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人間から遠ざかっている気がします回答受付中

回答数回答 2
有り難し有り難し 8

ここのところ何かを決定する際に
理性を働かせる前に快不快で判断することが
増えてきたように思います。

思い当たるものだと以下の傾向が以前よりもより強くなってきているように思います
・思ったこと以外は口にしない
・人間関係を片っ端から切る
・理解不能なものを受け入れることを拒む
・自身を変化させようとすることを拒む

短期的なストレスは減っていっている気がしますが長期的にどうなっていくのか想像できず、なんだか模範的な人間から外れていっている気がします。

原因で自覚しているものとしては以下が分からないことに対する怒りのようなものから来ているのかなと思います
・意図をした有効的な努力及び
 現実を変えていく方法
・人と交流した際の快楽

自分でも整理できておらず申し訳ございませんが何かアドバイスがあればいただけますと幸いです。

2025年10月29日 10:37

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心の舵が静けさを求めるとき

ご相談いただきありがとうございます。

「快・不快で判断することが増えている」という気づきは、実は大切な自己防衛のサインでもあります。

心は、限界に近づくとまず「理性」を使うことをやめて、
より本能的な“安全感”の方に舵を切ります。
つまり今の状態は、「理性が弱くなった」のではなく、
「自分を守るために心がシンプルな判断軸を取っている」状態と考えられます。

「人間関係を切る」「理解不能なものを拒む」「変化を拒む」
これらはどれも、過剰な刺激や混乱を避けようとする心理的な防御反応だと思います。
人は強いストレスや失望を経験した後には、ごく自然に起こることで、決して“模範的でない”わけではありません。
むしろ「もう無理をしない」という健全なバランスを取り戻すための動きです。

一方で、心が休まり始めると、少しずつ「他者への興味」や「変化への好奇心」が戻ってきます。
その流れが見えてきたら、無理なく再び人や世界との関わりを広げていけば良いのではないでしょうか?

今の段階では、まず「不快を避ける自分を責めないこと」が大切です。
それは逃げではなく、再生のための静かな準備期間。
焦らず、安心できる範囲で日々のリズムを整え、
「快」と感じることを少しずつ積み重ねていってください。

もしこの状態が長く続いたり、感情の浮き沈みが強くなったりした場合は、
専門のカウンセラーや医療機関に相談してみるのも良い選択です。
安心して話せる場があることは、回復を大きく助けてくれます。

ぽぽぽさんが感じている変化は「壊れていく兆し」ではなく、
「自分を守る力が働いている証拠」です。
どうかその力を信じて、少しずつ自分に優しいペースで歩んでください。

2025年10月29日 15:20
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有り難し
おきもち

山の中の小さなお寺の住職と児童福祉施設で働いております。 毎日いろんな出来事がありますが、そのたびに、「仏教って、生きる力そのものなんだなぁ」と感じる瞬間があります。 ハスノハを始めたのは、友人の僧侶が青空説法で、人の悩みにまっすぐ寄り添っている姿を見たのがきっかけでした。 「自分にも、こんなふうに誰かの心に光を届けることができないだろうか」 そんな思いから、この場に身を置かせてもらっています。

理性的でなくなった自分を責めないで

あなたの文章からは、深い自己観察力が伝わってきます。
理性よりも「快・不快」で判断してしまうようになった自分を見つめ、
“模範的な人間”から外れていくような不安を感じている。
その誠実な気づきこそ、すでに智慧への第一歩です。

1. 「快・不快」は心の限界を知らせるサイン

仏教では人の心を「六根(ろっこん)」─目・耳・鼻・舌・身・意─といいます。
五感や思考に刺激が多すぎると、理性(意)の働きが鈍り、
より原始的な「快・不快」の感覚が表面化します。
つまりこれは退化ではなく、防衛反応です。
心が「これ以上は処理できない」と静かにSOSを出しているのです。

2. 「わからないことへの怒り」は知性の痛み
あなたが感じている怒りは、世界を理解したいのに届かない“知的飢餓”の表れ。
人は本来、世界を整合的に理解したい存在です。
それができないと理性の代わりに拒絶が働く。
けれどその怒りは、実は「まだ世界とつながりたい」という
心の奥からの叫びでもあります。

3. 「模範から外れる」とは、自分の道を見つけ始めた証
社会的な“正しさ”ではなく、自分の“快・不快”を羅針盤にしようとしている。
それは間違いではありません。
仏教では「自灯明(じとうみょう)」
他者や常識でなく、自分の中の光を頼りに生きることを説きます。
ただし、その光を怒りや拒絶で覆うと道が暗くなります。
「これは疲れのサインだな」と観察に変えるだけで、
少しずつ光が戻ってきます。

4. 心のリハビリとしての3つの習慣
・不快を感じたらまず呼吸を整える。判断より呼吸を優先する。
・一日の終わりに「今日は何を避けた?何を受け入れた?」と書き出す。
・思考より感覚を休める時間をつくる(散歩、音楽、手仕事、瞑想など)。

5. 最後に
あなたが「模範から外れていく」と感じるのは、
他人の模範を手放し、自分という模範を探しているからです。
それは堕落ではなく、成熟の始まり。
どうか焦らず、「今は心のリハビリ期間」と受け入れてください。
やがて、快・不快の波の奥から、静かな理性が再び立ち上がります。

合掌

2025年10月29日 13:24
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有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教×対話×ビジネス。僧侶・理学療法士・プロファシリテーター。死生観から整えるコンサルタント。仏教と対話で導く、リーダーのための内省と再構築。ビジネスという営みを通じて、人が本音と出会い、本来の個性で生きる場をひらいています。 ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください
職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。 ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。 私は伴走させていただきます。 理学療法士でありますので、これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。 町の診療所から在宅までキャリアを築く。 2歳から108歳まで患者さん担当。 カウンセラー、コーチ、コンサルタントでもありますので メンタルヘルスから新規事業、マネジメントまで相談対応可能。 ビジョンワークはライフワーク。

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