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姉とのストレスを少なくする方法

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私は現在39歳で3歳違いの42歳の姉がいます。
私が25歳で結婚、出産した当時、姉は一級建築士を取得し、バリバリで働いていまして独身生活を謳歌していました。また、私達の母も家庭より仕事を優先している人でした。
私は結婚を期に会社を退社したのですが、上の子が保育園に上がるのをきっかけに、舅の勤め先である会社に、紹介で入社し、一年間勤めたのですが、子供がまだ小さく、仕事も大変で辞める事になってしまったのです…。それを知った姉は、これからどうやって子供たちを育てていくのかと、お金が大事だと怒られ、私(姉)は母の遺伝子を継いでいて仕事に生きる人間だから、お前の甘い考えが分からないと言うのです。悔しいのですが、確かですし、胸にとどめていました。育児の合間に通信教育で資格を一生懸命取り、少し時間のゆとりのある職場に半年後には勤める事ができ、育児と仕事の両立の生活をしています。
姉は6年前にお見合い結婚をし、不妊治療の末、昨年は待望の長男が産まれました。姉の旦那は、高給取りの会社員、実家は財産に恵まれ、姉は結婚してから専業主婦になり、アパート暮らしをしています。実家とも離れて生活している為に、赤ちゃんや姉の体調が悪い時など、預けたり、助けてもらう事が自由にできない不満を、母や私に言うのです。母は今だに仕事をしており、姉の所へ手伝いに自由に行く事ができない時、姉は子育てより大事なものがあるのか。仕事よりも子育てが大事だと言うのです。確かに働かなくても姉夫婦はお金に不自由しないのですから。
その言葉を聞いた時に、あなた(姉)は10年前に私になんて言ったか知ってますか…と。仕事がお金が全てだと。独身を謳歌している中で、私の子育てをバカにしていたのだと思いました。
相手の立場や気持ちま考えずに、何でも自分が正しいと発言ができる事が信じられません。
私の仕事が大変でイライラしてしまう時、子供はお母さんの笑顔が大事、仕事をする方がおかしいと言うのです。そうできたらいいのですが、働かないと食べていけません。
これは一例なのですが。ただ姉は私の子供をとても可愛がってくれています。子供達も姉(叔母)好きです。けれどもこの先も講釈を垂れるかと思うと憂鬱です。
同時期に結婚、出産していたら気持ちが分かり合えたのかもしれません。その様な中で、姉へのストレスをどうしたらよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

カブは葉っぱも良し、根っこも良し。

あなた達は同じカブです。
カブは葉っぱは味噌汁や漬物、なべの具材にもなります。
根っこのカブもまた、漬物、にもの、なんにでもなります。
どっちもカブです。
カブがカブ同士でケンカしても、同じカブです。
けなし合い、ディスり合いしてもどっちも救われません。
「あなたは葉っぱがイイわね~、いやいや、でも姉さんの根っこの太さには敵わないのー♡」と譲歩の気持ちを持ちましょう。ウソでもいいのです。姉を立ててやることです。兄弟姉妹は互いに遠距離から第三者的に褒め合ことです。猫をカブってでもいいのです。そうすることであなたの中にリスペクト精神が生まれると共に、あなたの中で、自分は自分の葉っぱの役割を全うする気持ちが沸いてきます。(葉っぱかい)あ、カブでもいいですが。
兄弟の言葉というものほど乱暴なものはありません。訴えられないから何言ったっていいのです。
相手に打ち克つために、あらぬ限りの知ってる知識と正論をぶつけ合うのが家庭内兄弟姉妹口論というものです。そんな兄弟間の言葉にイチイチつかまっていたらそれこそ身が持ちません。言った側も大して考えずに言ってるだけなのです。
言葉に傷つかないようになる為のサバイバル教室が家庭というものです。
相手の言葉に二次的に傷つかない様にしてみてください。
誰も拾うものの無い罵詈雑言は誰も傷つきません。言った本人のものです。
兄弟は互いの未発達、発展途上を赦しあうようにすると良いでしょう。
どっちも父親譲り、母親ゆずりの同じカブなのですから。
あなたはあなたで自分のカブを全うしてください。
この苦難を乗り越えた時、姉さんには無い、甘みが醸し出されるかもしれません。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

御説法本当に有難く読ませて頂きました。お時間をありがとうございました。
頭が良く、頼れる姉なので、反抗も出来ずいつも言われるがままでいました…。
リスペクト精神で、傷つかないようにですね。自分の役割りは何かと成長したいです。
甘みを醸しだしたカブになれるように頑張りたいと思います。

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