他者を恨んではいけない理由はなんですか?回答受付中
職場の人で嫌いな人がいます。恨んでいるし、憎いし。全く関わらない関係なら良いのですが、何かしら関わりを持たなければならない距離感です。
不機嫌な様子とかすぐに分かりますし、パワハラなのでは?と思いますが、信頼等は向こうの方が上なので最初は憧れていました。
けれども、関わりを多く持つようになった時に「この人は自分が信用してる人だけを大事にしてるんだな」と感じ、私はそれに該当しないということが分かるようになりました。
ずっと憎かったわけではありません。関わりを持つようになってから、結構周りは敵だらけだなと分かるようになりました。
楽しいことをしている時は考えません。……が、仕事がある時やぼんやりとしている時にふと考えてしまいます。でも私は、人を憎むこと、恨むことを悪いことだとは思っていません。思うだけなら自由だし、誰もいない一人の時(例えば自分の車の中など)にブツブツというのは吐き出すという意味では大丈夫なのではないかと思うのです。
でも、よく人を憎んではいけないと聞きます。人を恨んだり憎んだりしてはいけない理由はどうしてでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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煩悩は悩み苦しみの原因
仏教では、煩悩が私たちの悩み苦しみの原因になる、つまり不幸の原因になると考えます。
怒り、憎しみ、怒りも煩悩の一種です。
煩悩があると、自分や他人の悩み苦しみストレスの原因になったり、ミスやトラブルの原因にもなりますし、例えば恨みについて考えている時間は不幸な気持ちになります。
恨みがない人は幸せなので、仏教では、幸せに生きることを推奨します。
仏教では、修行によって煩悩を弱めたり制御できるようになり、最終的に悟りを開けば煩悩が無くなると考えます。
お釈迦様のように悟りを開いて成仏すれば、憎しみも消えて揺るぎない平安の境地になれます。
悟れば、輪廻転生(苦しい生き死にの繰り返し)からも解脱(卒業)できるのです。
ということで、自分と他人の幸せや、将来の悟り(成仏)のためには、仏教的な修行(瞑想など)をして憎しみを弱める方が良いのです。


