自殺した母への執着がなくなった
こんにちは。いつもありがとうございます。今回は素朴な疑問があって、ここに書きこみます。
私にはどうしても手放せなかった自作小説がありました。何度コンテストに落ちたり捨ててスッキリしたつもりでも、かならずまた復活させようと、同じことを繰り返してしまう。
まずひとつにこれーーつまり「自分と同一であってほしい、優れていると思い込んでいたもの」から気持ちが自然と離れていく現象が起きました。穏やかな気持ちになりました。
またつぎが本題とも言える話なのですが、私には母がいました。シングルマザーで既婚者との不倫やモラハラ的思考、私のお金を勝手にくすねるという問題がある母でした。彼女が死んだあと(よくない死に方だったこともあり)、一周忌のあたりから急激につらくなりました。ですが前述の「自分と同一の存在であってほしい小説の手放し」にしてもそうですが、母への暗い執着への手放しも同時期にふっと起こりました。今では心穏やかに母の写真に手を合わせられます。
(おそらく、心のなかで法事のときに感銘を受けた「仏様は働きである」というお坊さまの説法がすごく腑に落ちたんだと思います。今さらながら……)
私はそういう意味で仏教に救われました。全お坊さまにお礼を申し上げたいです。ありがとうございます……。
そして質問です。こうして執着を自然と手放せる気持ちや状態は、仏教的にはなんというのでしょうか。
お返事お待ちしております
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰かに求めるよりも、自分を大事に。仏様がご一緒ですものね。
そんな気持ちの変化があったのですね。執着は、あなたを苦しめていたものですが、そこからの解放は、あなたの中で頷ける意味づけができたからではないでしょうか。
仏様の御心がスッ〜と染み込んだのも、あなたの中の(こうであってほしいという思い)が(こうでなければとの思い込みは自分が生み出した心であった)と気づいていけたからでしょう。
今まで、あなたも葛藤し苦しかった。そんなあなたをご覧になって、そのままのあなたも、求めあぐねる姿も、わかってあげたい、私は見捨てはしない、どんなときもあなたを救うと喚び続け願ってくださる仏様。そんな仏様の御心に、ようやく触れることができたのではないでしょうか。
苦しい時は、いくら仏様が喚んでくださっていても、迷いの底にいて気づけないでいるのが人間です。それでも、私たちが出会い気づくまで、お見捨てにならない。それは、私のいのちを大事に慈しんでくださるから。こんなに、気づけず、背を向けていても、この私を嫌にならず、願いはたらいてくださるのです。
家族でも、親でも、母でも、みんな違う人間。どう願っても、私が求める人にはなれないのが、相手の生き方なのでしょうね。寂しくもあり、憎くもあり、違う人間だと思い知らされる。
「それでも私(仏)は見捨てない」仏様だけは、私のいのちと共に、この人生を最期までご一緒してくださいます。ずっと気にかけて、そばにいてくださるのです。
私もね、仏様と一緒なので、心強く安心して生きていられるのですよ。
仏様の御心に、あなたが気づいていけたから。苦しい執着から、解放されたのでしょう。
みんな、自分の人生を生きるしかできない。誰かに求めるよりも、自分を大事にしていきましょう。仏様がご一緒ですものね。
合掌
煩悩の繋縛(けばく)から離れる
呼吸 様
「執着を自然と手放せる気持ちや状態」は
「煩悩の繋縛(けばく)から離れる」というのが仏教用語的には相応しいかなと思います。
繋縛(けばく)とは、「縛られている状態」です。
つまり、
「煩悩や妄想、執着などによって心が縛られ、自由を失っている状態」をいいます。
欲しいものが手に入らないと心が乱れる
人から認められなければ自分には価値がないと思う
過去の恨みや後悔を何度も思い返す
自分の考えや立場だけが正しいと固執する
老い、病、死を受け入れられず苦しむ
このように、対象そのものよりも、それに執着して離れられない心が人を縛ります。これが繋縛です。
繋縛をただ避けて離れるのではなく、縄を解くように、もうとらわれなくなることを「解脱」(げだつ)といえます。
ですので、あなたは良い状態を維持していると思います。
あなたが感銘を受けた「仏様は働きである」は、その通りで、
その働きは現在進行形で、「仏様のお力は常に働き続けている」のだと
私は理解し信じております。
その仏様のお力を信じて、
我々も常にそのお力に叶うように、添うように、行動していかなければと思っています。
これはあなたが述べられた「心穏やかに手を合わせる」ということから始まると思います。手を合わせることで、仏様とご先祖様に気持ちが届いて、ご先祖様も仏様の下で成長し、我々を守ってくださる力が増していくのだと思います。
日々の生活の中で、徐々に煩悩の繋縛を解き離れて、穏やかな生活を心がけていただいて、その生活に仏様のお力への信仰があることも留めていただいて、回りのか方への感謝の気持ちも忘れず過ごしていただければよいのじゃないかなと思います。合掌礼
追伸:早速にお礼メッセージありがとうございました。自分や愛する人に思いやりを向けてさらに清々しさが増すといいですね。日々の暮らしの今を大切にこれからも過ごしていきましょう。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
拝読させて頂きました。
あなたの思いを読ませて頂きました。あなたがお母様への思いや様々な執着を手放していかれたことを読ませて頂きました。あなたの心が少しずつ解放されて自由になっていかれているのかと感じます。
そうですね、執着を手放していくということは仏教的に覚りを得ていくことになっていきます。解脱していくことになっていく、つまり仏様のような境地に近づいていくということですね。
仏道を歩んでいくことになりますね。心身ともに清らかに楽になっていくということです。
お母様もお亡くなりになり、仏様や神様に導かれてご先祖様に迎えられ、仏様のもとで教えを受けて覚っていくことになります、つまり一切の迷いや苦しみや執着から救われていき成仏なさっていくのです。
あなたがこれからも様々な執着から解放されて心楽に清らかに生きることできますように、豊かに潤いのある満ち足りた人生を生き抜いていかれますように切に祈っています。至心合掌
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azumaさま
ご回答、誠にありがとうございます。
>心身ともに清らかに楽になっていく
なるほど……心がお清めされていったんですね。なんだか納得です。じつは過去の家庭環境の加減で心の病があるのですが、最近それがとても楽なんです。お清めパワーなのかもしれません。
祈ってくださることも、誠にありがたく思います。感謝の限りです……! ありがとうございます。
釋 孝修さま
ご回答ありがとうございます。
繋縛という言葉について、ストンと腑に落ちました。たしかに私は過去、小説に賞がほしかったり、自分が認められたくてたまらなかったり、母を恨んでいた節があります。でもその状態から解き放たれている今、本当に清々しいです。
お坊さまである釋さまの言葉です。なおさら「仏様は働き」のくだりも含めて、繋縛のお話が染み入ります。お言葉、大切にしますね。ありがとうございました!
中田 三恵さま
お返事のほど、ありがとうございます。仏様といっしょ。たしかにそう考えると感謝の気持ちが温かく穏やかにこみ上げてきます。
自分の人生を歩むしかない……。この言葉もありがたくお受け取りいたします。本当に、最近わたしもそうだと気づきました……。自分の人生、歩んでいきます。今日も仏(ご先祖さま)にお花を替えて手を合わせました。極楽で、みんな幸せだといいなと思います。
あらためてお返事のほど、ありがとうございました!



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