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おばあさんが亡くなりました

回答数回答 3
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先日、親戚のおばあさんが亡くなりました。92歳でした。
70歳くらいまでは元気だったのですが、事故にあってから体が不自由になって、旦那さんも亡くなったので老人介護施設で過ごしていました。
あまり面識はなく、小さい時にすこし遊んでもらったくらいしか思い出はないのですが、おばあさんがもう長くないかもしれないと親から聞いてから2週間くらいでなくなってしまいました。
晩年は体が不自由で苦労されたようですが、最後の2週間は苦しまず安らかだったと聞きました。
それでもやはり寂しい気持ちになりました。遠くに住んでるのでお葬式には行けなかったけど心でお祈りをしました。
これでよかったですよね?
ここでおばあさんのことを書いてあげることが供養な気がして書いてみました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そうですよ。其れが御供養ですから…

貴方が心をおばあさんによせてあげる事が、おばあさんにとっては良い御供養に成るのですよ。
其れで良いのです。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致し、実践において長期にわたり使用実績を積む 此の密教の天文暦法に基づく占星法で、衆生の手助けをと考えます。 また、一座供養、一座祈祷も承って居ります。 本来、供養や祈祷は長期に渡り此れを継続的行うものですが、 一回のみの供養や祈祷を一座供養・一座祈祷として、此処にお受けするものです。 なお、遠方のお方でも、承りますのでご遠慮なくお問い合わせ下さいませ。

これでよかったのでしょう

りょうくんさん、こんにちは。

親戚のおばあさんが亡くなられたのですね、お悔やみ申し上げます。
質問の答えですが、わたしも”これでよかったのだ”と思います。

さらに言えば、りょうくんさんがおっしゃっているように、
「ここでおばあさんのことを書いてあげることが供養な気がして書いてみ」ることをオススメします。
おばあさんのことを表現することは大切だと思います。

それはなぜか?
もうおばあさんは亡くなりました。だから、りょうくんさんの想いや言葉は、届くことはないのでしょう。しかし、その”届かない願いや祈りを、あなた自身が聞く”ということはできます。
そのために、表現することは大切だからです。

りょうくんさんは、そのおばあさんの暮らしぶりをよくご存じですね。亡くなってからどなたかに聞いたとか、たまに家族から話を聞いていたとか、なのでしょうか。
その過程や、思ったことを、表現することです。
その場所は、パソコンの前でもいいですし、家族の前でもいいですし、お墓の前でもいいですし、仏壇の前でもいいですし、空の下でもいいでしょう。

そうすることが貴方のためにもなるはずですし、おばあさんのためにもなるはずです。

以下のリンクは、友人が亡くなった方のために書いた文章です。親しい人、なんとなく無視できなかった存在という点では、りょうくんさんにも当てはまるのではないでしょうか?時間があればお読みください。
高校を卒業する君たちへ -カンロニン

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個別相談可能
臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・在住。 大学卒業後、鎌倉の円覚寺専門道場で修行。 2010年に陽岳寺に戻り副住職となった後「ようがくじ不二の会」を立ち上げ坐禅会、ゲーム部、お茶の会などを企画開催。 昔からお寺はお手繋ぎをしていました。もっとご縁を結んでいただきやすくしたいと思い、結婚相談所を開所いたしました(門前仲町 下町結婚相談所)。 hasunnohaでは、微力ながら考えたこと、思ったことを回答させていただきます。

ご縁を大切に

りょうくん様へ

文章の最後に「これでよかったですよね? 」というところが出てきます。
おそらく良くないと思っておられているからでしょう。
どのようにしたいと思っているのでしょうか。

例えあまり面識はなく、小さい時にすこし遊んでもらったくらいしか思い出はないと言っても
ご縁があった方です。
またこうして質問を書かれております。
このご縁が気になり、このような行為につながったのでしょう。

確かに、書くことが供養になっています。
それ以外にも、もし今後思い出すことがありましたら
ぜひ手を合わせていただきたいと思います。
思い出すことが供養です。合掌

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「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を基とし、より多くの方々に御参拝いただき、御本尊様などから御利益を授かることを願っております。 また、本来お寺の持つ機能として、「学び」「癒し」「楽しみ」などがあったとお聞きします。 あらゆる可能性に対して、日々精進しながら日々模索しながら、多くの方々との御縁がつながっていくことを願っております。合掌

質問者からのお礼

向井様
ご回答ありがとうございます。
普段は忙しく過ごしていても、こういうことを立ち止まって考えることはとても大切だと思いました。誰にも必ずくるものだからです。
ブログありがとうございました。
共に過ごした時間、これから歩む時間を大切に考えること。亡くなった方を語ること、自分を語り直すこと。
アドバイスありがとうございます。悲しみは消えないけど、前向きにとらえるきっかけになるような気がします。

「知らない人たちと学生生活をともにしていく。勤めに出て、年配の方々と切磋琢磨していく。パートナーを見つけ、家庭を育てる。」
これからの人生を一生懸命生きようと思いました。

沙門様
ありがとうございます。心を寄せる、その人のことを語る。
それが供養になる。心に沁みます。

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