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実家の菩提寺

回答数回答 5
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いつもありがとうございます。
私の実家の菩提寺は日蓮宗で、お仏壇には法華経を唱えております。
しかしながらこちらで質問させていただくにつれて、
般若心経のお話を聞いたり、禅のお話を聞いたりするようになりました。
このように宗派に関わらず仏教に触れても良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

カタチでなく、心で感じるもの

あおいろ様、はじめまして。日蓮宗の赤澤と申します。

私は以前北陸地方のお寺さまよりこのようなお話をうかがったことがあります。
「うちの寺の檀家は、御本尊に阿弥陀如来さまを祀っている」と。

お察しのとおり、日蓮宗のお仏壇に阿弥陀如来さまはお祀りしません。しかしそのお寺さまは何もいわず黙ってお勤めをされます。自分の心の中に日蓮宗の本尊があれば、それでよいと。

北陸地方は浄土真宗のお寺さまがとても多い地域です。そのお檀家さまも小さなころからこのお仏壇に手をあわされている、自宅の仏壇にお祀りされている本尊と菩提寺の本尊が違うことに違和感をもたれないこともそのお方の信仰なのです。先祖代々昔から拝んできたものを自分の代でかえることなどできない、というお気持ちを私どもは妨げることはできません。

仏教はカタチではなく、心で感じるもの。どうか心に響いた教えに触れてみてください。

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サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプ...
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まったく問題ありません。そもそも仏教は、普遍的道理への目覚めをもって、私たちが自縄自縛に陥っているところからの解放をめざすものであり、一部の宗派や人間のつごうによる束縛には妥当性がありません。生きて行く過程における縁はすべて、み仏との縁であり、気づくか気づかないかは自分自身のありようにかかっています。昨夜のNHKテレビ「ハートネットTV」において、印象的な発言がありました。深刻な家庭環境で苦しむ女子高生へカウンセラーが諭します。「自分が変われば過去も変わる。意味のある過去になる」。この考え方は、表面的には仏教哲学の基本的部分と異なっていますが、見知らぬ女子高生同様、小生の心へも深く降りて来た何ものかがありました。霊性へ響いてきた宝ものをきちんと把握し、醸成させ、納得の上、今後の人生相談に生かそうと思っています。仏法は、しなやかで、無限に変化向上してゆくものです。どうぞ、自在に、お救いを受けられますよう。合掌※詳しくはブログ『想いの記』内「過去は変えられる」をご笑覧ください。

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信仰の自由は憲法で保障されております。

 禅や般若心経に関わることは嬉しい限りです。大いに行って欲しいものです。遠慮はいりません。基本的に自分が癒されることしてください。人によっては坐禅かもしれませんし、念仏かもしれません、題目かもしれません。自分が合うことをしましょう。ただ、人が違うことをしていても自分と合わないからといって否定したり嫌悪感を持つなら、仏教に関わらないようにしてください。
 ただこのことが自分のブームに終わらないことを祈ってますが、苦しくなったら止めてもいいと思います。また、したくなったら、行えばいいのです。それを繰り返しながら、自分の中で色々考えることもあるでしょう。
 菩提寺はご先祖様が代々信仰してきたものでございます。自分の好き嫌いや迷いで信仰を止めないでこれからも守っていって下さい。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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実は妙法蓮華経と般若心経と禅は共通している

これらはそもそも異なるものではありません。
妙法蓮華経の示している中身は最終的には「いま、ここ、このこと」です。
お経はあくまで、レシピ、実践法ですから、宝のありかを示しています。
宝のありかはお経の方ではなく、「いま・そこ・そのこと」すべてです。
妙なる仏の法。レンゲのようにドロ沼から咲いて泥に着かざる心とは、人間の心の本来の性質。
その心を以ってこの世を観ればすべてが妙蓮華。
般若心経の後半部にギャーテーギャーテーとありますね。
それもまた角度を変えて同じことを示しているのです。
日本の禅の大宗師、道元禅師は、その師匠の如浄禅師とのやり取りの中で師の如浄禅師がつくった偈の真意を悟り絶賛されて見解を述べられています。
その問答が宝鏡記に記されていますので一度ご覧いただけると幸いです。

「風鈴の偈」
渾身似口掛虚空  この心身は風鈴のように全身が口に似て法の海に浮かぶ
不問東西南北風  どんな出来事や情報の風をうけてもそれを厭い嫌わず
一等爲他談般若  風邪を受けては等しく他が為に妙音を奏でて、それそのものを示している
滴丁東了滴丁東※ ていちんとんりゃん♪ ていちんとん♪

この最後の風鈴が鳴り響くさまを如浄禅師は、我々が日常体験しているすべての出来事ととしてあらわしています。
ギャーテー…というのも、この音※に通ずるものです。
わたし共の目の前に常にある一切が、チリンチリンであり、ギャーテー…の示している❝真実❞なのです。
風鈴の鳴る音がチリンチリンとなるように、我々の現実には、いつでもそのものがそこにごろんところがっているではありませんか。ちなみに私の今の目の前には扇風機がびゅぅぅぅ…と般若を談じ、コオロギたちがリーンリーンと般若=妙法=妙音(真実)を奏でています。
摩訶般若とは仏の素晴らしい知恵がこの世のどこかにあってそれを会得すると悟るような図式であると多くの方は思っています。
ギャーテー…の訳も「往けるものよ、往けるものよ…云々」と訳されているものが多いですが、禅宗風には、それは理屈で誤った解釈であると思っています。
妙法蓮華経とは、真実を知る智慧、すなわち妙法蓮華心。
摩訶般若波羅蜜とは智慧の意にして、既に彼岸、真理に到っているという意味です。
禅というは、今万人がふれている眼の前の事、それと等しくなるさまを禅というのですからみな共通しているのです。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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仏教全般をバランス良く学ぶこと

あおいろ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「宗派に関わらず仏教に触れても良いのでしょうか」・・はい、誠に構わないことで、むしろ重要なことでございます。

仏説は、「八万四千の法門」と言われますように、膨大な教えがございます。そのため、ほんの一部分の教えだけを取って、これが正しい、あれは間違っているとは一概には言えないところもございます。そのため、安易にこの宗旨の教えだけで良い、この考え方、この解釈だけで良いとは思われずに、できるだけ仏教全般をバランス良く学ぶことをお薦めさせて頂いております。

そして、その中で、慎重に吟味して合理的なる検証も繰り返して、納得して受け入れられるものは受け入れ、どうしても納得して受け入れられないものは受け入れないようにしていくという姿勢も大切なことになるのではないかと存じております。

また、仏教は実践思想哲学的な側面も強くございます。学んだことを実践して活かす中で、更に学びと実践の修習を平行して進めていくことが必要となります。

また、下記各問いの拙回答も色々とご参照頂けましたらと存じます。

問い「なぜか一つに決められないんですが・・・・」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002969128.html

問い「宗派にとらわれない仏教思想の学び方について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002944760.html

問い「貴方が「この教えは現代に合わない」と思った事を教えて下さい」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002902054.html

拙回答カテゴリー「各宗派の教えについて」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319881.html

是非、共に頑張って仏教を学び進めて参りましょう。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

遠藤住職様、ご回答どうもありがとうございました。まったく問題はないということで、安心いたしました。実は、私は以前からご住職のブログを拝見していましたので、今回私の質問に答えていただき、ありがたい縁を感じております。現在、自分の過去のすべてを悔いておりますが、善行をできるかぎり重ね、自分を変えることができるようにと日々努めていきたいと思います。

大鐵様、丹下様、赤澤様、皆様ご回答ありがとうございました。仏教の様々な教えに触れ、少しでもまっとうな人間に近づけるように努めていきたいとおもいます。

「仏教宗派について」問答一覧

私の仏教の修行に対する不安

拙い日本語をお許しください。私は外国人です。私は30年ほど前から仏教に興味を持っています。しばらく前に、正式に真言宗の在家信者になりました。私は高度な密教の儀式を実践する資格を持っていませんし、僧侶でもありません。しかし、平信徒には毎日の勤行の儀式があります。私は様々な真言や祈り、般若心経などを唱えることを求められています。 私は、善良で勤勉な在家仏教徒になりたいと思っています。近年、私は法然上人、親鸞聖人、浄土についてよく読んでいます。これは私を強く感動させました。私は心の中で、ただ弥陀仏に身を委ね、念仏に頼るべきだと思うようになりました。在家信者として仏教に貢献していますが、自分は弱くて罪深いと感じています。私のような者には、シンプルな修行や念仏の方が適しているようです。 真言宗の方のご機嫌を損ねないようにしたいと思います。真言宗在家信者として修行する機会を与えられたことには深く感謝しています。 しかし、毎日の勤行の儀式については疑問と倦怠感を感じています。この修行をやめて、ただ念仏を唱えることはできないのでしょうか?それとも、一生、毎日、真言宗の勤行の儀式を続けなければならないのでしょうか?最終的には、個人的な感情に関わらず、必要なことは何でもしたいと思っています。しかし、私の気持ちは強力です。不安と恐怖を感じているので助けてください。

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子供の供養のことで悩んでいます

娘の供養 これでよかったのだろうかと悩んでおります。 ご指導ください。 (経過) 若い頃(約50年前)生後3ヶ月の娘を亡くし、親戚の人にお坊様を紹介され葬儀を行いました。家が真言宗だったので真言宗の仏壇を購入し、娘の位牌を収めました。また、公営墓地の永代使用権を取得し、お地蔵さんを建てて納骨供養をしております。 娘が亡くなって1年後に私どもは転居し、そのお坊様との付き合いもなくなりました。その頃やっと気がつきました。そのお坊様が浄土真宗の方で、我が家の宗派(真言宗)と異なること、法名・戒名が異なることに。 その後転居先で真言宗のお寺様を探すのを怠り、現在までお付き合いしているお寺様はありません。毎年お盆になると家族みんなで仏壇の前で「般若心経」をあげ、その後墓参りに行っていますが、僧侶によるお勤めや回忌法要などは営んでおりません。 最近、浄土真宗と真言宗では教義が大きく異なることも知りました。 気がかりな事がございます。ご指導ください。 (仏壇のこと) 我が家の宗派は真言宗です。 現在、真言宗の本尊が祀られた仏壇に浄土真宗で葬儀された娘だけが祀られており、位牌、過去帳には「釈尼○○」と記載されています。現在もお付き合いしているお寺さまはありません。将来私ども夫婦が亡くなったときは真言宗による葬儀・供養を考えています。 ①真言宗の仏壇に浄土真宗で葬儀・供養された娘を祀ることは問題ないのでしょうか。 ②将来私ども夫婦がなくなったとき、真言宗の仏壇に真言宗と浄土真宗の仏が祀られることになりますが、宗派による教義の違いは問題ないのでしょうか。 ③お盆などに真言宗のお坊様にお参りしていただいたとき、娘も供養の対象としていただけるのでしょうか。 (仏壇でのお勤め) 大日如来像に一礼し、お大師様の掛け軸に一礼し「南無大師遍照金剛」と唱え、娘の位牌に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えています。 「南無阿弥陀仏」は、娘の冥福を祈る気持ちが言葉になったもので、特に宗派を意識したものではありません。 ①真言宗の仏壇で「南無阿弥陀仏」を唱えてもよろしいですか。 ②お盆には、仏壇で「般若心経」をあげてからお墓参りに行きますが、問題はありませんか。浄土真宗では「般若心経」は不要、教義と矛盾すると言う方もおられますが。 よろしくお願い申し上げます。

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曹洞宗と日蓮宗。善い行い悪い行い。

以前、仏教とは?と質問させていただいたものです。沢山の回答がありまして、その中に仏教とは善い行いをするためにする事とあったので、善い行いを心がけてますが、毎日仕事をしていて、雑草を抜いたり、害虫を殺したりしています。お客様や職場の人は喜びますが、これって仏様からみたら善い行いなんでしょうか?また、私の友人の住職は善い行いをするのではなく慈悲の心でする事瞑想をとうして、仏様が私の心になる。とおっしゃっていました。心が瞑想すると第4図という好き嫌いの心から、慈悲の心になるそうで、例えば誰かに刺されたとしても心は穏やかなままになるそうです。その方は曹洞宗です。友人にさそわれ私が信仰していた日蓮宗系なので、お経を毎日あげる事で先祖が喜んで力をかしてくれるという教えでした。わたしは今はお金がかからないので曹洞宗のお寺に行ってますが、日蓮宗が間違えではないと思うので、曹洞宗のお坊さんが読んでる般若心経を譲ってもらったのでそれを毎日よんでます。日蓮宗が間違ってるとは言わないですが、その団体の独自の解釈で抜粋されたお経はスッタニパータ読む限りではずれているので。本物の日蓮宗のお坊さんとは出会った事がないので、自動的に私は曹洞宗になってしまったというか檀家なのでお墓は曹洞宗のお寺なので、わざわざ、変える必要もないというか、遠くてお墓参りにいけないんならいくら日蓮宗のお寺さんにしたいといっても先祖も自分も喜ばないと思います。うちの近くの曹洞宗のお坊さんいいかたですが、日中ずーっと瞑想して座ってるだけの日もあるんそうなんですが、日蓮宗系のお坊さんからしたらお経も読まないで何してんだ感じだろうけど、そのプロセスの違いだけなんだと思います。何を信じたらいいかわからなくなる時もありますが、慈悲の心になればいいし、先祖も大切に生きていきたいです。

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亡くなった妹に自宅で出来ること

はじめまして。 あまりにも早すぎる妹の突然の死から一週間が過ぎようとしています。 妹は昨年病気がわかり闘病しておりました。一旦治療が終わり良くなったかの様に思われましたが、今年に入り2月頃から体調不良を訴え治療しておりました。 しかし、良くなる所か悪くなる一方で先日話も出来ないまま逝ってしまいました。 妹には夫と息子が1人おり、位牌や遺骨は妹の自宅に現在あります。 離れているため頻繁に行くことはできません。 また、あちらの家族とは親交が少なく行きづらい状態です。 義弟のせいで妹は体調を崩し、病気にまでなってしまったのだと思われるような日記も出てきました。 そんな人たちの所には行きたいともおもいません。 父や母も妹を失った悲しみが強く、いつも妹に話しかけるような仕草をしています。 妹を思い出しては後悔ばかりで涙がとまりません。 現在、自宅には祖父母の仏壇があり毎日手を合わせています。 こちらには妹の位牌も遺骨もないわけですが、妹に毎日手を合わせたいです。 写真を飾るのも良くないのでしょうか。 写真を飾る場合はどこに置けばいいのでしょうか。 私たちはこれからどのようにしていけばいいのでしょうか。 アドバイスがありましたら教えてください。 よろしくお願いいたします。

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葬儀で宗派を選ばせて頂いたのですが

お坊様方には大変失礼な相談になってしまうと思います、 申し訳ございません。 2月に母が亡くなりました。 葬儀の打ち合わせで宗派を聞かれたのですが、わからず。 遠方に唯一の父方の叔父がいるのですが、闘病中で確認取れず。 以前両親が元気だった頃に聞いたことがあったのですが、 2人とも「わからない」との事で、そのままにしてしまいました。 メモリアルパークに両親がお墓を用意していたので 電話して聞いたのですが、 「宗派の欄には何も書かれていなかった」との回答で。 斎場の方は「ご家族で相談して宗派を選んでくださって良いですよ」 との事だったので、 兄が以前読んだ浄土宗関連の本がとても良かったと話していたので、 浄土宗でお経をあげて頂きました。 葬儀が終わり、ふと実家の父方の祖父のお仏壇を見たら 真言宗でした。 (無知でお恥ずかしい限りですが、お仏壇を用意する段階になって 宗派によって御本尊様も違う事を知りました・・・) 祖父は父が子供の頃に離婚していて、離婚後は祖母の名字になり 母と私達兄弟は、お棺の中の祖父が初めての対面でした。 亡くなった祖母も、父も叔父も祖父を嫌っており、 特に祖母と叔父は 「葬式はするけど仏壇や位牌を持ちたくない」と言っていたので 私の母が祖父を連れて帰りました。 その後は父も兄も私も、母にまかせっぱなしでした。 祖父のお墓があるのかどうかもわかりませんし、 祖母のお墓も遠方なので何処にあるかわかりません。 このような状況で、宗派がわからないのに 浄土宗でお経をあげて頂いた事は失礼だったのでしょうか。 母は穏やかに過ごせているのでしょうか。 家族は浄土宗でお経をあげて頂いた事を感謝しており、 朝晩、南無阿弥陀仏を唱えていますが 阿弥陀様やお経をあげて下さったお坊様にも失礼なのかと、 母は大丈夫かと、今さらながら不安になっています。 祖父と祖父の先祖代々のお位牌が実家にあるので、 数日おきに行って手を合わせていますが このまま祖父のお位牌を誰もいない実家というのも気になります。 宗派が違うお位牌を同じ部屋というのは良くないでしょうか?

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