生きる意味が無い産まれたくなかったです。回答受付中
こんにちは。
実家の畑を手伝いながら自給自足を目指しているものです。
外にいると声をかけられるのでそのたびにつながりを持とうとアピールしてます。
ただずっと有る希死念慮は消えません。
自分の考えてる生き方は冬季だけ働くと言うものですが、ほとんどの人は働けと言います。
お金をかけずに生きる方法を自分で模索していく事が目的になってしまいました。
ただ、自分の能力や性質が分かり切っているのでこの先生きていけないだろうなと感じてます。
最近成人向け漫画書いてる人の収入が高いことを知り、昔絵を描いたりしたいと言っていつまでもやらない事に嫌気がさしました。
何も続かない。
早く死にたいです。
昔から人間の悩みは変わらないのに今何とか出来るわけが無いと思います
死が救いではないですか。
完璧主義、性格が悪い
お坊さんからの回答 1件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死の先を考えてみませんか?
ソも様
「死が救いではないですか」
とのお尋ねですが、私は死んだことがありませんので、死について断言することはできません。
ただ、死を「逃げ場所」として考えることには、少し慎重になった方が良いように思います。
私自身は、死は無ではなく、一つの節目のようなものだと考えています。
死はゴールのように見えて、実は折り返し地点なのかもしれません。
私たちは生まれてからずっと、
学校を卒業したら終わり。
就職したら終わり。
結婚したら終わり。
定年になったら終わり。
そんなふうに、一つひとつの節目をゴールのように考えます。
けれど実際には、そのどれもが新しい始まりでした。
もし死が本当の終わりではなく、何かの始まりであるならば、
途中で投げ出した問題は、そのまま置いていけるものではないようにも思うのです。
次に始まる物語に、前に残した課題を追加で背負った状態で始まるなんて考えたらぞっとしませんか?
人は必ず死にます。
これは誰にも避けられません。
だからこそ、急いでそこへ向かう必要もないと思います。
今生きているということは、まだ学ぶことがあり、
まだ経験することがあり、
まだ出会うものがあるということなのかもしれません。
苦しみも、失敗も、後悔も、
思い通りにならない日々も、
見方を変えれば人生から与えられた教材です。
もちろん、苦しい最中にそう思うことは簡単ではありません。
けれど振り返ってみると、
あの時の失敗があったから学べたこと、
あの時の苦しみがあったから分かったことが、誰にでもあるのではないでしょうか?
私は、人は今の自分に必要なことを学ぶために、それぞれの人生を歩んでいるように感じています。
そして、その経験は決して無駄にはなりません。
良い経験も、悪い経験も、苦しかった経験も、
すべて自分の糧に変えることができます。
それを学びに変えるか、恨みに変えるかは、
最後は自分自身に委ねられています。
だから私は、自分を救うためにも、
今を生き抜くことが大切なのではないかと思うのです。
生きる意味が見つからない日があっても構いません。
ただ、今日という一日を経験する。
そこから何か一つを学ぶ。
それを積み重ねていく。
どうか結論を急がず、
人生という旅を続けてみてください。


