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悩んでいます。

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

私は一重まぶたです。
小学生の頃、睨んだつもりもないのに、先生から呼び出され
『あなたは目つきが悪いから睨んだように見える』と言われたり
ここ最近『眼差しが怖い』と言われて
小さい頃から今まで目のことで傷ついてきました。

そのせいか、自分に自信がありません。人前に出るのも、笑うのも嫌です。
目を二重にして可愛くなりたいです。
自分に自信が持てるようになりたいです。

今まで何度も両親に 二重瞼に整形したいと言っていましたが
『自分の体は大切にしなさい。そんなことする必要はない』
『もう結婚して子供も居るんだからしなくていい』と言われます。

現在、私は育休中です。
整形するなら 休みのうちにしておきたいです。
夫は私の整形には賛成してくれています。
でも、両親は反対しています。
そもそも、両親に許可を取らないといけないのでしょうか??

整形して後悔しないでしょうか…。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

アイプチ大作戦♡

YES!やったらいいんじゃないでしょうか。(勧めるんかい)
結構、整形をしている人は多いです。 
隣のあの子も大塚ムスメだったりします。
YES!高須クリニック、湘南美容クリニック、大塚ムスメデビューしましょう。とは言いませんが(言っとるワイ)
ただし、一回キリにすること。
そして、結果がどうであれ失敗だと思わない事。授かりだと思う事。気に入らない二重になっても絶対に文句を言わないと決意する事。
美にこだわりすぎると整形ビンボーになります。旦那からも嫌われます。
それがダメならアイプチ大作戦です。カブレるらしいですが。ざわちんばりにメイクの達人になれば整形せずともOKです。
二重にした人は寝ている時も目が半開きでドライアイになるそうです。視力低下も懸念されます。どっちを取りますかいな。あと20年もすれば、誰も見向きもしてくれませんが、それでもしますかい?
前日に、この一重とお別れを告げる儀式として深夜から朝にかけてにヘルタースケルターを観ましょう。
サイレーンを全話観ましょう。「カンナさん大成功です!」をマンガ、映画、韓国版、全部観ましょう。
そうすれば、翌朝眠くて天然二重が手に入ります。
以前、同窓会がありましたが、何故か若いギャルが一人混じっていて、誰だ?誰だ?と男子が騒いでいました。同級生のXさんでした。整形して劇的‼ビフォー・アフターしました。
人は悪く言うもので女子たちは「原型とどめてない」とひどいこと言ってました。恐るべし、女子。
一番イイ方法は、それでも結婚してくれた旦那さんの事を想うことです。
もっとイイ方法は、鏡に向かって坐禅することです。
「一重の私が嫌い」という思いが無くなるまで坐り抜くことです。
今、これを見ているあなたの目は一重だとか、二重だとかを問題にせずに観れていたでしょ?
そういう《まなざし》を知ること。
あなたが思いを重ねる前は、一重が嫌いな私はどこにもいません。
一重の自分でも、過去にどんなにイヤな事を言われたとしても、平気になります。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

二重か一重かの問題でしょうか?

表情というのは筋肉です。
一重か二重かよりも、目の表情を意識しているか(目の周りの筋肉に力を入れているか)が大事な気がします。
たとえば、目ではなく口を例に考えてみましょう。
いつも口を半開きにしている人(口元がゆるんでいる人)は、下唇がたるんで分厚くなり、余計にだらしない顔になります。
自分の表情をちゃんとコントロールしてみましょう。

さて、大人なので、親に反対されようと整形する自由はあります。
後悔するかしないかは、誰にもわかりません。
ただ、「整形しようかな、やっぱりやめようかな、やっぱりやろうかな」とくよくよ悩んでいる無駄な時間が毎日あるなら、整形したほうが悩みはなくなるでしょう。
やって後悔するのか、やらないで後悔するのか、ですね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

回答 ありがとうございます。

丹下 覚元 様
ご回答ありがとうございます。

『サイレーン』と『ヘルタースケルター』は見ました。整形して失敗は怖いです…。
そうですね、こんな私でも結婚してくれた旦那さんのことを想っていきたいです。
結婚して子供も居て、幸せなので
過去に嫌なことを言われた事
今はどうでもいいかな…と思いました。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ