希望した離婚なのに心がつらい回答受付中
今年の4月に、「嫌だと伝えても夫がちょっかいをやめず、まともな話し合いもできない。このまま夫婦関係を続けるべきか」とご相談させていただきました。
その後、いただいたご回答を参考に夫婦の在り方を模索してきました。しかし、①私が「嫌だからやめてほしい」と伝えても無視され続けたこと、②結婚前はお互いに子どもを望んでいたにもかかわらず、夫が実はここ数年ずっと子どもを望んでいなかったこと、さらに女性の出産には時間的な制約があることを知らなかったと打ち明けたことから、離婚を決意しました。
離婚が決まってから夫は人が変わったように家事をするようになりましたが、私には「今さら遅い」という思いしかありませんでした。また、私が引っ越し準備を進める中で「子どもができれば離婚しない?」と言われたことにも、問題の本質を理解していないように感じ、悲しくなりました。
そして本日、離婚届を提出しました。ふと夫の顔を見ると、涙をこらえているようでした。その姿を見て胸が締め付けられ、私も泣きそうになりました。
私は、これまでのつらさを思えば、このまま我慢を続けるより新しい人生を歩む方が良いと考えて離婚を選びました。それでも、なぜかとてもつらい気持ちになります。
さらに、離婚届を提出する直前に横断歩道で派手に転び、両手両足にけがをしました。そのため、「離婚を思いとどまるべきという知らせだったのだろうか」と考えてしまい、余計に心が揺れています。
時間がたてば少しずつ落ち着くのかもしれませんが、今はとても苦しいです。離婚という決断は間違いではなかったと信じたい一方で、悲しさや迷いもあります。
このような私に、何かお言葉をいただけましたら幸いです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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選んだ道を進むのも、踏みとどまるのも”あなた”の選択
お辛い時間を過ごされたのですね。お連れ合いとの離婚の決意までに、どれほど悩まれたことでしょうか。男性と女性の性差もあるのかなと思わなくもないですが、離婚という道を決断されたことは、余程の決心でいらしたことと思います。
最初に一つ言いたいのは、転倒されたことが何かを示唆しているということは無いということです。そのことと揺れている気持ちを結びつけることはありません。
婚姻は、合う合わないも含めて期待と要求と主張と需要のバランスで成り立っていると思うんです。女性男性でくくると失礼かもしれませんが、女性が決断した時にはもう気持ちが終わっている状態のことが多いです。
一度は「この人となら…」と結婚をされた方との訣別は、情の部分で簡単には整理がつかなくて当然だと思います。誰かに言われてそうするのではなく、改めてご自身で選択されることだと思います。
仏教的に話すと、「別れ」を選択したらその選択の結果が、「やり直す」を選択したらやり直した未来があなたを待っています。自分で選んで、その結果も受け止めて生きてください。
個人的に思うことは、離婚されたのですから、少し一人での時間を過ごしてみられたら宜しいかと思います。それでも「やっぱり」と思うわれるなら、もう一度人生のパートナーとしてどうか見極めたら宜しいかと。子供を望むのか望まないのかは特に女性にとっては大きな要素なので、時間的な制限の中で悩まれる部分ですね。
最後に、元おつれあいの「子供ができれば離婚しない?」は、「無いなぁ」と感じます。
人生の節目は全て「めでたい」
例えば、おめでたいはずの卒業式でも、別れを惜しんで涙する生徒や先生がいます。
だけど、卒業式がおめでたいことに変わりはありません。
私は、人生の節目は全て「おめでたい」と思うようにしています。
だから、離婚もおめでとうございます。
仏教では、心は無常であると言われます。
思考や感情は心を通り過ぎる一時的なお客さんです。
映画が終わればスクリーンは白い布に戻る。
そのように、悲しみや怒りや淋しさも、必ず過ぎ去るのです。
また、1日の中でも1分間の中でも瞬間瞬間をよく見ると、実はお客さんは頻繁にいなくなっています。
心が静かに落ち着いている瞬間は、1日のうちに何度も頻繁にあるのです。
だから安心してください。
お葬式の休憩時間にも、ペットボトルの蓋を開ける瞬間は悲しみを忘れて意識が手先に集中する。
瞬間ごとに新しい心、瞬間ごとに新しい自分なのです。


