叶わない恋してます回答受付中
20歳女子大学生です。自動車学校に通っていた時の担当指導員に片思いしてます。
先生は私よりも24歳年上で既婚者、そして子どももいます。凄く優しくて面白くて一緒に居るのが心地良い人でした。卒業してからも月に1回程度会いに行ってます。会いに行く度飲み物の差し入れをしたり、1度は先生にお礼の手紙も渡しました。しかし、私の考えすぎかもしれませんがたまに先生の態度が少し冷たいように感じたり、途中で先生が指導員室に戻ってしまい、私のところに戻ってきてくれるかなぁと思いながら待っていてたのにも関わらず何も言わずに次の教習に行ってしまうということがあり、そろそろ会いに行くのがしつこいと思われているのではないかと不安に思って来ました。事前に先生に連絡して会いに行ってはいますが休み時間とはいえ先生も仕事が多いなか時間を頂いていることは重々承知しています。本当に感謝です。しかし、「忙しいから今日は〇分しか話せない」や「またね」などの一言だけでも声をかけて欲しかったと思ってしまいます。
そして何より、ふたまわり年下の女から既婚者男性が好かれてしまうことは本当に迷惑であることも承知しています。私の気持ちに先生が気付いているかは分かりませんが、私は本当に先生が大好きです。自分がバカな気持ちを抱いているということも理解していますし、叶わない恋をしているので、先生のことを好きじゃなくなりたいとも思っています。しかし現実はそう簡単ではなく、好きが増し続けてしまっています。会えない時間はずっと先生のことを考え何をするにも先生を糧に頑張ろうと日々思いながら生活をしています。教習場マジックという言葉がありますが私は卒業して何ヶ月も経っているのに先生のことが本気で大好きなのでこれは完全に恋だと思います。ただの憧れの偽りの恋では絶対にありません。
こんな悩みを友達に相談できないことも苦しみのひとつです。誰にも言えない恋。一般的に考えれば否定されるような恋。軽蔑されてしまうような気持ちを抱いてしまっていることも理解してます。先生のことを好きじゃなくなりたい。でも好きじゃなくなった人生の中で何を生きがいにして生きていけば良いのか分からないくらい今は先生のことで頭がいっぱいです。どうやったらこの気持ちを落ち着けて自分が苦しくないように過ごしていけるのか教えて頂きたいです。
お坊さんからの回答 4件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思い出を支えに、生きる力にしていくことで、歩む生き方もある。
素敵な人なのでしょうね。教え子(あなた)が、卒業をしても慕って訪ねてくれるのは、指導者冥利に尽きると思います。
親子ほどの歳の差があっても、恋する人に出会えたことは、幸せだよね。あなたが、運転免許を取得するまで指導してくださり、取得後も運転をするたびに先生と交わしたやり取りが、あなたの安全を守り、運転を楽しい時間に変えてくれるでしょう。かけがえのない時間を共になさったことは、一生の経験となっていくでしょうね。
ただ、先生との関係は、指導者と生徒であり、先生もその関係を大切にされているようですね。要は、きちんと線引きをなさっている。また、自動車学校へ会いに行かれるのも、先生も含め、他の職員の方にとっては勤務時間。たとえ、休憩時間であっても、業務のための準備や休息に時間を割きたいことでしょう。そうなれば、差し入れを持って訪ねて行かれたとしても、挨拶程度に留めて、早々に引き上げるのが礼儀であり、相手への心遣いになりますよ。
「好き」というのが全面に出ていて、先生も戸惑っておられるかもしれません。あなたにとって、憧れの偽りの恋ではなく、本気の恋なのに、一方通行って切ないですよね…。
先生との関わりが、大切な想い出になるように。先生のお立場(既婚者)も理解なさって、恋心をあなたの中に、大切に留めていきましょう。
叶わない恋って、苦しいですよね。時間が止まればいいのにって、思ってしまいますよね。
素敵な人との出会いは、あなたのこれからの人生の支えにもなりますよ。過ごした時間も、交わした言葉も、向けられた優しさも、大切な思い出になり、それは消えることがありません。思い出を支えに、生きる力にしていくことで、歩む生き方もあるのです。私も多くの経験や思い出(もちろん恋愛も)に支えられて生きてきました。
先生への気持ちを整理しながら、少しずつ距離を離していきましょう。そして、あなたの身の回りの環境や人間関係を大切に築いていきませんか。そこにも、あなたの大切な場所がきっと見つかっていきますよ。
“想い”を育て、“執着”を手放すという修行
あなたの想いは、決して軽いものではありません。
読むだけで、その真剣さと切なさ、そして“相手を困らせたくない”という誠実さが伝わってきます。
それは、人を愛することの中で最も尊い心の一つ
「慈(じ)」の芽です。
1. 「恋」と「執着」は紙一重
真言宗では、心の苦しみの多くは「執着」から生まれると説きます。
あなたの心が苦しいのは、恋が汚れているからではなく、「手に入らない現実」と「想いを止められない自分」との間で引き裂かれているからです。
けれども、恋の炎は消すものではありません。
ただ、燃やす方向を変えることができます。
相手を得たいという「執着」から、
相手を想い、感謝し、祈るという「慈しみ」へ。
それが、あなたの心を自由にしていきます。
2. “会いたい”を、“祈りたい”に変える
会えないこと、冷たい態度を感じたことに心が乱れるのは自然です。
しかし、その瞬間にこそ静かに深呼吸して、心の中で唱えてみてください。
「あなたの幸せを、心から祈ります」
この祈りは、相手を解放し、同時にあなた自身をも救います。
恋の痛みが「祈り」に変わるとき、愛は執着を超え、真の慈悲へと育っていくのです。
3. あなたの恋は“修行”である
この恋が叶わないことに意味がないわけではありません。
仏教では「縁起」
すべての出会いは因と縁によって起こり、やがて離れていくのもまた自然の流れです。
先生との出会いも、あなたの中に“愛する力”を目覚めさせるためのご縁。
それは今後、あなたが誰かを深く理解し、支えるための“心の器”となっていくでしょう。
4. 苦しみの先に、静かな光がある
恋をやめようとする必要はありません。
ただ、“恋を苦しみではなく祈りに変える”努力をしてみてください。
夜、心がざわつくときは、静かに手を合わせ、
「この想いが私を育ててくれますように」と唱えてみましょう。
その言葉は、あなたの心を少しずつ整え、
やがて、先生への愛が“あなた自身の優しさ”へと還っていきます。
終わりに
愛とは、相手を縛ることではなく、相手の幸せを願いながら自らの心を磨く道です。
あなたの恋は、決して間違いではありません。
それは、仏があなたに授けた「心を育てる修行」なのです。
合掌
それは叶ってはいけない恋です。
諦められるよう
思い切って告白してみては?
そのような先生ですから
しっかり振ってくださるでしょう。
もしOKでも出たら
「不倫するなんて!」って
自分の男を見る目の無さを嘆きましょう。
しっかりとお考えなさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたのその先生への想いを読ませて頂きました。あなたのことや先生のことはわからないですけれども、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
あなたがその人のことを好きになることはとても素晴らしいことです。あなたがその人に出会い様々優しく指導を受けたこともとても有難いことです。
そしてあなたがその人に心から感謝なさることはとても素晴らしいですからね。あなたがその人のことを好きになるのもとてもわかります。
先ずどうかあなたがそのような素晴らしいご縁に恵まれたこと、あなたの人生でそのように素晴らしいことがあったことを喜び、あなたの財産にしていきましょう。
そしてその人は大切な方々の為に一生懸命に生きて働いていること、あなたや沢山の方々の為に親切に優しく指導なさっていることを知りましょう。
その人の人生もかけがえのない大切なものです、そしてその人にとって本当に大切になさっておられる方々がいらっしゃることをしっかり知って下さいね。
そうした時にあなたはどう思うのか、どう考えていくことが善いのか、どう行動なさっていくべきなのかじっくりお考えなさって下さい。
あなたはこれからも素晴らしい出会いやご縁に恵まれて人として様々な経験を積んで成長なさっていくのです。
ぜひこれからも素晴らしい方々と親しくなって毎日を充実なさって生きて下さいね。
あなたが沢山の素晴らしい方々とご縁に恵まれてお互いのことを心から尊敬し尊重なさり思いやり、健やかにご成長なさっていきますように切にお祈りさせて頂きます。そしてあなたが本当に大切な人とご縁を深めあり幸せに生きていきますように切に祈っております。至心合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございますm(_ _)m
自分のことでいっばいっぱいになってしまい先生の都合を考えられていなかったように思い反省しています。先生の優しさを当たり前のように感じてしまっていたことに後悔しました。諦めるべき恋であることも理解していますので先生や先生の大切な家族が傷付くようなことは絶対にしないと誓います。しかし私の勝手なわがままですが、先生と会えない状況になることだけはまだ受け入れられません。新しく好きになる人ができる日、又は先生への気持ちが薄れていくまで好きな気持ちを心にしまい、先生と元生徒としてこれからも先生と関わっていこうと思いました。以前とは変わって先生の休憩・準備時間を確保出来るように少しだけの時間を頂くことを事前に伝え、会いに行こうと思います。次こそは堂々と恋愛できる相手に出会えることを祈っています。