結縁灌頂で結んだご縁は失う事可能ですか?回答受付中
こんにちは。
僕は最近、高野山の結縁灌頂に参加しました。最初は嬉しかったのですが、灌頂の後で三昧耶戒について調べてみたら、恐怖を感じました。僕の観点では、三昧耶戒はとても破りやすいと思うのです。例えば、怒った時に頭の中に他人に対する恨みの思いが浮かんだら、それは菩提心を捨てることにはならないでしょうか? そんなことを考え続けるうちに、さらに恐怖を感じるようになりました。ある時、僕は自分自身に「三昧耶戒についてもっと調べなかったのは自分のせいだ」と言いました。そう言った後、結縁灌頂で仏様と結んだご縁を保ちたいと思い、すぐにそのような恐怖の言葉や考えを拒絶しました。でも、僕の心はまだ不安です。仏様とのご縁は、僕が言ったことで失ってしまったのでしょうか? また、三昧耶戒は本当にそれほど破りやすいものなのでしょうか? 破ってしまったら、どうすればよいのでしょうか?
アドバイス頂けると幸いです。ありがとうございます!
強迫性障害、地獄を恐れる、仏教の帰依を失う事を恐れる、破戒を恐れる
お坊さんからの回答 1件
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戒めとは自分への維持する処方箋。
拝読させていただきました。
多くの方々が結縁灌頂をされ仏縁をいただいておりますが、ご縁を結んだからといって解除できるものではありません。
簡潔に説きますね。
空気(酸素)や水を離れて私たち人間は生きることはできないのと同じように、仏とは真理のことです。また真言宗では大日如来(大毘盧遮那如来)とは、宇宙すべてを象徴します。
三昧耶戒は、禅定をも包含します。
"自分がそうであり続けたらいいな"くらいで受け取っていただけましたらと思います。
人間にはコントロールできないものが煩悩です。その煩悩とは「喜怒哀楽」です。怒り(瞋恚)は不要なものですが、そう簡単にいかない世の常です。だからこそ、三昧耶とは自身の心を保持できるように成りたいと思うくらいでいいのです。
結縁灌頂を受者され、世の中が平和になるのであれば、遥か昔に平和になっています。
人は煩悩がコントロールできないからこそ、心ができるだけ平穏で生きていきたいと願います。
何度も失敗(怒り・憎しみなど)があっても、結縁されたことは何度も仏さんは許して前へ前へと進みなさないと心を起こしてくれます。
どうか自分自身に厳しくならず、もっと気楽に考えていきましょう。
僧侶など出家した人ならばまた別問題ですが、在家様の場合は仏縁だけあるだけでも十分なのです。
参考程度までに。
合掌