死にたい
自分のバカさ加減を思い出して死にたくなります。今思い出すと情けなくて恥ずかしいです。誰も覚えてないって考えても自分のことが許せなくて仕方がないです。一生あうことない人のことを思い出しては恥ずかしいことしてしまったなって思います。私はバカにされてたんじゃないかネタにされてたんじゃないかと思います。不安を煽ってくるようなことをずっといわれつづけたので不安です。何年も前のことなんで思い出したくないです。どうしたら忘れるでしょう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分をイジメるのはよくない
私も昔死にたいと思ったものでしたが、その時に心の中でやっていたことを一言で言うと、
「自分で自分をイジメていた」でした。
心で自分の心をストイックに責めるのです。
きっと自分の理想が変な意味で高かったのではないかと思います。
ネガティブな感情、否定的なエネルギー、被害者意識、非難批判の感情がすべて内側に向けられているのです。
考えをやめている時は楽です。
「WHY」何故苦しいのか、とか原因を考える事より、
「HOW」どうすれば、苦しみから解放されるか、ということに精神力を使ってください。
死にたい、というのはあなたの命のSOS信号です。
たとえば、体を痛めつければ、痛い、痛い、と体が「そんなことしたらダメだ」と教えてくれるのが痛みというものです。
どうように、あなたは今心が痛い、心が苦しい。
それは心のSOS信号です。
「それ以上そんな事を考えちゃ体に、心に毒だよ!」とあなたの心が、命が教えてくれているのです。
仏教の救いは体や心を痛めつける事ではありません。
それは流れに逆らうことです。
参考になるかどうかは分かりませんが、良い意味でもっとバカになった方が良いと思います。
イイ子ちゃんでいよう、イイ子ちゃんでいなきゃいけない、親の理想の自分を演じなければいけない、という意識を捨ててしまったらどうでしょうか。
実はそれも自分が「そうしなければいけないんだ」と自分で決めて自分を縛っているのかもしれませんよ?
あなたを縛るものは、他人ではありません。人間の精神は自由です。何ものにも縛られません。何ものも縛ることはできないのです。たとえば戦争で捕虜になったとしても、自分の自由を突き進むことだってできるのです。どうか、自分の思いに負けず、変えられない過去を変えようとすることをやめ、自分の失敗で相手に花を持たせてやった、笑いを取ってやったくらいの気持ちで過去は過去として去らせてしまいましょう。私もそういう苦しい思いから這い上がって今日まで生きてきたのです。ちゃんと救われる道がありますから、一歩ずつで結構です。生きているだけでいいんです。まずは一息、深呼吸をして心をネガティブな方向に向かわせないようにしてください。また、御連絡下さい。
質問者からのお礼
ありがとうございます。