おばあさんが亡くなりました
先日、親戚のおばあさんが亡くなりました。92歳でした。
70歳くらいまでは元気だったのですが、事故にあってから体が不自由になって、旦那さんも亡くなったので老人介護施設で過ごしていました。
あまり面識はなく、小さい時にすこし遊んでもらったくらいしか思い出はないのですが、おばあさんがもう長くないかもしれないと親から聞いてから2週間くらいでなくなってしまいました。
晩年は体が不自由で苦労されたようですが、最後の2週間は苦しまず安らかだったと聞きました。
それでもやはり寂しい気持ちになりました。遠くに住んでるのでお葬式には行けなかったけど心でお祈りをしました。
これでよかったですよね?
ここでおばあさんのことを書いてあげることが供養な気がして書いてみました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうですよ。其れが御供養ですから…
これでよかったのでしょう
りょうくんさん、こんにちは。
親戚のおばあさんが亡くなられたのですね、お悔やみ申し上げます。
質問の答えですが、わたしも”これでよかったのだ”と思います。
さらに言えば、りょうくんさんがおっしゃっているように、
「ここでおばあさんのことを書いてあげることが供養な気がして書いてみ」ることをオススメします。
おばあさんのことを表現することは大切だと思います。
それはなぜか?
もうおばあさんは亡くなりました。だから、りょうくんさんの想いや言葉は、届くことはないのでしょう。しかし、その”届かない願いや祈りを、あなた自身が聞く”ということはできます。
そのために、表現することは大切だからです。
りょうくんさんは、そのおばあさんの暮らしぶりをよくご存じですね。亡くなってからどなたかに聞いたとか、たまに家族から話を聞いていたとか、なのでしょうか。
その過程や、思ったことを、表現することです。
その場所は、パソコンの前でもいいですし、家族の前でもいいですし、お墓の前でもいいですし、仏壇の前でもいいですし、空の下でもいいでしょう。
そうすることが貴方のためにもなるはずですし、おばあさんのためにもなるはずです。
以下のリンクは、友人が亡くなった方のために書いた文章です。親しい人、なんとなく無視できなかった存在という点では、りょうくんさんにも当てはまるのではないでしょうか?時間があればお読みください。
高校を卒業する君たちへ -カンロニン
ご縁を大切に
りょうくん様へ
文章の最後に「これでよかったですよね? 」というところが出てきます。
おそらく良くないと思っておられているからでしょう。
どのようにしたいと思っているのでしょうか。
例えあまり面識はなく、小さい時にすこし遊んでもらったくらいしか思い出はないと言っても
ご縁があった方です。
またこうして質問を書かれております。
このご縁が気になり、このような行為につながったのでしょう。
確かに、書くことが供養になっています。
それ以外にも、もし今後思い出すことがありましたら
ぜひ手を合わせていただきたいと思います。
思い出すことが供養です。合掌
質問者からのお礼
向井様
ご回答ありがとうございます。
普段は忙しく過ごしていても、こういうことを立ち止まって考えることはとても大切だと思いました。誰にも必ずくるものだからです。
ブログありがとうございました。
共に過ごした時間、これから歩む時間を大切に考えること。亡くなった方を語ること、自分を語り直すこと。
アドバイスありがとうございます。悲しみは消えないけど、前向きにとらえるきっかけになるような気がします。
「知らない人たちと学生生活をともにしていく。勤めに出て、年配の方々と切磋琢磨していく。パートナーを見つけ、家庭を育てる。」
これからの人生を一生懸命生きようと思いました。
沙門様
ありがとうございます。心を寄せる、その人のことを語る。
それが供養になる。心に沁みます。