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仕事との向き合い方について

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有り難し有り難し 12

私の悩みは、「誠実に生きようとするほど、自分がすり減っていくこと」にあると考えています。
仕事では責任感と他者の感情への共感が強く、常に丁寧に真面目に取り組みますが、その分、人の感情や期待を過剰に背負ってしまい、心身ともに疲弊してしまいます。
仕事は人生の多くを占める一方で、わたしの価値観を満たす要素が少ないと考えており、「かけた時間と得られる充実のバランスが悪い」と感じています。それでも「投げ出すことは不誠実ではないか」という葛藤があり、簡単には離れられません。

また、幼少期のある出来事がベースとなり「母を支えたい」「良い子でいたい」と思い続けた経験が、今の自分にも影響しています。自分の気持ちを抑え、相手を優先することで安心を得ようとする一方、自分の本音を表に出すことに罪悪感を覚える。そのため、職場でも家庭でも「自分を生きている感覚」が薄れ、心が空洞のように感じる瞬間があります。

私は音楽や創作のように、自分の手で世界を形にすることに喜びを感じてきたのですが、そんな自分にとっては、今の生活は創造の光が乏しく、人生全体が“義務”と“責任”に偏っている。そのバランスの悪さが、「生きる実感の欠如」や「希望の小ささ」として現れていると思います。

ご相談させていただきたい内容は、「誠実さ」と「自由さ」をどう両立させるかについてです。
そして、「他人の期待」ではなく「自分の望み」を生きることへの恐れを、どう乗り越えれば良いのでしょうか。

長文で申し訳ございません。
アドバイス頂けますと幸いです。

2025年10月17日 14:56
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分自身に対して誠実な方ですね。

はじめまして。浩文(こうぶん)と申します。

誠実さ、すなわち仕事への責任感や他者への共感を大事にしたいと思う一方で、
それが自分の価値観を満たすに至らない。むしろ疲弊してしまう。
かといって自分の価値観、自分の本音を前面に出すことに罪悪感を覚えていらっしゃる。
不誠実ではないか、と。

人に何かを尽くすこと(誠実)が、自分の喜び(自由)にはつながらない。

そんなふうに感じてらっしゃるのですかね。

仰るように幼児期のことも関係しているのかもしれませんね。

期待に応えること、自分を抑えて他者を優先することが
きっとそのときのナツメさんにとって
“安心して暮らすこと”に直結していたのでしょう。

ナツメさんはじゅうぶん、誠実な方だと思いますよ。
こういった質問されること自体、誠実さのあらわれであると思います。

ただナツメさんの考える誠実と、私の言う誠実は
ちょっと違うかもしれませんね。

ナツメさんは他人に対して「誠実」であろうとする。
私は、自分自身に対して「誠実」であろうとします。

どちらにしても一長一短あるとは思います。

でも、誠実さを大事にしたいと思うなら
ちょっとそのベクトルを時々変えるだけで、
いくらかバランスはとれるのではないかなと思いました。

ナツメさんにはナツメさんの誠実さがあります。
ならば
他人には他人の自由があるように、
ナツメさんにはナツメさんの自由がきっと見つかりますよ。

他にもいろいろ考えようはあると思いますが
ひとまず私からは以上のようにお答えしたいと思います。

ご参考いただければ幸いです。

南無釈迦牟尼仏 合掌

2025年10月17日 17:08
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有り難し
おきもち

Buddhism. knowing what it actually is. ... 2020/08/22退会 2023/08/29再入会

ご自身に誠実に生きられてはいかがでしょうか?

ナツメさんこんにちは。
自分をおいておき、相手の期待に一生懸命こたえて生きようとする、とても毎日を擦り切れそうになりながら生きていらっしゃるのだとおもいます。
私も僧侶でありながら、教員をしており、正に、職場の期待や、児童への責任感、パートナーからの期待に「誠実」に応えながら生きようとしたがために、28歳にして勤めてたから3回の鬱になり、今、1年間休職しています。
やはり、他人だけを優先して、自分をないがしろにして生きるということは、心身を痛めつけるものなのだなと、ナツメさんのお話を読みながら、自分の身の上も思い、そのように思いました。
この休職している間に、私が考えたことがあります。
それが、「自分に対しても誠実に生きる」ということです。
ナツメさんは、自分の声に蓋をして、相手の顔色を伺って、相手の求めることだけをしてしまうのではないでしょうか?
私も、他人の期待に応えるあまり、焦ってばかりでした。
しかし、相手の期待や感情というのは、結局相手のものであり、自分が責任をとることができるものではないのです。
つまり、相手が落胆しようが、相手が怒ろうが、相手が責任をもつことなのです。
所詮、相手の「ものさし」なのです。
その「ものさし」の上で、自分が生きなくていいのです。
抱え込み過ぎてしまい、自分の思いが伝えられないと、結局溜め込んでしまって自分が潰れ、周りを心配させてしまうことになります。
そのように考えても適度に自分の思いを伝え、無理をせず、自分を保つことも相手に対して「誠実」に生きることになると思います。
すると、「誠実さ」と「自由さ」は矛盾しないものになるのではないでしょうか?
相手のために、自分を保てるように「自由」である。
そのように考えてはいかがでしょうか?
私も、趣味でドラムやダンスをしており、創造的なことをしていると元気が出ました。
なので、是非、気分転換に取り組んでみられることをおすすめします。
人のために、自分を大切にしてみてください。
私もそのように生きていきたいと改めて思いました。
良い御縁をいただき、ありがとうございました。

2025年10月17日 17:06
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有り難し
おきもち

真宗大谷派僧侶です。 教員もしております。 20代の駆け出しの身ではございますが、皆さんのお悩みを一緒に考えさせていただくことを通して、私自身の身を明らかにしていきたいと思います。 よろしくお願いします。

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