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お坊さんの食事

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お世話になっております。今回はとっても気になったので質問させて下さい。

簡単に言うと、お坊さんはどんなお料理を食べている(いた)のでしょうか?

お寺のお料理といえば精進料理や菜食(?)と思い浮かびますが、しきたりなどあるのでしょうか?
特に修行時代の食事や思い入れのあるお料理、エピソードがありましたら教えてください。
自身の心身の健康のために是非とも参考にしたいです。

過去の質問と重複するかもしれませんが、ご回答のほどよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ワシの修行時代は・・・

 そうですね。ワシの修行時代は食事は出汁まで野菜を使っておりました。野菜や果物の皮などを袋に詰めて、出汁を取っていました。残り物は4・9のつく日の夕食にカレーとして頂いておりました。
 年に2回ほど特別な日がありまして、懇親会がありまして、そこではいわゆるdinnerが頂けました。
「葷酒山門に入るを許さず」という看板がたまにお寺にありますが、これは『葷』=大蒜、韮、玉葱、葱、などの匂いの強いものは野菜でも不可。お酒はもちろん不可。戒律で厳しく食事内容も制約されております。 ただ、頂いたものは基本的に残してはなりません。
 修行が終わったら、あまり関係なく食事はしておりますが、なるべく、気を付けるようにはしております。
得意料理は精進フカヒレというものを最近発明しました。精進グラタンも作れます。大豆で作った肉モドキも売ってますので,から揚げやひき肉料理も肉なしで作ることも出来るようになりました。ただ、味は薄いのが欠点です。

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制限するといいこともあります

僧侶の資格を取る為の修行中はいわゆる精進料理ですが、その後の生活においては、ほとんどの僧侶が、出されたものを食べているだけだと思います。肉も魚も食べます。

『不殺生』という戒律(仏弟子としての決まりごと)があるので、肉を食べてはいけないと思われている方も多いですが、これは「殺してはいけない、ということは食べてもいけないということではないか」という拡大解釈から生まれた発想だと私は認識しています。事実、東南アジアなどの厳しい戒律を守っている僧侶も、いただいたものは食べています。
じゃあ、なんでもいいことにすれば、と思われるかもしれませんが、制限するといいこともあります。

青うめさんは心身の健康のために参考にしたいということですが、私の場合、
○修行中、肉や魚を食べなかった
○学生時代に減量のあるスポーツをしていた
という2点からお話をさせていただければ、
「食べるものにある種の制限をかけると、神経が研ぎ澄まされ、世の中が輝いてみえる」
という、ことがあります。

例えば、干しブドウ一粒を手のひらでしげしげと眺め、匂いを嗅いで、創造力を充分に働かせたのちに、それを舌先にのせてみてください。そして、ゆっくりと感触を味わい、滋味を感じながらゆっくりと食べます。
こういった作業をすると、食事そのものがこれまでと確実に変わってまいります。これは食事に限ったことではありません。お金も時間も、健康も、命も、これしかないと思うと意識が変わります。やがて人生が輝いて、、、、きたらいいですね!

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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質問者からのお礼

お礼が大変遅くなり申し訳ありませんでした。
大鐡様、増田様、ご回答ありがとうございます。
まだまだ治るまでに時間がかかりますが、参考にさせていただきます。

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

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お坊さんの勤務形態について教えて下さい

離婚問題で悩んでいる時、バツイチのお坊さんと知り合いました。最初彼から遊びの誘いがあり。失礼な人と断りました。今は友人として付き合っています。 友人関係が続いたのは、後日先日の行動が人として大変失礼な対応だった。反省していると、彼から謝罪があったからです。その際にも、ちゃんとしたお付き合いの話はありませんでした。 私は元夫から多種のDVをうけ男性不信になりました。いつか恋愛出来たらいいなと夢見ながら、男性が怖いです。結婚は絶対に無いです。 加えて彼は寺の跡取りで一緒に家庭を築き、寺に入り子供を産める人を探しています。私は子供を産むこともできません。だからあえてハッキリさせないようにしてました。 その後仲良くなるにつれ、プライベートを明かさなかった彼が以前より私にプライベートを見せるようになりました。気付けば毎日メールで連絡をし、月2~3回程度、昼夜時間を割いては健全に遊んでいます。トキメキはないけど気持ちは【凪】です。友達以上恋人未満の1番いい感じの時 自然と今以上仲良くなる予感があり、仲良くなりたそうな行動が見えたり、泊りがけで旅行に行くような話もチラホラ、ただ、お坊さんの勤務形態ってどうなんでしょう? 私は会社員で有給もあります。毎月月末に翌月の予定が未定。次のデートの約束は大抵決まりません。休みがまだ決まらない。分からないって、そんな事ありますか?もうずっとそんな状態で、深く付き合いたくないから、遠回しにそう言ってるのだと思うようになりました。 嫌なら嫌と言って欲しいのに旅行は行きたい、遊ぶのも仕事終わりなら全然大丈夫、凄いケチなのに自分から遊びにも誘って車も出してくれます。 どうゆうこと?と、モヤモヤしてますが、でも誰にも聞けず、彼もはっきり言わないので、やっぱり遊ばれているのでは?と思う反面、彼は嘘をつくのがべらぼうに下手で、私には嘘をついた事がない為、もしかして本当なのかも?と思いたい気持ちからこちらにお聞きしました。 休みが分かりにくいって業界的に本当ですか?何でですか?ちなみに彼は実家の住職をしながら、別のお寺に本業で務めています。本業の休みの日に実家で法事をしたりしています。 この関係がハッピーエンドにはならないと分かっていますが、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになれる相手です。嘘ばかりの元夫の毒が抜けていく気がして魂が救われています。

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回答数回答 1

尊重とはどこまでですか?

ハスノハのお坊さまのおかげで「他者を尊重することが大事」なのはよくわかったのですが、尊重とはどこまでするものでしょうか? モラルに欠けた発言なども尊重するべきなのかと考えたりします。そもそもモラルというのも曖昧だと思うのです。人によって違うと思うので。 「平和だからこそ戦争が必要だ」なんて言う人もいると思うのです。これは一般的には理解されないし尊重されないことだと思いますが、「他者を尊重することが大事」ならそれすらも認めることになるのかなと思います。 これが"尊重"なら、もし私が仮にいじめを受けたとしても「これ(いじめ)すらもその人の一部なのだな...」と思うのではないかと思います。 いじめや犯罪や浮気や不倫など、世界の"事"全てです。 社会のルールを基準にするのかな?とも思いましたが、それは"社会の思い込み"の可能性もあると思いますし、何よりそれは「他者を尊重できている」のでしょうか? 社会のルールという名の"正義"で個人個人を存外に扱っているのでは?と思います。 倫理も一緒です。全て人によって違うと思うのです。 例. Aさん「別に人をいじめてもいいでしょ?」← これも"Aさんの考え"で「Aさんの一部」なのかなと捉えてしまいます。この場合、Aさんは他者を尊重できていないと思います。ですが、それを注意すればAさんの価値観や考えを否定している(尊重できていない)ことになるのかなと思います。 そうなると無関心に見えると思いますし、この文章の通り「〜と思います」や「〜なのかな」などボヤっとしてハッキリしなくなると思います。 その結果、他人が「〜でしょ」や「〜です」と言うことに神経質になると思います。なぜなら、それがその人の思い込みの可能性があるからです。 でも、その人の思い込み = その人の意見なのでモヤモヤしても無理して尊重する。 尊重とはどこまでですか? 行き過ぎれば無関心に見えてきます。"相手とは違う自分の意見"を言えば否定されていると思われ、注意すれば「他者の意見を尊重できていない」ことになり、じゃあ何も言わないとなれば、無関心と見える。 お坊さまは尊重する際、何を"基準"に持ってらっしゃいますか? 乱文で申し訳ございません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ