謝りたいです
2回目の投稿、失礼いたします。
前回頂いたアドバイスを参考に、虫さんを殺さずに外へ逃がしてあげる、見て見ぬ振りをするなど虫さんに慣れようと努力しているところであります。
そんな中、とても大きな後悔をしてしまう出来事がありました。
今日入浴中、排水口の近くにクモさんがいました。水に流されて死んでしまう、逃がしてあげようと思い、少し大きめのブラシにのせて水のかからない場所に避難させてあげようとしました。
しかしそれが間違いで・・・。誤ってブラシでクモさんのお腹を貫いてしまいまったのです。
ショックでした。逃がしてあげようと変に気を使ったせいで・・・。なにもせず、そっとしておけばよかったと後悔しています。今でもクモさんを殺してしまった光景が頭に残って、どうしていいかわかりません・・・。串刺しにされてどんなに痛かっただろう、怖かっただろう、本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいです。
そのクモさんに対して心から謝りたいです。そして罰を受けたいです。どうすれば良いでしょうか?どうかご回答のほうをよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心の糧(かて)として活かす
クモさんに心が晴れるまで手を合わせて詫びましょう。
そして今後の人生でその教訓を生かし、心の糧として、いつの日か誰かの心をを支えて助けてあげてください。
この世のすべての生物は互いに糧(かて)として益し、活かしあい、より良くなろうとしている性質があります。
た・と・え
小魚はプランクトンを食べます。それを中魚がたべて、それを大きな魚が食べます。
それを人間が食べます。人間、とくに日本人という種族は「オスシ」というたべものが好きで、魚をそのまま食します。
その中のエビさんやカニさんなどは海の中のクモさんのようなものです。
人間はクモさんまで食べちゃいます、ペロリと。
さらにはイクラや数の子、たらこといって、魚の子供、赤ちゃんまで食べちゃいます。
イクラちゃんやタラちゃんの親の気持ちを考えたら涙があふれて海の水がしょっぱくなってしまいますね。私たちはそこで!
「生命が互いに何らかの形で❝糧❞として相手を活かし支え合っている関係」であることを学びましょう。何も食べ物の糧としてばかりではありませんよ?
精神的にも肉体的にも助け合い・活かしあい・支え合っているのです。
その関係性こそが生命が今日まで存在してきた所以でもあるのです。ただ頂戴するだけではなく、その頂いた命をより良く支え合い助け合うために使うのが大切です。ぞんざいに扱えば食べられたタラちゃんやサザエさんも浮かばれません。
今回のあなたの場合においても、クモさんの死をぞんざいにせず活かすべきであると思います。
あなたは実は殺してしまった…ままにして、ぞんざいにしているから苦しいのです。
ぞんざいにしない心が、心の糧として活かす心です。
死んでしまった数々の命の中にも、糧=資量(智恵と慈悲)を見出す心です。
クモさんは今後、あなたを大きく成長させてくれる糧です。
今回の件であなたは「いのち」を「いのち」と知る大切な機縁を得たはずです。
これによってあなたは今後さらに命をぞんざいに扱わないやさしい心が芽生えるでしょう。
あらゆる生命が、それぞれの生命の生死に関わりあっているのです。
今日より菩提心を持って、その心を深めることです。
生きていくことの❝深さ❞を知るためにも、あらゆる生命を死しても尚、活かしゆく、その為にも智恵と慈悲という糧(かて)を両輪とした仏の道を学んでみてください。
殺生の条件
A. 強盗がナイフで人を刺して殺しました。
B. 医者が手術をし人命を救おうとしましたが、失敗し患者は亡くなりました。
どちらも刃物で他人を傷つけて死に至らしめたのは同じです。
が、受ける業の結果は同じでしょうか?当然違います。
(S.N.ゴエンカ師の法話に登場するたとえ話です)
殺生が成立し業道になる条件は5つあります。
(1)相手が生き物であること
(2)相手が生き物であると知っていること
(3)殺意があること
(4)体や言葉による殺害の行為があること
(5)その行為によって死ぬこと
ですのでクモを助けようとして行なった今回の行為は殺生に当たりません。
しかし、行為を後悔することにより(後悔は怒りと同じ部類の感情です)かえって不善業になります。
もしあやっちさまの気が済まないというのでしたら、そのクモが後生よい世界に生まれ変わり幸せであるように、畜生の世界で再び苦しみを受けることがないようにと思い出すたび慈しみの気持ちを向けてください。
慈しみを育めば、虫類への怖さ(恐怖も怒りの仲間です)も減ります。そうすれば落ち着きをもって対処することができ、誤って殺してしまうことも減ると思います。
畜生供養について
あやっち様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
虫さんへのお優しいお気持ち、誠に有り難いことでございます。
以前にも動物を殺してしまって後悔されておられることにつきましての下記問いにもお答えをさせて頂いております。
問い「動物を殺してしまいました。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992558.html
とにかく、まずこの度のあやっち様の抱かれておられる「慚愧」の思いは大切な善い行いでございます。
その思いの中、私たち人間が生きていくために「食」させて頂くのにやむなく奪ってしまう命もあることを十分に自覚した上で、できるだけそれ以上、無駄に、無碍に命を奪わないように注意することと併せて、虫や動物への感謝の思い、報恩の思いを育むことが必要なことになるのではないかと存じております。
虫さんや動物さんは仏教的には「畜生」と申しますが、私たちと同様に迷い苦しみの世界にいることには変わりがありません。その中でも特に畜生界の苦しみとしましては、激しい生存競争、食物連鎖の中で、いつ食うか食われるかだけに追われて苦しんでしまっているところがございます。私たちのように仏様や仏様の教えのご縁に与(あずか)れることも難しい存在でございます。
そこで、その畜生界の者たちにも、どうか善き赴きがあり、仏縁、法縁に与れることができますようにとして、ご供養することが一つの報恩になるのではないかと存じております。拙生も少しく拙寺の草木禽獣沙巌供養塔前にて、機会毎に御供養回向をお勤めさせて頂いております。
また、下記の各問いの拙回答もご参照下さいませ。
問い「動物について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880049.html
問い「私が殺したのでしょうか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002847405.html
あやっち様のこの度のお優しいお気持ち、どうかいつまでも、いついつまでもお持ち頂けましたら有り難いことでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
天野和公様
心が軽くなりました。後悔しては逆にいけないのですね。今回の出来事で後悔ばかりするのではなく、今後どうしていくか、について考えていこうと思います。
また、恐怖や後悔も怒りと同じ部類に入るということも今回初めて分かりました。まだ私は正直、虫さんに対し少し恐怖感をもち、後悔しています・・・。少しずつでもその恐怖感や後悔をなくしていき、虫さんと友達になりたいです。
これからは落ち着きをもって、虫さんを助けてあげるよう努めます!
ありがとうございました。
丹下 覚元様
前回もお世話になりました。今回も、お話を読みながら大変納得しました。
丹下様のおっしゃるとおり、私は今回の件でどんなに怖くてもぞんざいに扱わないということを学び、反省しました。見た目は違っても恐ろしくても同じ生き物だと、気づけました。
クモさんの命を活かし、これからにつなげていこうと少しずつ頑張ります。
ありがとうございました。
川口英俊様
お礼が大変遅くなってしまいすみません・・・。
また回答して下さり、ありがたく思います。虫さんに対しての思いやりを忘れずにこれからも生きていきます。しかし、何度も述べますが、正直にまだ虫さんに対して気持ち悪いと思ったりしてしまうのです・・・。
少しずつ努力して友達になります。川口様がアドバイスされたように、供養も頑張ってみます!
ご回答、本当にありがとうございました。