和の教室で破門されかけています。
はじめまして。
足掛けで3年ほど参加している、地元の名家のご当主と奥方様が主催している和の習い事があります。
ご当主様が流派もお免状も管理しておりますので、同じ流派の他のお教室はない状況です。
元は主宰する団体の寄付活動のオプションの誰でも参加できる会でしたが。
今年目標の寄付額を達成したために習い事として独立しました。
きっかけは先月半ばに、勉強会の連絡をいただき。
会場が地域に複数あるホールでしたので、出欠の後に正式な場所を伝えられると勘違いし。
「公共交通機関で行ける場所なら伺いたい」とご連絡したあとの返信でそれが判明し。
「勘違いをして申し訳ありません。もし○○町のホールでしたら欠席致します」と連絡しました。
承諾頂けた翌日、先生から再びメールが来ており。内容としては。
・あなたの返答は門弟として非常に良くないものである
・前から思っていたが、あなたに当主や兄姉弟子への敬意を感じられない
・うちをカルチャースクールと勘違いしていないか
・この意味がわからねば破門となるが、わからないなら教える
といった内容でした。
自分なりに一生懸命精進した習い事の、慕っていた先生からの言葉に心底驚き。
「沙汰は委ねます。ご指摘を胸にこれからも精進致します」といった旨の謝罪文を送りました。
しかし、以降先生からの返信はなく、結局私の何が先生を怒らせたのか、誰に聞いてみてもわからず、一時は眠れないほどでした。
それから一月経って次のお稽古の予定を立てねばならず。
「考えてもわかりませんでしたが、お稽古は参加してもよろしいのでしょうか」
といったお伺いをしその返答は次のようなものでした。
・この一月、謝罪をされていないので許すもなにもない
・それでも破門は保留とし、わかるまでは稽古への参加を許さない
それに対し、先に送った謝罪のメールのスクリーンショットと共に「こちらでは謝罪に満たなかったということ、ご理解いたしました。しっかり考え来年またお稽古の是非をお伺いします」
とお返しし、お返事が返ってこない状態です。
前提が長くなりましたが。
・先生が私に望んでいる具体的な態度は存在するのか
・無いならば望みは何なのか(フェードアウトや自主退会か、更なる謝罪と復帰か)
・私に期待をして厳しいのかを知りたいです。
もし分かればお答え頂ければ嬉しいです。
宜しくお願いします。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
改めて直接に出向いて、師にお尋ねなさる方が良いと思います。
なるほど。難しい解釈ですよね。
和の習い事ですから、お稽古だけではなく、日頃の作法も含めた振る舞いも、師は見ておられるのでしょうけれどね。「当主や兄姉弟子への敬意が感じられない」と指摘されていることには、あなた自身は心当たりがおありですか。
私も読ませてもらいながら、厳しい世界、なかなか教室とのお付き合いは難しいなと感じてしまいました。
師がカルチャースクールとは違うとおっしゃるように、この流派はここでしか学べないのでしょうね。お稽古を中心に学んでいきたいなら、別の流派でも気軽にと思いますが、あなたが免状を望まれるのでしたら、連絡を入れた後、改めて直接に出向いて、師にお尋ねなさる方が良いと思います。私たち僧侶も、その流派の弟子ではありませんので、師の意図するところがわかりませんし、あなたの日頃のお稽古の姿勢もわからない故、曖昧な助言になれば、余計にあなたとお教室との関係が悪化してしまいます。
謝罪がないとのことでしたので、出向いて直接 理由や改善点を聞いていかれたほうが、誠意が伝わると思いますよ。
ほかの門下生の方に相談してみましょう
ずうっと昔ですが、和の習い事をちょっと経験しました。稽古をつけていただくにも、発表会にださせていただくにも、免状をいただくにも。いろいろと流儀があるようです。ですから、師匠の立場から「これくらい常識だ。」と思っていても、お弟子さんの中には「えっ、そんなこと知らなかった。聞いてない。」ということは少なからず有ると思います。リオさんが悪いというよりも、お師匠様にとっての常識が門下生にきちんと伝わっていなかったと考えるべきだと思います。
従来なら、門下生同士の交流の中で、お師匠様に対する礼の尽くし方等の諸作法を教えてもらえていたと思います。質問文だけではわかりかねますが、門下生間の交流があまりないんじゃないのでしょうか?
気になる箇所としては
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「公共交通機関で行ける場所なら伺いたい」とご連絡したあとの返信でそれが判明し。「勘違いをして申し訳ありません。もし○○町のホールでしたら欠席致します」と連絡しました。
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指導を受ける立場としては「交通の便が良い場所なら、行きやすい。」と考えるのは自然なことだと思います。でも、指導者の方としては「どんな場所でも万難を排して参加します。」という意気込みを聞きたかったのじゃないかなあ。と私は愚考しております。飽くまでも、私の推測に過ぎません。
少なくとも、リオさんの常識とお師匠様の常識にはズレがあり、今回それが表面化し、お師匠様の癇に障ったということだと思います。タイトルに書きましたように、ほかの門下生の方にかくかくしかじかと事情を丁寧に説明し、お師匠様の怒りを解明してもらいましょう。もしかしたら、リオさんからすれば「そんなこと、事前にちゃんと教えてくださいよー。」と文句を言いたくなるようなことかもしれません。そこで先輩たちと言い争いにならないように意をつけてくださいね。
世の中のいろんな場でローカルルールなるものが存在します。町内会や親戚づきあい等で多かれ少なかれ結構理不尽なことにぶつかります。習い事の世界にもあると思います。道を学ぶための大切な心得が込められていいる可能性もあります。 「こんな面倒くさいところ、もういいや。」という判断しても良いと思います。「こちらではこういうしきたりがあったんだなあ。でも、今後も習い事を続けるなら、これくらい乗り越えよう。」という受け留め方をされても良いと思います。
イベントの準備まで手伝うのが弟子かも
カルチャースクールの生徒はお客さんであり、用意された教室を受講して帰るだけでしょう。
しかし、弟子と言うからにはイベントの主催者側(お寺で言えば檀家総代等、学校の文化祭で言えば催しをする学生側)の立場かもしれません。
そうだとするなら、「当日はお伺いできませんが、準備等で何かお手伝いできることはありますか?」と、仮に社交辞令であっても主体的に関わる意気込みが欲しかったのかもしれません。
用意されたイベントの楽しい部分だけ参加するのは「お客さん」であって、弟子やチームの一因とは思ってもらえない恐れがありますね。
あくまで私の個人的な想像ですが。
ただ、だとしても、今どき、「それならそうとはっきり言ってくれれば」とも思いますが、それをやってくれない伝統芸能のような世界なのでしょうね。
質問者からのお礼
皆様、本当にありがとうございます。
全く馴染みのない世界でしたので大変に参考になりました。
今のところ思い当たるのは
・ただお断りすればいいところに条件を加えてしまった
・他の方は先生の母校のOGだったり子どもを通わせていたり、地元の実業家の方だったりと先生方の自慢となる中、私は若輩で何もないため寄付活動が終わって存在を持て余した。
・他のクラスは生徒の仲が良いと伺い、「他の兄姉弟子となるべく打ち解けねば」と思い、積極的に声を掛けた姿が無礼を働いているように見えた。
・「いつまでも先生方を怖れて萎縮し続け、会話さえ覚束ないようでは却って無礼ではないか」と思い直し、分からないことに関して積極的に質問など行うようにした。
といった辺りではないかと愚考しております。しかし、これらを具体的に書き出して謝罪するのはそれこそ「でしゃばり」ではと思うのです。
なので、週に一度ほど「今日は教えのこの辺りを練習し、ここに至らなさを見つけました」という内容のメールを送ろうかなと思っております。
それで何もアクションがなければそのまま休会か退会しようかと。
伺うのにも、お家のお付き合いなどでお稽古が延期になるほど多忙なので事前のアポイントを取る必要があり、却って「こんなくだらない事で貴重な時間を」と思われないかと心配です。
去って欲しいなら去りますし、なにか具体的に改善が欲しいのならば改善し、もっと謝罪を重ねて欲しいというなら重ねる覚悟ではいます。
でも、先生が私にどうして欲しいのかが分からず苦しい状況です。
仮に形式的なお怒りだとすれば何故ここまで拗れてしまったのでしょう。
仮に先生が私に「戻ってくるはずだ」「保留にした私の真心に応えて欲しい」と思っているならば、その気持ちを投げ捨てるようなことはしたくはありませんが、付き合い切れないという気持ちも確かにあります。
改めまして、皆さまありがとうございます。
上記の文を書いて、改めて皆様のご回答を読み直してから考えたのですが、そもそもとして。
「先生には、私が敬意の欠如から目上の者への対応を変えるような不誠実な人間に見えていた」
「私には、先生が私怨で人を排除したり生徒を主観や好き嫌い、思い込みで裁く人間に見えていた」
という、師弟間の信頼の欠如がそもそも間に横たわっていて、それが答えなのではないかと思いました。
皆様のご回答は「師は憎しみや私怨では人を叱らない」「故に間違いを正せば応えてくださる」という信頼を下敷きにしておりましたが。
私の、ご相談をしたり他の習い事について調べる前の価値観は。
「(おそらく)日々さり気なく不敬を伝えていた先生に、ついに言葉にさせたのだから、もう関係修復は不可能なのかもしれない」という方向でしたので。
「弟子を愛するが故の、通過儀礼や教育指導としてのお叱り」という価値観を持ち合わせていなかったのだと思います。
信頼関係は一朝一夕に作られるものではないし、先生は確かに最初は優しく指導してくれました。
しかし、これから信頼を築こうにも、独りよがりで「私はこんなにも誠実だ」と押し付けても結局は駄目だと思いますので。
まずはもう少し頑張って、より嫌われるつもりでメールでのコンタクトを取り続け。
「もう、相性の問題であった。私は先生を師として尊敬してはいたけれど、愛されているとは到底思えず、人間として信頼はしておらず、互いに対する敬意が欠けていた」と納得しようと思います。
改めてありがとうございました。
更に追記を失礼します。
ありがたしの数で、他の方も同じようなことで悩んでいるのだと励みとなりました。再三になりますが殆ど実行が難しく(先生の多忙、他の弟子の連絡先を知らない)言い訳ばかりになってしまったこと申し訳なく思います。
こうして「やってみたら」と言われたことを「できない」と言う度に、先生に嫌われた理由や人間性を体現するようで本当に悔しいです。
僧侶の皆様にも、同じような経験をした皆様にも良いことがありますように。
2025-11-12 20:01
本日回答締め切りで、改めて回答を読ませて頂きました。
結局お教室は本日、退会してしまいました。何となく、先生もそれを待っていたように感じました。
改めて、ありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
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