死ぬべき人間です回答受付中
私は日常でも、仕事でもいろんな失敗をしています。他人よりできないことも多いです。
例えば…
・物を落として床をへこませる
・持ち物を出したは良いが、テーブルに忘れる
・風呂の湯はあふれさせる
…言い出せばキリがありません。大きな事故はまだ起こしていませんが、いつか起こすのでは、と不安です。
また、障害者で体も弱いので、私はゴキブリ以下の生き物で社会に迷惑をかけるだけだと思っています。
論理的に考えれば死ぬべき人間です。
ですが、情けないことに死ぬ踏ん切りがつきません。なんて腰抜けのマヌケなんだろうと、涙が出てきます。
どうか、死を受け入れる方法を教えてください。
失敗(他人、自分問わず)が許せない 普通の人間になりたい
お坊さんからの回答 1件
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死は自分の都合や判断で決められるものではありません
仏教の考え方では、今生の生命の終わりは向こうからやって来るもので、こちらから探しに行くものではありません。
どのような生命にも死は必ずやって来ますが、それは因果則によって来たるべき時と来たるべき場面に来るのであって、自分の都合や判断で決められるものではありません。
自分はいつ死ぬのだろうとか、死ぬべきなのか死ぬべきでないのか、どのような死に方がふさわしいのか、、、等々と考えることは、全て煩悩から生まれる妄想です。
ヒトは経験したことのない事柄について想像する時、イメージだけがフル回転して際限なく妄想が広がってしまいます。
ご質問にも「大きな事故はまだ起こしていませんが、いつか起こすのでは、と不安です」とあるように、誰もが恐れて苦しむのは、これまで実際に起った失敗そのものではなく、将来に起るかもしれない失敗のイメージです。しかし、そのイメージは自分が頭の中でふくらませた妄想でしかありません。実際には、反省し注意して行けば、そんな大きな失敗が起ることはまずありません。
自分では決めることのできない死について思い悩むより、大きな失敗を起こさせないために反省と注意を心がけることの方が、ずっと身心の負担が少なくなるのではないでしょうか。


