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信じる、自分を、そのために

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自分を大切に信じられるようになりたいです。

考えの幅を超えて、自分軸を大切にしていくために日常的に行えることはありますか?

なんでもアドバイスいただきたいと思います。
おねがいします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正見 自分の考え越しにものを観ない

見えること、聞こえる事、五感で体感することは真実ですから、信じようと信じまいと誰でもの❝確かな❞様子です。
確かな事実ですから、そこに信じるも信じないもありません。
たとえば私の目の前には今、ハエが飛んでいて、子供がドタドタと歩き回っています。
これは信じようが信じまいが「確かな事」です。
もし、そこに余分な私的はからいを起こして、ああ、邪魔なハエめ、こらこら足音がうるさいぞ、と自分の都合を起こして問題視すると、たちまち世界はその美しさを失います。
ここでいう美しさを失うとは、人間的なはからいが介入されることを言います。
生きているということはただ、純粋に五感を駆使することだけです。
この五感だけで生きていれば何の迷いもありません。
古代インド人から我々現代日本人にいたるまで全人類は、そこに想念(思い・マインド・思惑)を加える。だから迷いや苦しみが生じるのです。 ⇔ 信
たとえば眼の話だけで申し上げますと、
ものを見る時、
眼は「見る・視る」 ということをしているだけです。
みたものに対して、評価や好き嫌い、コメントを付着させるのはアタマです。
アタマの中では「観る(思う)」ことをしています。
みたものに対して「思いやイメージ」をコピペ、ペーストします。
たとえば「あ、前にみたものだ」とか「また…、いい加減うんざり」という意識は、仏教的には間違ったものの見方です。前の思いを瞬時にコピペしてるんです。
目玉や耳は、今日初めてそれを体験しているはずです。それが正見、正聞、正体験とでもいうべきものの受け止め方です。
目玉でみるのは、私的意識はありません。好き嫌いもありません。
見たくないものがあっても、目玉には映ったトタンに見てしまいます。
これは当たり前のように感じないでください。禅・仏教において究極的なポイントなのです。
❝眼は好き嫌いをしない❞
❝眼は思う前にそのものを映し出す❞
❝眼は心で素直になろうとせずともそれ以上に素直にものを見る❞
ここで気づいて頂きたいのは、目は考えとは独立していて、ものを24時間、映し続けている、ということです。そしてそこに思いの上でやるような好き嫌いや、良い悪いを持ち込まない、という在り方でものを見ているということです。
自分の思いを持ち込まずにものを見る。聞く、話す、過ごす。
考えではないのですから、自分軸そのものでしょう。

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おきもち

信じるって難しい。

あゆみさん

10代で「自分を信じる」とか「自分軸?」というようなことについて考えられるってすごいですね。
私は10代の頃考えたことなかったように気がします。笑

自分ってなんなんでしょうか。

ちなみに仏教では、私が考えているような私は存在しないと言うようです。
仮に、いま、こうしてここにある、というような感じです。

ですので、質問の答えは大変難しいのですが、考えの幅を超えて、自分軸を大切にしていくには、

・自分という確か存在はないということを知る。
・確かな存在はないのだけれども、さまざまな影響(ご縁)の中に生きている、という事を知る。
・ご縁の中にある自分を精一杯生きる。

ということが大事なのかなぁという気はします。
特に、精一杯生きるということが、日常の行いになってくると思います。

いかがでしょうか。

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おきもち

好きな食べ物はスイカです。
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自信について

あゆみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自分を信ずることができれば、それが「自信」ということになります。ですので、これが自分というアイデンティティーを成り立たしめているもの(例えば、目標、夢への取り組み、できること、得意なことや技量、資格等)を確立させていくことが、やがて「自信」へと繋がっていくのではないだろうかと存じております。

あゆみ様にも、目標や夢がありますでしょう。。いずれにしましても、自信というものは、その目標や夢、より良い人生や幸せという結果へと向けての一つの条件や原因としていくべきものであって、それは日々の精進努力を抜きにして成り立つものではありません。仏教でもこの因果の法は何事を考える上でも大前提となってございます。

それと、「考えの幅を超えて」ということが少し気になりましたが、例えば、何か幸運や偶然の突発的な出来事による変化を期待するのではなくて、しっかりとご自身の思考の中で思い描いておられる結果へと向けて、同じくご自身の思考の範囲内にて、現実においてできることをできるだけコツコツと取り組んでいかれるようになさられるのが、やはり良いのではないだろうかと存じております。

また、自信につきましては、これまでにも下記の各問いに回答させて頂いておりますのでご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自信

また、同じような問いと致しましては、下記のようにお答えをさせて頂いております。

問い「どうすれば自信がつきますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972293.html

「・・あなたご自身も、元々優劣はありません。優劣は、ただ色々な関係性の中において一応は相対的に判断ができるものの、実体として、固定して捉えることができないものであります。あなたご自身はあくまでもあなたご自身として、現実に即してやれること、できることで頑張っていかなければならないのであります。・・」

上記のことは、既に石橋晃倫様もおっしゃておられることにある程度近いのではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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簡単な方法は・・・。

 取り敢えず、簡単な方法は一言でいうと「自分を大切に思っている人を大切にする。」ことです。
後、ワシは禅宗の僧侶ですので、坐禅会に近くのお寺に行くことです。探してみて下さい。

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おきもち

あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのでは...
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「自分とは・自分を何とかしたい」問答一覧

自分は浮気性なのでしょうか

最近頭から離れないことがあり、ご相談させていただきます。 私には6年お付き合いをしている彼氏がいます。相手からも大切にしてもらっていると感じるし、本当に大好きで結婚したい相手です。誰に何と言われようと浮気や彼氏を裏切ることはしたくないと思っています。 今まで自分は浮気をしたことがないと信じて疑ってきませんでした。 しかし、最近そんなことなかったのかもしれないと悩むようになりました。 きっかけは職場の人たちに、「長く付き合ってきて一回も浮気してないの?結婚してないんだから遊ばないと」と言われたことです。 浮気って結構よくあることなのかなとそこから浮気について考えるようになり、よくわからなくなってきました。 もちろん体の関係は彼氏以外と持ったことないし、自分から他の人に好きだと伝えたことも今の彼氏と並行してお付き合いしたこともないです。 ただ、過去の飲みの席で男の先輩にベタベタしてしまっていたな、とか仲良くしてくれて頼りになる先輩のことを好意的に思っていたのも恋愛的に好きだったと言えるのかも、とか自信がなくなってきました。 また、しつこく言い寄られた際に流されそうになったこともありました。 理性が働き、断り続けて耐えたことでなんの関係にもなりませんでしたが、あれは時間の問題だったかもしれないと思い始めました。実際に少し気になっていた相手でもあったのか、これ以上一緒にいたら好きになってしまうかもしれないと思ったこともあります。 行動に移してはいないけど、心は浮ついていたことが多々あったように思えて仕方ないのです。 そう思い始めると、今後自分は絶対に浮気しないと言い切る自信もなくなってきて、私はすごく不誠実にお付き合いをしているのではないかと彼氏に申し訳なくなります。 飲みの席にはなるべく行かないようにしたり、下手に異性と仲良くなるのも避けたりしていますが自分が信用できません。 私は自分に厳しいだけ? それとも本当に浮気性でどうしようもないのか… 私はおかしいのでしょうか。 自己嫌悪で冷静に考えることができなくなってきました。

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なにが正しいのか、なにをするべきか

 全て無意味に思えてしまいます。哲学的で少し長い話になると思いますが、よろしければ聞いていだたき説法して頂けると幸いです。 自分の生き方の指針が見えません。自分には夢も目標もありません。ただあるのはある経験から得た自分のやるべきことをやるべきだという学びだけです。しかし、私のやるべきこととはなにでしょうか。  「善いことをしよう」と考えたこともあります。しかし、「善いこと」とはなんでしょうか。少し話がそれますが、ボランティアもしたことがあります。しかし、「これは自分が善いことをしたと思い、楽になるための自己満足」だと思いました。要は自分のためなのです。自分は浅はかだと思います。本気で誰かを救うため、例えば国境なき医師団のような紛争地で医療を行うような、勇気も能力も適正もありません。自分のような臆病で繊細で自己も確立できていないような人間が命が関わるのは誰にとっても良い結果はでないと思います。ネガティブで拗ねた考えで自分を卑下しているのではなく、実際に向いている人間にお願いするのが救われる人にとっても良いことだと思います。完全にひねくれた考えがないと言えば嘘になります。しかし、私にとって身の丈にあった「善いこと」とは何でしょうか。 そもそも、世界的に見れば資源は有限で幸せになれる人は限られています。世界がどう転ぼうが不幸せな人がでます。これは大学で経済や経営の勉強をして自分なりに本を読み、世界がそのような構造になってしまっていると考えました。  すると、私は日本に生まれ、両親がおり、世帯収入があり、大学にいけるという世界で幸せになれる席に座っており、その席に座れなかった人からみると加害者とみることができます。すると加害者である私は「善いこと」をしたいという浅はかな自己満足に縋りたいだけの存在であり、私の存在を肯定するには運と弱肉強食の理論でないと辻褄が合わないように思います。しかし、その様な考えはまりにも救いがありません。しかし、このような哲学的な考えが頭をめぐり、何が正しく何を信じればよいか分かりません。正義も悪も人が勝手につくったものであり、全て無意味の様に思います。 私はなにを指針に、なにをすればいいのでしょうか。  

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自分のことで精一杯で人の心が想像できない

(真剣な内容ですが、性的な内容が含まれます) こちらで何度か相談させていただいた方と、先日無事に挙式できました。その後、新婚初夜ということになったのですが、そのことで妻を呆れさせてしまいました。 先に申し上げておくと、私はこれまでそのような経験がなく、当日いきなりそこまで行く可能性もそこまで高くないと考えておりました。妻の誘いで始まり、結局は失敗に終わってしまったわけですが、妻の怒りはそこではありません。 その最中に「ちょっと痛いかな」と言われたので、自分なりに必死に考えて動きを緩慢にしたり方向を変えてみたりしていたのですが、妻曰く「痛いと言ったのに止めてくれなかったのがショックだった。それくらいわかってほしかった」とのことでした。 また、翌日以降にも体調のことや痛みのことを聞かなかったことで、「挙式直後じゃなければ人間性を疑って荷物をまとめて出ていくくらい。失敗したことに怒ってるんじゃなくて、あまりにもわかってなさすぎなのが信じられない。とりあえず勉強して、反省して。30代半ばの女が診断書持って離婚なんて恥ずかしいからしないけど、20代だったらそうしてたよ」と言われました。妻はその後実際に少し体調を崩しています。 以前の質問にも関連するのですが、このように自分なりに考えたことが裏目に出てしまい、他人からすれば「結局自分のことしか考えていない」と思われる(実際にそうなのだと思います)ことが本当に多いです。 後から考えると「確かにそのとおりだ、なぜあのときああしなかったのか」と強く悔やむのですが、そのときには頭が真っ白になったり、一瞬とはいえ極端に楽観的になったり、他者からすれば非常に自分本位な行動を取ったり…もうすぐ30代だというのに、自分があまりにも子供っぽくて情けなく、妻にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。妻は態度こそ温和ですが、実は非常に短気なところがあり、上記のような発言もときどき出ます。いつか愛想を尽かされるのではと怖くて仕方ありません。 妻を怒らせるとき、私にも言い分が無いわけではないのですが、妻からすれば言い訳以外の何物でもなく、弁明も聞きたくないと言われます。根本的には相手の気持ちを汲み切れないところにあるのですが、どうすればそこに気づくことができるのでしょうか。

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自分をコントロールできなくなり、不安です

タイトルが20文字までなので変な感じになりました。 私は数年前からリセット癖が起きています。深夜に唐突にデータを削除したくなり、キーボードの変換からアカウント削除まで本来必要なアプリも消したくなります。 スマホだけならまだいいですが、ミニマリストを目指しているわけじゃないのに連日物を捨ててしまいます。診察券やパスポート、卒業アルバム、ゲーム機…後で後悔する(面倒くさくなる)と分かりきっているはずなのに捨てたくなります。実際パスポート以外は捨て方を調べてから捨てました。結果、診察券(再発行)で後悔しました。 前は期限を決めてそれまでリセット関係の行動を起こさないと自分の中でルールを決めたりしましたが、それも失敗してしまい最近は自分ではどうにもできないんじゃないかと思いつつあります…。 原因に心当たりはあります。 元々几帳面な性格で物が散らかってきたなと思ったらまとめて片付けたり、決めた場所に戻したりしていました。 しかし、それに加えて(最近気づいたのですが)大きな事件・事故が身近に起きると無意識にセルフ終活を始めてしまうんです…。 最近、スクランブル交差点で事故がありましたが、その日私は渋谷で遊んでいました。そしてニュースを見て「あの時長めに寄り道しなかったら遭遇して死んでいたかもしれない…」と思い、3日後には部屋がスッキリしました。 他にもコロナにかかった時や地震があった日など、身の危険を感じたり「いつ死んでもおかしくない」と思ったら即セルフ終活を起こしてしまいます。 あとこれは考えすぎですが、セルフ終活中は「早く捨てないと…(あまり物は無いけど)こんな部屋の状態で遺品整理されて中身を見られたら恥ずかしい!」と思っています…。 そして決まって片付いたりリセットした後後悔するんです…。 (自業自得なのですが)これらのせいで思い出の品と呼べる物はほぼ無く、正直同級生の名前や顔も思い出せない状態になっています。 この悪癖どころではない行動を直すことはできるのでしょうか?

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母性に飢えた私は胎児に戻りたい

お世話になります。 結婚相談所にて婚活中ですが難航しており、ご助言いただきたく失礼します。 元々自分に自信はなく、容姿身長収入等でいわゆる低スペックだと自認しています。それらに加えて相談所のカウンセラーはじめ、周囲から「考えすぎ」「繊細」と評されることが多いです。 先日、素敵な女性とお見合いすることが出来ました。 知性と包容力があり、気遣いも見せてくださり、人として信頼できると感じられる方でした。 翌日、お相手から今後の希望が届いたのですが、結果はあいにく「お断り」でした。 後日相談所に理由を問い合わせたところ、 「受け身に感じられた」 「話を広げようと質問したことに対して、自分のことを話したくない雰囲気を感じた」 といったものでした。 ご縁がなかった事実は仕方ないとして、いま改善できることを探している最中です。 相談所のカウンセラーから「次回以降、話し方に気を付ければいい」というアドバイスはあったのですが、それは表面的な対処に過ぎず、根本的な「自信の獲得」にはならないと感じました。 そこで考えを巡らせたのですが、私が内面に抱えているものが良くないはらたきをしているのでは、と疑っています。 先のお見合いと前後して強いストレスを感じる時期があり、その間、私は「胎児に戻る」妄想を繰り返していました。 守られたい。 一方的に与えられたい。 責任を負いたくない。 ひたすら安心させてほしい。 甘えたい。 甘やかされたまま溺死したい。 生まれる前こそ極楽だとすら思えるのに、なぜ生きて社会で生活することはこんなにも…… 例のお見合いの影響で気付かされた面もありますが、どうやら私は母性に飢えているようです。 女性からは、寛容で穏やか、生活力と協調性、共感性を持つ男だと認められたいと思い描いてはいるのですが、お断りの一件は、私の心の底にうずく幼児退行ならぬ胎児退行願望を見透かされた結果ではないか、そのように考えてしまいます。 巷のコラム等で見聞きする限りでは、私のように甘えの欲求をうまく消化できない成人男性は案外多いのでは?とも思うのですが、何か救済手段はあるのでしょうか。 また、お釈迦様が語ったこととして、母胎回帰の幻想といいますか、そういった内容のお話しはあるのでしょうか。 お知恵を拝借できれば幸いです。 宜しくお願いいたします。

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人への意見や気持ちの伝え方、黒い感情

私は機能不全家庭で育ちました 物心ついた時には父から虐待を受けていて 父は賃貸の家の壁に殴って穴を開けたり 私が自分の気持ちを言ったり 父に蹴られてにらむと なんだその目はともっとやられました 母は私のアザを見て離婚を決めました 私は性同一性障害の傾向があり 体は男ですが女の意識が強く 顔立ちも女っぽかったので学校でもいじめられており 友達はほとんどいませんでした 離婚後転校してからもいじめられました 母はすぐ再婚しました しかし再婚相手が働かなくなり その人も気に入らないと家を破壊する人でした 私は再婚なんてしてほしくなかったし 母と二人でいれれば貧しくても幸せだったんです でも妹が生まれ母は私に当たったり 少しの事で怒る事が増え 私もいじめられていましたが 恥ずかしいし母が心配したり悲しむと思うと言えませんでした その頃から毎日悪夢や霊を見るようになり 夜中に何度も起きたり眠れなくなったため 朝も起きれず学校もいじめがあるから行きたくなく 母と毎朝喧嘩するようになりました 母は再婚相手に何も言えず 私が言おうか?と言っても お願いやめてという人でとにかく事なかれで生きていました 私もそんな母の背中を見たり 意見を言うとキレる父 学校でいじめられて反論すると 大勢で一斉に言い返されたので どこか諦めの気持ちが出てきて 嫌な時ほど笑ったり明るく振舞ったり 相手に意見を言えない人間になりました 関係を持ちたくない人に迫られた時も 自分の気持ちを言うのは悪い事だという意識や 父の暴力のフラッシュバック 相手を傷付けるのではないかという気持ちがあり 自分さえ我慢すればと受け入れてしまった事も多々あります でもそれで今いらない病気をもらってしまったりして 本当に苦しいです でも私の内面が綺麗なのかと言えばそんな事はなく 怒りや黒い感情が渦巻いていて 他者に対して憎しみや殺してやりたいというような気持ちさえあります ただ言えないだけ なので他者に対して言いたい事を言って それで反感を買っても自分を通している人達がすごく輝いて見えるのです そして貝のように自分の気持ちを殺して押し黙ってしまった私より そういう人の方が人生をエンジョイしていて 素の自分で接してもついてきてくれる仲間も多いように感じます どうしたら素直に自分を出せるのでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ