死んじゃってたらどうしよう」と毎日心配で明日が怖くて仕方ありません。仕事中も最悪の事態を想像してしまい、胸が痛くて集中できないです。
時が経つにつれ、今の状況にも少し慣れてきたため数日前よりかは気持ちがいくらか楽になりました。
それでも冷たくなって棺桶に入っている姿、火葬してお骨になった姿も見たくないし、うさぎがいなくなった部屋で過ごす未来も怖いです。
うさぎが自分自身の状況について悲観的になっていないこと、自分をことで毎日悲しむ飼い主を望んでいないことは分かっていますが、「死んでほしくない」と「これ以上弱っていく姿は見たくない、沢山長生きしたからもう無理しないで」という思いが交錯して常に心がいっぱいで疲れました。とにかく楽になりたいです。どうすれば良いでしょう。
社会人ですが実家で暮らしています。嫌なことがあっても大抵翌日には気持ちがリセットされているのが私の自慢です。どうしても一晩では解決できない悩み・不安・怒りがあればこちらで皆様のお力をお借りしたいと思っております。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生命はそれぞれの生命の絶対的な固有性を生きている
あなたはあなたの生命を生きています。
ウサギさんはウサギさんの固有の生命を生きている。
わたくしする思いをそこに持ち込んでしまうから苦しい。
ウサギさんはウサギさんで今の天地の摂理の生命の活動を全うされておられるのですよ。
うちのお寺は人が要らなくなったペットが捨てていかれてしまうことがありましてね。色々なイヌネコ🐔が捨てられていました。
私はペットという概念はこの世に存在しないと考えています。
人間は飼っているつもりでペットという呼び方をしてしまう。
そもそもそれが間違いだとある動物が私に教えてくれました。
その動物は私とはあまり仲良くない動物でしたが、時折散歩にも出かけました。
私が修行道場に行っている間に実家のお寺が引き取った犬だったので、私のことを家族だとは思っていなかった犬でした。
実家に帰ってくるたびに私を侵入者だと思って、よう吠えられたもんです。
ですが、生物、動物というものは、それぞれが自分の生命活動をやっているだけ。習性もあり、人間の生活とはまるで異なる寿命もまたしかり。わが命ですら人間の願いや望み通りにならない。言いなりにはならないのです。人間様はペットをかわいがる。同じ家族だと思うかもしれませんが、飼われる動物の側からすれば「それは、おい、人間のおごりだぞ。」と教えてくれています。
ある朝、師匠、師僧である父から呼ばれて、その犬が亡くなったことを聞いて埋めるのを手伝ってくれと。
一輪車に乗ったその犬は首輪が外されていました。
その時、彼が私に語ってくれたのは、自分は人間のペットではない、ということ。
ああ、この犬はたまたまわが家、うちのお寺で飼い犬として飼われていて首輪もしていたけれども、もともとは…。人間がこの世の自然を開拓して、人間だけの世界にしなかったのであれば、この犬は誰の犬でもなかったんだな。
首輪が外され、首輪をしていない状態のその犬の姿を見た時、ようやく人間の世界のおかしな縛られから解放されたという尊い姿がそこにありました。
外された首輪がたまたま「の」の字を描いていました。人間の、ボクの私の「の」が外れたような気がしました。
あなたが気にかけておられるそのウサギさんも同じなのです。
あなた「の」というみえない首輪を外してあげることで、お互いが自由になれて尊厳を尊重できるようになれるのです。
その都度アドリブ(即興)で対処すれば良い
「その時」は必ず来ます。
あなたが決断する必要はなく、向こうから来てくれます。
あなたはただ、その時に、その時のあなたなりのアドリブ(即興)対応をすれば良いだけです。
六根(眼耳鼻舌身意)に六境(色声香味触法)が入力されるままに、五蘊(色・受・想・行・識)が反応するままに任せれば何とかなります。
大槻ケンヂの楽曲で「あのさぁ」という歌があります。
その歌詞を検索してみてください。
「とにかくさぁ 俺は君が好きだから できることを 君は言ってくれりゃいい 空を飛べとか とんでもないことじゃなけりゃ たいがいは 俺はやってみせるけどね」
とあります。
うさぎの「その時」は、空を飛べとかとんでもないことではないので、あなたは必ず乗り越えられます。
だからあなたは入力を待つだけ。
眼耳鼻舌身意に入力された刺激にアドリブで対処するだけできっと大丈夫です。
追記
曲まで聴いてくださりありがとうございます。
質問者からのお礼
丹下覚元様
ご問答ありがとうございます。私もうさぎがまだ若くて元気だった頃に「ペットって人間のエゴだよね」と何度か考えたこともありました。
しかし飼育されるために改良された動物が野生で生き延びることは難しい。動物を家族として迎え入れることは良いことなのか悪いことなのか、答えは無いと思います。
12年間、うさぎを通じて「動物と暮らすことはその子の自由と自然のままの姿を奪う代わりに命の責任を取ること」と学びました。
「私たち」という未熟な人間から与えられたものが全ての生活の中で、沢山長生きしてくれた。老いと病で体がボロボロになった今も頑張って生きてくれている。本当に本当に感謝しなくてはいけません。うさぎとの残された時間も「私のペット」ではなく「預からせてもらっている大切な命」として最期まで愛情を注いで過ごしてきたいです。
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願誉浄史様
ご問答ありがとうございます。
大槻ケンヂの「あのさぁ」聞いてみました!私の生まれる前からある曲で、曲の雰囲気もちょっぴりレトロだーっ!とワクワクしました。
過去にうさぎを飼ったことがある同僚が話していました。亡くなったときはとても悲しかったそうですが、それを乗り越えて数年経った今は「こんな仕草するよね〜」「酷い飼い方してたかもね」と当時の楽しかったことも後悔したことも笑いながら話すことができるみたいです。
「その時」がいつになるか、わからないです。その時の判断は未来の自分に任せよう。「今の自分」は今の自分。目の前の不安は空を飛ぶとかとんでもないことではありません。と前を向いていきたいです。