守れなかったことへの後悔があります
ある出来事をきっかけに、自分には守りたいと思っていた人たちがいたのに、結果として守ることができなかったという思いが強く残っています。
現場では、多くの人がそれぞれ苦しい状況の中で懸命に頑張っていました。その姿を見てきたからこそ、「もっと何かできたのではないか」という後悔が消えません。
時間が経っても、自分の無力さや、守れなかったことへの苦しみが心に残っています。
仏教では、このような後悔や無力感と、どのように向き合えばよいのでしょうか。
また、「誰かを守りたい」という思いを持ちながらも、自分自身を責め続けないためには、どのような心のあり方が大切なのでしょうか。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を生きるしかない。仏様の願いの中で共に歩むことならできる
強い想いや責任感は、愛情を育み、そして苦悩も生みますね。
大事だから、愛するから、また悩むものなのでしょうね。
私も支援の現場にいますから、どうにもできない現実を前にしますと、自分の無力さに情けなくなります。
ですが、仏様の説くこの世の理・いのちのあり様を見ていきますと、私自身が何一つ思い通りなどできない身であったと気づかされます。そんな私を見放さず、救うと願いをかけ喚んでくださる仏様にお任せしていく生き方は、自分というものを見つめていきながら、何かを・誰かをどうにかしたいという想いだけで先走らず、生かされている私である自覚と、自分にしかできないことに丁寧に向き合うことに気づかされます。
出来る限りがあること。自分を生きるしかない。無力でも、仏様の願いの中で、共に歩むことならできるのではないでしょうか。
私は、強く願うことも自分を苦しめることなのだと気づかされました。だから、何もできないけれど、見捨てない。仏様の救いの中で、大切な人たちと一緒に生きていきたいと思っています。
これからの自分を見つめる
誰かを守りたい、誰かのお役に立ちたいと思えることは、とても尊いことです。
多くの人は、自分が生きていくだけで精一杯です。そのような中で、苦しんでいる人たちの姿を見て、「もっと何かできたのではないか」と心を痛めている。それは、あなたが無力だったからではなく、人を大切に思う心を持っていたからではないでしょうか。
どうか、その「誰かを守りたい」という思いを否定しないでください。
ただし、誰かを守りたいという願いと、すべての人を自分の力で守れるということは、同じではありません。
私たちには、それぞれにできることの限界があります。どれほど懸命に尽くしても、自分一人の力ではどうにもならないことがあります。
仏教では、物事は一人の意思や力だけで決まるのではなく、さまざまな人や事情、縁が重なり合って生じると考えます。
ですから、起きたことのすべてを、自分一人の責任として背負う必要はありません。
過去を振り返り、反省することは大切です。しかし、何度も過去に戻り、「あのとき、もっとできたはずだ」と自分を責め続けても、過去を変えることはできません。
未来はこれから変えていくことができますが、過去を変えることはできないのです。
仏教でいう「執着」とは、忘れられないことそのものではありません。変えることのできない過去を握りしめ、その過去によって現在の自分まで苦しめ続けることです。
過去を忘れる必要はありません。
守ることができなかったと感じている人たちのことも、そこで懸命に生きていた人たちの姿も、あなたの心の中に大切に残してよいのです。
けれども、その記憶を自分を責めるために使うのではなく、これから出会う誰かを大切にするために生かしていく。
それが、過去にとどまらず、過去を未来へとつないでいく生き方ではないでしょうか。
あなたは何もできなかったのではありません。
守りたいと願い、苦しむ人たちと同じ場所に立ち、その姿を見届けた。そのことにも、確かな意味があります。
どうか、当時の自分を責め続けるのではなく、
「あのときの自分も、できる限りのことをしようとしていた」
と認めてあげてください。
過去の自分を縛っている縄を、少しずつ解いてあげてください。
そして、「守れなかった」という後悔を、これから「誰かを大切にする力」へと変えていかれますように。
あなたのできること一つ一つ
拝読させて頂きました。
あなたはご自分が守ろうと思っていた方々を守ることできずにとても悔やんでおられるのですね。あなたがとても悔やんで今でも悩んでおられることとても伝わってきます。詳細なあなたや周りの人達とのことはわからないですが、あなたのお気持ち心よりお察しします。
あなたはそのように自分が不甲斐なかったと悔やんでおられるでしょうが、周りの人達はあなたができるだけ周りの人達を思い支えて下さったことを心から感謝なさっておられたのではないでしょうか、そしてあなたのことをきっと心強く感じておられたのではないかと想像します。
私も日々自分の不甲斐なさを感じたり、非力や能力不足を感じています。周りの人達に申し訳ないと思って生きています。とはいえどそれは仕方のないことでもあります。
私達は万能ではありませんし、完璧でもありませんし、何より私達はそれぞれ限られた存在でしかないのです。年齢や経験や知識や技能によって私達にできることは限りがありますし、できることも自ずと変わっていくものです。
私個人的なことを申し上げますともう幾つもの病気や障害がありますので、体力的なことも長時間の労働もできませんし、卓越した能力も記憶力も指導力もありません。ですから自分のできる範囲でしか人のお役に立てないですし、人を支えていくこともできません。
逆に自分にできることは何かと自分自身で確認しながら一つ一つ積み重ねていくことがとても大切だと思います。
あなたが悔やんでおられることは過去です。どうかこれからの未来にお向き合いなさってあなたができること、あなたが守ってあげられることを一つずつなさって下さいね。
あなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
ご丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
「私たちは万能ではなく、それぞれにできることには限りがある」というお言葉が心に残りました。
私はこれまで、「もっと何かできたのではないか」と自分を責め続けてきました。しかし、お話を拝読し、自分にできることを精一杯やろうとしていたことまで否定する必要はないのかもしれないと、少し考え方が変わりました。
過去は変えられませんが、今回の経験を無駄にせず、これから自分にできることを一つずつ積み重ねていきたいと思います。
温かいお言葉と励ましをいただき、本当にありがとうございました。どうぞお身体を大切になさってください。
合掌



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