だらけた娘の生活習慣について回答受付中
小学5年生の、11歳の娘について悩んでいます。
朝は目覚ましをかけていても一度も自力で起きられず、私と夫がうるさく何度も声をかけて、不機嫌な顔をしながらようやく朝食を摂って、不満を垂れつつ毎朝登校しています。
帰宅すると友達と遊ぶか、そうでなければ家で動画作り、お絵描き、漫画、ゲーム、動画視聴に耽り、低学年まではろくに勉強せずとも好成績だったのが高学年になった今では成績はだだ下がりです。
夜は9時に寝なさいと私、夫がうるさく言ってもやはり上記で遊んで夜更かし、この調子なので朝起きられるわけがなく、朝もイライラするのは当然です。
娘だけでなく皆、朝は眠いです。けど皆、同級生たちは眠い目をこすって学校で勉強しています。私も在宅ですが絵を描く仕事をしていますので、夫と娘を送りだしたあと、眠い目をこすって仕事しています。夫も朝5時に起きて、私と娘を養うために朝早くから夕方遅くまで仕事しています。他のご家庭もおそらくそうでしょう。
さらに娘は、仮病を使って学校をずる休みすることを覚え、娘に甘い夫は簡単に学校を休ませてしまいます。
確かに娘は、私がお腹を痛めて生んだ子です。ですが娘はもう生まれた日から既に娘個人の人格を立派に持った個体です。私が娘の人生にあれこれと口出ししていい権利はありません。親の役割は、子供が命に関わる袋小路にはまった時に手助けすることと私は思っています。
娘は将来、YouTuberになりたいと言っています。成長すれば変わるでしょうが、やるべきことをきちんとやれておらず、怠け放題では、そんなものかなうはずありません。
娘に甘い夫は、娘にねだられればゲーム機、漫画本、スマホ、PC、なんでも買い与えてしまうので、それは止めてと言っているのに聞いてくれません。ここも問題と思います。
娘は私の子ですが、生ぬるい馴れ合いをする気はありません。今のうちにだらけた心をどうにかしてやらないと、将来ホームレスにでもなります。けどそれも娘が望む人生なら、私も夫もどうかしてやる必要はないでしょう。
けどたった11歳で、こんなにだらけていていいものか悩みます。
娘をコントロールはしませんが、どうしたら娘は少しでも、自立した人間になってくれるのか、どなたかお知恵をお貸しください。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
娘さんの話を聞けていない
相談文を読んで率直に申し上げますと、
『子供も一個人』だとか、
『毒親と呼ばれたくない』だとか、
そういう思いが強くて娘さん自身に向き合えてないように感じます
YouTuberが無理だと思うなら、まさに今から実際に動画を作らせてみればよいでしょう
あなたも一緒に動画を作って、娘の夢に本気で向き合って見てください
だって
『いつか成長したら目を覚ますでしょ』
なんて態度の親から、何を学べるって言うんですか?
それくらい、子どもだって気づきますよ
我が子が赤子だから強く感じる私の個人的な考えとして、子どもは人ではありますが、まだ人間ではありません
人間とは人同士関わりの中で生きる者たちのことであり、人間になるには親が一定のコントロールをする必要があります
『挨拶をしなさい』
『姿勢を正しなさい』
『順番を守りなさい』
『安全を確認しなさい』
3歳の時にはこんなことも親がコントロールしないと出来ないのです
11歳にしても同じです
自分が11歳の時を思い返して見てください
知らないことだらけで、何をやったらどうなるのかなんてほとんどわからなかったはずです
自立とは、確固たる躾が骨になってこそ自分で立てるのです
人間、知らないことはできません
親が『これが必要だ』と思うことなら、それは教えなければ出来ないのです
“なぜ”学校に行くのか
“なぜ”勉強するのか
“なぜ”安易に物を買い与えてはいけないのか
“なぜ”怠惰に過ごしてはいけないのか
『当たり前でしょ』『常識でしょ』という言葉に逃げていませんか?
ちゃんと本気で言葉にして、あなたがなぜそう思うのか、自分の考えでご家族に話してみてください
だらけたいと望むようになった
ご無沙汰しております。先日の、「中学進学」の件は、その後どうなりましたでしょうか。娘さんが「だらけている」ということですが、それには原因があるのでしょうね。
あなたのご質問には、「私は悪くない」という姿勢が一貫して見られますが、現在、その辺りは如何でしょうか。つまり今回であれば「この問題は、夫や娘が悪い。私は問題ない」とお考えですか?
であるならば…この問いには意味がありませんね。相談すべきは夫であり娘さん本人。ここで質問をおこされているのは、「私の行動も現状の一因である。私にも責任がある」とお感じだからですよね。
あなたは過去の質問で、学校や教師への辛い思い出から、今の学校や教員にも不信感を表していました。それを聞いていた娘さんは、ある意味素直に「学校とか教師は信用に値しない」と受け取ったのではないですか?
だから学校よりYoutuber。クソ真面目に学校で学ぶよりも、そっちに価値がありそうだと、自分の道を探して歩き始めているように見えますよ。
ただ仏教では、そういう極端な道は勧めません。中道…中途半端な、その時判断の連続が良いと言うのです。
一貫性がない、だからこそ責任を自分で負うのです。「私の恨みを引き継がせて、歌を歌わせない」も「別の人格だから手出ししない」も極端です。
今まさにあなたは、ご自身の極端さにお気づきになり、質問をされているように、私は見ます。
娘さんがせっかく家にいるなら、徹底的に娘さんに聞いてみたら如何ですか?一人前の人間と思うなら、対等に話ができるはず。どのYoutuber が好きなのか、どんな所が好きなのか、どんな動画を作りたいのか。何のために活動したいのか。一人の人間の真剣な考えを、受け止めてやっていただけませんか。
「私のことを、頭ごなしせず認めてくれる」という経験なしに、世間を信頼し、独り立ちしていこうという気持ちが育つとは思えませんよ。
そして、旦那さんとも未来ベースの話をしませんか?あなたがサーブを打つのではなく、娘さんに、旦那さんに打たせる。「この子の幸せのために、私たちは何ができるか?」を据える。怒りや文句ではないスタートをする。
そして娘さんには、先輩の表現者として、経験を語ってみては如何ですか。いつの日か経済的にも独り立ちしていくために。