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死にたくなってきました②

回答数回答 1
有り難し有り難し 3

→①の続き

③交友関係
  いつも奢ってくれる友達の話なんですけど、その友達はいつも私の事を
  馬鹿にしてきます。
  その内容が軽い物ならば私も笑って受け流せるのですが、その内容は自
  分にとってはとても重く笑って受け流せる様な物ではありません。
  特に今日のなんて酷いです。メールでなんですが、私が『なんで弄られた
  くないのに弄る(馬鹿にする)の?』と聞いたら、『知らん』と言われ『自分の
  事なんやけん答えれるやろ、友達なんやろ』と言うと相手は『お前なんか
 友達じゃねーし』と言われとても傷つきました。
  相手はいつも「ダチやろ?」とか「友達やけん隠し事は無しやろ」とか言っ
 てくる癖に私に対してはこの仕打ちです。余りにも酷過ぎると感じました。

④家族関係
  今私の家はお母さんと別居していてお父さんとお父さんのお母さん(つま
  りお婆ちゃんですね)と暮らしています。
  それで、酷い・・・、と言うよりも嫌だなと感じる部分は寝る時に「もう寝る
  ね」などの声掛けをしてくれない。
  前まではよくしてくれていたのですが、最近になり声掛けをしてくれず部屋
  を出れば真っ暗になっていると言う具合で一緒に暮らしているのにとても
  寂しいです。
  自分の部屋に篭りっきりと言うのも悪い事だとは感じていますが、ここまで
  会話が無いと自分の部屋に逃げたくなるものです。
 そして次に別居しているお母さんの話なのですが、このお母さんは僕が
  何か悩みを話しても「がんばれ」や「気にするな」などの役に立たないアド  バイスをしてくるお母さんなのです。
  私は話を聞いて共感してくれる方がよっぽどありがたいのですが、何故か
  いつも励まされます。
  もうお母さんには何を話しても無駄だなと思いながら今日の帰り道(バイト
  帰り)をすごしていました。

→③に続く


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

友達にも、親にもちょうどいい「距離感」がある。

彼は気づいていないでしょうが、彼にとってアナタは重要な聞き手、居てくれることで支えられているのです。自分が優位に立ちたがる。これは彼の弱さなんです。
あなたを小ばかにして自分があなたより優位に立とうという気持ちがあるのです。
だから彼もあなた同様、打たれ弱いのです。
あなたが反論して「どうしてそんなことをするのか」と言ったから、自分の優位性を保つために敢えて強く出るのです。自分を守るのに必死だからです。
彼の弱さを理解してあげる度量があるなら、今後も一緒に居たらいいと思います。
ですが、対等に、です。対等であろうとして、相手がそれを嫌がるなら「オレはお前を尊重してきたけど、お前は俺を尊重しないから、今後付き合うのはやめるわ」と彼の反応を見届けてみてください。
またしても強気に出てくるようでしたら、それも彼の弱さゆえの強がりです。

あなたから声掛けをしてください。親御さんは、別居によって心が沈んでいるのです。
自分が社会的に少々道はずれな事をしていることにうしろめたさを感じているとも思います。
ちなみに世の中のトオチャンというものは愛情表現が下手。
愛情を与えているつもりでいるのです。あなたも男友達とはうまく褒めたり、感謝の言葉は言いづらいでしょう。男同士というのは何となく空気、風、背中、温度で語らっているものなのです。
でも、寂しい時は「寝る前のおやすみくらいはしようよ」と食事の時に提案、お願いしてみましょう。
相手を責めるのではなく「オレはこうしたいよ」と提案、お願いすることでお父さんはきっとわかってくれます。3回は言ってみてください。
お母さんは、本当はあなたと暮らしたいのです。でもそれが事情があってかなわないのでしょう?
あなたの事をもっと話すべきです。
「オレ困っているんだけど」と目をみながら訴えてみてください。
お母さんもあなたにちょっとした後ろめたさがあるのです。本当だったら、ずっとそばに居てあげたいものです。ラインやメールでもイイですが、なるべく通話をしましょう。
つながりがある事が大切です。家族というのは、空間的に別々でも一応はつながっているものです。あなたはお母さんの子供であり、お父さんにとっても子供です。
あなたが親御さんに「なんかこうしてもらいてぇな」と思うのは本心ですから、包み隠さずソフトに伝えることを大切にしてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

私は丹下さんのアドバイスを心に置き、昨日その友人と遊んでみました。
そして感じた事はこの人は僕よりも優位に立つ事で安心感を得てるのかなと言う考えに至りました。
この人に関しては苛々する事が多々ありますが、もう少しこの人と付き合ってこの人との付き合いを続けるかを判断したいと思います。

余り親と話すのは得意な方ではないのですが、もうちょっと頑張ってみて親と話してみたいと思います。
私は心配をかけさせまいとあまり悩みを話していなかったのですがもう少し話して距離を縮めてみたいと思います。

ありがとうございました。

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