正解の生き方が知りたい回答受付中
見ていただきありがとうございます。
軽く自己紹介させていただきます。
27歳男性で実家暮らしで交際歴などはありません。
現在映像職の仕事はしておりますが以前からロクに続かず収入も低く...まあ所謂弱者男性と呼ばれる人物です。
言い訳にはしたくないのですが、発達障害や鬱病など様々な物を患っています。
お坊さんと言えば人生の正解などを知っているのでは無いかと思い投稿させていただきました。
次に前提となるような私の過去を話させていただきます。
私は仕事、趣味など人生全ての場面を振り返ると無能だったなと強く思います。
幸い27にもなる私を4万円程度で家に住まわせてくれる母親がいる点は幸運なのですが、酷く申し訳ない気持ちです。
両親はやさしいのですが、職場や学校では「お前は本当にダメだな」「バカ」「ポンコツ」このような言葉を投げかけられて謝るかヘラヘラするばかりです。
そして家に帰れば思い出して自己嫌悪で命を終わらせたくなる...というよくあるパターンです。
そんな私でも仕事をデータ化して効率をあげて最近ですがようやく人並み一歩手前ぐらいまで働けるようになりました。
ですがここ最近データを取り扱った事により死にたいという気持ちを細分化して調べていく中で強い疑問を抱いているのです。
人生において正解となる行動はあるのでしょうか?長くなりましたがコレが質問です。
これは何も毎日コレを食べてこの仕事をして...という細かい所まで指示が欲しい訳ではありません。
例えばですが、生きているなら最大限他人のために親切にしよう、コレを目標にしようという人類に共通する正解の行動が無いかと思ってお聞きしています。
ですが、命を絶つことが正解、給料を全て募金すると言われても実行はできない事は申し訳ございません。
無能な私でも理解できる正解の行動がありましたら教えていただけると幸いです。
生きる価値が無い私にどうか救いをください。
どうかお願いします。
生き方がわかりません。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
正解であろう方向を目指しましょう
これは非常に深く、また切実な問いですね。そんな問いをハスノハに頼ってくださって、ありがとうございます。
まず最初に、あなたは決して「無能」でも「生きる価値が無い」わけでもありませんよ。ご自身を深く見つめ、苦しみながらも、なんとか状況を改善しようと努力し続けてきたのではないんですかね。映像職の仕事でデータを活用し、効率を上げて人並み一歩手前まで働けるようになったというのは、並大抵の努力ではありません。その粘り強さ、そして探究心は、むしろ尊い才能でしょう。
ご質問の核心である「人生において正解となる行動」については、結論から言えば、残念ながら存在しないというのが仏教の教えですし、私の考えです。
なぜなら、人それぞれ生き方も環境も成り立ちも条件が全て違うことで成り立っているからです。他のものとの関係性によって変化していくというのが世の中の真理です。
あなたの現在の苦しみや、抱えている病も、過去の様々な縁と心との関係性の中で生じていますので、「こうすれば全てが解決する」という一本道は無いのですよね、残念ですが。
ですから誰かの正解があなたの正解でもないし、あなたの正解が誰かの正解でもないのですよね。
だからあなたの懸命に生きるていけることが「正解」なんだろうと思います。
正解であろうと思う方向を「目指す」でいいのではないでしょうか。
そんな中で、どうしても「正解という行動を示してくれ」言われるならば、
まず第一に「努力した自分」を褒めてあげてください。そして、「頑張っている自分」をねぎらってあげてください。「成長している自分」を賞賛してあげてください。
第二にお母様への感謝を形にしてください。
形にすると言っても、ものを買うのではないですよ。
「ありがとう」の気持ちを込めて言葉にしてください。
お母さんが喜ぶことはなんだろうと考えて行動してみてください。
まず一番身近な人喜ばせるのが「正解の行動」第一歩ですからね。
そして、第三に目の前のことに全力で取り組むということではないかと思います。
少しずつでも成長していくのが人間です。
他人と比べることなく、人の言葉に振り回せれることなく、焦らずゆっくりとあなたのペースで過ごしてみてください。きっとそれが正解に辿り着く方向だと思いますよ。
正解の生き方はあります
正解の生き方はあります。
釈尊(お釈迦様)は次のように語っています。
「すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、──これが諸仏(しょぶつ)の教えである。」
この教えは仏教の世界では七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ、釈尊と釈尊以前の六人の仏が共通して教えた偈)として知られ、仏教思想を要約したものともいわれます。
七仏通誡偈をめぐってはこんな逸話があります。
唐代の有名な詩人、白居易が、師匠の道林に仏法の大意を尋ね、道林はこの七仏通誡偈を教えます。
白居居が「そんなことは三歳の子供で言うことができるでしょう」と話すと、道林はこう答えます。
「たとえ三歳の子供が言うことができても、八十歳の老人になっても行うのは難しい」
私が僧侶になって七仏通誡偈を学んでからは、日々、この教えを実践するよう心掛けています。
正解の生き方というだけでなく、幸福への近道だと確信しています。
あなたが具体的にどんな仕事をなさっているかわかりませんが、それが社会のためになるものであり、誰かを喜ばせるものであるなら、あなたは正しい生き方をしています。
職場で酷い言葉を投げ掛けられ、謝るかヘラヘラしていても、怒って誰かを傷つけることがないのなら、それは正解の行動です。
この教えがあなたの心の拠りどころになれば幸いです。
四諦(したい)が仏教の基本
お釈迦様が悟られた後に最初に説いた教え(真理)は四諦と八正道(はっしょうどう)だと言われます。
ウィキペディア参照。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6
お釈迦様は、苦の原因を消せれば苦が消えるという因果関係を発見されたのです。
また、日常生活においては、苦・無常・無我(空)を知った上で、悩み苦しみの原因は煩悩(欲・怒り・怠け・プライド等)であると気を付けましょう。
また、煩悩に由来する妄想雑念、特に、過去や未来や自分や他人に関してあれこれ思いわずらうことが悩み苦しみストレスの原因になると、気を付けるようにしましょう。
上記のようなことを一応理解した上で、五戒を意識してみたり、ヴィパッサナー瞑想等をやってみるのも良いでしょうね。
また、慈悲喜捨の四無量心を意識してみるのも良いです。
要は、仏教における「正しい」とは、自分と他人の悩み苦しみを軽減するために役立つ生き方であり、それを仏教では「善」ととらえ、その反対の生き方を「悪」ととらえます。
正しいこととは
拝読させて頂きました。
あなたが人生を生きるのにあたって正解とは何だろうと思い悩んでいることを読ませて頂きました。あなたがそう思っていることはとても尊いことだと思います。何げなく過ぎていってしまう人生において生きる意味や目的や正しさを求めることはとても有意義なことだと思います。あなたのそのお気持ち心より受け止めさせて頂きます。
仏教とはそのように生きる正しさを求めて実践していくことかと思います。ぜひあなたが正しいと思うことを心から学び信じてこれからの人生で実践なさっていって下さいね。あなたを心より応援させて頂きます。
仏教の教えは沢山ありますからなかなかこれだ、と一概に言い切れないところもあります。
ムリを承知で簡潔にいえば、「七仏通誡偈」という非常に短いお経があります。
正しい教えのエッセンスだと思います。
諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
意味は
全ての悪をしないように心がけ
あらゆる善きことを進んで行い
自分の心を清らかしましょう
それがあまたの仏様の教えです、仏教の教えです
という意味です。
多少抽象的な言葉であるとは思いますが、とてもわかりやすい教えであり正しいことです。子どもでもわかかる教えですからね。とはいえ実践していくことはとても大変です簡単ではありません。ですから人生をかけて行っていくことがとても大事ですし、本当に生きることの価値や意味や目的になっていくことです。
いかがでしょうか?
少しずつ心掛けながら実践なさっていって下さいね。至心合掌