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信じる、自分を、そのために

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有り難し有り難し 26

自分を大切に信じられるようになりたいです。

考えの幅を超えて、自分軸を大切にしていくために日常的に行えることはありますか?

なんでもアドバイスいただきたいと思います。
おねがいします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正見 自分の考え越しにものを観ない

見えること、聞こえる事、五感で体感することは真実ですから、信じようと信じまいと誰でもの❝確かな❞様子です。
確かな事実ですから、そこに信じるも信じないもありません。
たとえば私の目の前には今、ハエが飛んでいて、子供がドタドタと歩き回っています。
これは信じようが信じまいが「確かな事」です。
もし、そこに余分な私的はからいを起こして、ああ、邪魔なハエめ、こらこら足音がうるさいぞ、と自分の都合を起こして問題視すると、たちまち世界はその美しさを失います。
ここでいう美しさを失うとは、人間的なはからいが介入されることを言います。
生きているということはただ、純粋に五感を駆使することだけです。
この五感だけで生きていれば何の迷いもありません。
古代インド人から我々現代日本人にいたるまで全人類は、そこに想念(思い・マインド・思惑)を加える。だから迷いや苦しみが生じるのです。 ⇔ 信
たとえば眼の話だけで申し上げますと、
ものを見る時、
眼は「見る・視る」 ということをしているだけです。
みたものに対して、評価や好き嫌い、コメントを付着させるのはアタマです。
アタマの中では「観る(思う)」ことをしています。
みたものに対して「思いやイメージ」をコピペ、ペーストします。
たとえば「あ、前にみたものだ」とか「また…、いい加減うんざり」という意識は、仏教的には間違ったものの見方です。前の思いを瞬時にコピペしてるんです。
目玉や耳は、今日初めてそれを体験しているはずです。それが正見、正聞、正体験とでもいうべきものの受け止め方です。
目玉でみるのは、私的意識はありません。好き嫌いもありません。
見たくないものがあっても、目玉には映ったトタンに見てしまいます。
これは当たり前のように感じないでください。禅・仏教において究極的なポイントなのです。
❝眼は好き嫌いをしない❞
❝眼は思う前にそのものを映し出す❞
❝眼は心で素直になろうとせずともそれ以上に素直にものを見る❞
ここで気づいて頂きたいのは、目は考えとは独立していて、ものを24時間、映し続けている、ということです。そしてそこに思いの上でやるような好き嫌いや、良い悪いを持ち込まない、という在り方でものを見ているということです。
自分の思いを持ち込まずにものを見る。聞く、話す、過ごす。
考えではないのですから、自分軸そのものでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

信じるって難しい。

あゆみさん

10代で「自分を信じる」とか「自分軸?」というようなことについて考えられるってすごいですね。
私は10代の頃考えたことなかったように気がします。笑

自分ってなんなんでしょうか。

ちなみに仏教では、私が考えているような私は存在しないと言うようです。
仮に、いま、こうしてここにある、というような感じです。

ですので、質問の答えは大変難しいのですが、考えの幅を超えて、自分軸を大切にしていくには、

・自分という確か存在はないということを知る。
・確かな存在はないのだけれども、さまざまな影響(ご縁)の中に生きている、という事を知る。
・ご縁の中にある自分を精一杯生きる。

ということが大事なのかなぁという気はします。
特に、精一杯生きるということが、日常の行いになってくると思います。

いかがでしょうか。

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有り難し
おきもち

好きな食べ物はスイカです。

自信について

あゆみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自分を信ずることができれば、それが「自信」ということになります。ですので、これが自分というアイデンティティーを成り立たしめているもの(例えば、目標、夢への取り組み、できること、得意なことや技量、資格等)を確立させていくことが、やがて「自信」へと繋がっていくのではないだろうかと存じております。

あゆみ様にも、目標や夢がありますでしょう。。いずれにしましても、自信というものは、その目標や夢、より良い人生や幸せという結果へと向けての一つの条件や原因としていくべきものであって、それは日々の精進努力を抜きにして成り立つものではありません。仏教でもこの因果の法は何事を考える上でも大前提となってございます。

それと、「考えの幅を超えて」ということが少し気になりましたが、例えば、何か幸運や偶然の突発的な出来事による変化を期待するのではなくて、しっかりとご自身の思考の中で思い描いておられる結果へと向けて、同じくご自身の思考の範囲内にて、現実においてできることをできるだけコツコツと取り組んでいかれるようになさられるのが、やはり良いのではないだろうかと存じております。

また、自信につきましては、これまでにも下記の各問いに回答させて頂いておりますのでご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自信

また、同じような問いと致しましては、下記のようにお答えをさせて頂いております。

問い「どうすれば自信がつきますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972293.html

「・・あなたご自身も、元々優劣はありません。優劣は、ただ色々な関係性の中において一応は相対的に判断ができるものの、実体として、固定して捉えることができないものであります。あなたご自身はあくまでもあなたご自身として、現実に即してやれること、できることで頑張っていかなければならないのであります。・・」

上記のことは、既に石橋晃倫様もおっしゃておられることにある程度近いのではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

簡単な方法は・・・。

 取り敢えず、簡単な方法は一言でいうと「自分を大切に思っている人を大切にする。」ことです。
後、ワシは禅宗の僧侶ですので、坐禅会に近くのお寺に行くことです。探してみて下さい。

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おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ