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信じる、自分を、そのために

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有り難し有り難し 25

自分を大切に信じられるようになりたいです。

考えの幅を超えて、自分軸を大切にしていくために日常的に行えることはありますか?

なんでもアドバイスいただきたいと思います。
おねがいします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正見 自分の考え越しにものを観ない

見えること、聞こえる事、五感で体感することは真実ですから、信じようと信じまいと誰でもの❝確かな❞様子です。
確かな事実ですから、そこに信じるも信じないもありません。
たとえば私の目の前には今、ハエが飛んでいて、子供がドタドタと歩き回っています。
これは信じようが信じまいが「確かな事」です。
もし、そこに余分な私的はからいを起こして、ああ、邪魔なハエめ、こらこら足音がうるさいぞ、と自分の都合を起こして問題視すると、たちまち世界はその美しさを失います。
ここでいう美しさを失うとは、人間的なはからいが介入されることを言います。
生きているということはただ、純粋に五感を駆使することだけです。
この五感だけで生きていれば何の迷いもありません。
古代インド人から我々現代日本人にいたるまで全人類は、そこに想念(思い・マインド・思惑)を加える。だから迷いや苦しみが生じるのです。 ⇔ 信
たとえば眼の話だけで申し上げますと、
ものを見る時、
眼は「見る・視る」 ということをしているだけです。
みたものに対して、評価や好き嫌い、コメントを付着させるのはアタマです。
アタマの中では「観る(思う)」ことをしています。
みたものに対して「思いやイメージ」をコピペ、ペーストします。
たとえば「あ、前にみたものだ」とか「また…、いい加減うんざり」という意識は、仏教的には間違ったものの見方です。前の思いを瞬時にコピペしてるんです。
目玉や耳は、今日初めてそれを体験しているはずです。それが正見、正聞、正体験とでもいうべきものの受け止め方です。
目玉でみるのは、私的意識はありません。好き嫌いもありません。
見たくないものがあっても、目玉には映ったトタンに見てしまいます。
これは当たり前のように感じないでください。禅・仏教において究極的なポイントなのです。
❝眼は好き嫌いをしない❞
❝眼は思う前にそのものを映し出す❞
❝眼は心で素直になろうとせずともそれ以上に素直にものを見る❞
ここで気づいて頂きたいのは、目は考えとは独立していて、ものを24時間、映し続けている、ということです。そしてそこに思いの上でやるような好き嫌いや、良い悪いを持ち込まない、という在り方でものを見ているということです。
自分の思いを持ち込まずにものを見る。聞く、話す、過ごす。
考えではないのですから、自分軸そのものでしょう。

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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

信じるって難しい。

あゆみさん

10代で「自分を信じる」とか「自分軸?」というようなことについて考えられるってすごいですね。
私は10代の頃考えたことなかったように気がします。笑

自分ってなんなんでしょうか。

ちなみに仏教では、私が考えているような私は存在しないと言うようです。
仮に、いま、こうしてここにある、というような感じです。

ですので、質問の答えは大変難しいのですが、考えの幅を超えて、自分軸を大切にしていくには、

・自分という確か存在はないということを知る。
・確かな存在はないのだけれども、さまざまな影響(ご縁)の中に生きている、という事を知る。
・ご縁の中にある自分を精一杯生きる。

ということが大事なのかなぁという気はします。
特に、精一杯生きるということが、日常の行いになってくると思います。

いかがでしょうか。

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有り難し
おきもち

好きな食べ物はスイカです。

自信について

あゆみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自分を信ずることができれば、それが「自信」ということになります。ですので、これが自分というアイデンティティーを成り立たしめているもの(例えば、目標、夢への取り組み、できること、得意なことや技量、資格等)を確立させていくことが、やがて「自信」へと繋がっていくのではないだろうかと存じております。

あゆみ様にも、目標や夢がありますでしょう。。いずれにしましても、自信というものは、その目標や夢、より良い人生や幸せという結果へと向けての一つの条件や原因としていくべきものであって、それは日々の精進努力を抜きにして成り立つものではありません。仏教でもこの因果の法は何事を考える上でも大前提となってございます。

それと、「考えの幅を超えて」ということが少し気になりましたが、例えば、何か幸運や偶然の突発的な出来事による変化を期待するのではなくて、しっかりとご自身の思考の中で思い描いておられる結果へと向けて、同じくご自身の思考の範囲内にて、現実においてできることをできるだけコツコツと取り組んでいかれるようになさられるのが、やはり良いのではないだろうかと存じております。

また、自信につきましては、これまでにも下記の各問いに回答させて頂いておりますのでご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自信

また、同じような問いと致しましては、下記のようにお答えをさせて頂いております。

問い「どうすれば自信がつきますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972293.html

「・・あなたご自身も、元々優劣はありません。優劣は、ただ色々な関係性の中において一応は相対的に判断ができるものの、実体として、固定して捉えることができないものであります。あなたご自身はあくまでもあなたご自身として、現実に即してやれること、できることで頑張っていかなければならないのであります。・・」

上記のことは、既に石橋晃倫様もおっしゃておられることにある程度近いのではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

簡単な方法は・・・。

 取り敢えず、簡単な方法は一言でいうと「自分を大切に思っている人を大切にする。」ことです。
後、ワシは禅宗の僧侶ですので、坐禅会に近くのお寺に行くことです。探してみて下さい。

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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「自分とは・自分を何とかしたい」問答一覧

自分の長所は「歪み」なのか?

朝からビジネス書を読んでいて、精神医学と鬱の話が載っていて、その中に「認知の歪みは鬱になる」とありました。 さらに読み進めていくと、「他人から褒められた時に自分を実際以上に過小評価したり、自分が失敗した時に自分のミスを過大評価する考え方は認知の歪みで鬱になりやすい」とありました。 私は、地方の所謂進学校を出て都会の一応一流大学(旧帝大クラス)に入り、非正規ではありますが職に就き、それをリタイアして音楽活動を続けていますが、自分に対する褒め言葉を過大評価し過ぎず自分の失敗に対して過小評価し過ぎず大変厳しく自分を律してきたので、一流大学にも入れたし非正規でも働けてリタイアするだけの貯金も作れたし、歳を取って始めた音楽活動も10年以上続けてこれたのです。 そういう私の長所というか誇りにしてきた考え方を単に「歪んでる」みたいな言葉で相対化されて凹んでいます。 私の生き方は鬱を引き起こすのか?と。 確かに学生時代に、色々な用事を引き受け過ぎて精神的過労から3ヶ月ほど休学したことはありますが、それを1年くらいでリカバーして一流大学に合格しました。 何か、鬱を嫌い気楽に生きたほうが生きるのには楽、みたいな風潮はありますが、私はそれだと凄く退屈な日常で飽きてしまって何かやり出すと思います。 今でも他の人から見ればストイックであまり休まない日々ですが鬱にはなってはいません。 こういう、精神医学とか心理学系の著者が人間が本来持っている精神力とかバイタリティを相対化して茶化す言葉の使い方は、何か言葉そのものを貶めているような嫌な感覚があります。 人の営為を「歪んでいる」と脅して「お前は病んでいる」と診断して合理的や科学的な視点だけで人間存在を割り切る姿勢には凄く違和感があるし、たとえ言論の自由だとはいえ大手出版社が自分たちの著作で取り上げて人を傷つける意義があるのか、さっぱり分かりません。

有り難し有り難し 13
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自分で決めたはずなのに破ってしまいました

過去に中絶の経験があります。あるきっかけがあるまでは、記憶の片隅に追いやり忘れようとして、実際に忘れているときもありました。 その後月日は流れ、別の方と結婚をして、待望の妊娠をしましたが流産となりました。 そのときに、流産となってしまった子にごめんねという気持ちと共に、堕胎した子に対しても奇跡的に私の元に宿ってくれた命だったのに堕胎した上に忘れるだなんて、なんてことをしてきてしまったのだろうと強く思い、二人の供養のために写経を始めました。 月に1回、二人の月命日のうち早い方である堕胎した子の月命日までに写経をし、手を合わすことにしていました。1年ほど続けたら、2人の祥月命日の年2回にしてずっと続けていこうと思っていました。 そうやって数ヶ月、自分なりに供養をしていたのですが。。。 今月、気づいたらその日を2日も過ぎていました。 昨今の事情もあり仕事で忙殺されていた、と言い訳するのは簡単ですが、忙しいというだけで忘れていい事ではないと思うのです。写経以外にも、毎晩、できる時には朝も、亡くなった家族や先祖代々の皆様に手を合わせていますが、その時に水子にも呼びかけていたにも関わらず、水子供養のための写経を完全に忘れる。これでは毎日手を合わせていたのもただの習慣に成り下がっていたのではないかと罪悪感でいっぱいです。 しかも特に今月は堕胎した子の祥月命日でした。よりにもよって祥月命日の供養を忘れるなんて。 実は祥月命日と私にとって大切な日が同じ日なので、忘れようとしていた期間でも思い出したりしていたのですが、今年に限って全く思い出しませんでした。 この供養が本当に二人のことを思ってやっていたことなのか、罪悪感から逃れるため自分のためにやっていたのか。。本当に二人のことを思っていたら忘れたりしませんよね。 遅れてしまった供養でも大丈夫なのでしょうか。自分で決めた供養すら忘れる、しかも年1回の祥月命日に限って忘れる私を許してくれるでしょうか。堕胎してしまった子からすれば、今まで長い間記憶の隅に追いやって、向き合い始めたと思ったらまた祥月命日を忘れるだなんてとんでもない仕打ちをしてしまったように思います。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

自分自身が生み出す不安を上手く抑えたい

こんばんは。初めて質問させていただきます。 私はとても心配性で臆病で、特に他人の意見やネットでの悪意や憎しみ、嘲りを醸し出した顔も知らない人々の言葉を上手く受け流すことが難しいです。 最近は自身がもうすぐ就く職業が給料が低い、トラブルが多い、残業も多い、転職推奨と不評が多いのが二、三ヶ月の間ずっと気になってしまっています。そしてさらに良くないことに自分は不安をより多くの情報で収めようとする所があるので、不安を抑えるべくネットを見ては何憂もしさらに不安を増幅させるという馬鹿らしいことを繰り返してしまいます。自分がやりたかったことも「資格を取ることは仕事が出来ない人間がしがちだ」というネットの言葉を見て少し躊躇してしまっています。自分の人生なのに……。家族にも、特に性格のサバサバした母には「貴方が悲しそうだと段々こちらも疲れていってしまう。悲しくなるくらいならきっぱりとそんなものは見なければいい」と一喝されてしまいました。全くその通りで、本当に申し訳ない限りです……。 この様々な情報が溢れるネット社会において、人の意見やネットの言葉に振り回されない人間になるにはどのような考えを持ったらいいでしょうか。習慣でも何でも構いません。何卒ご助言頂けると幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

自分の世間知らず加減に腹が立ちます

自分自身の世間知らずの無さに腹が立ちます。というか呆れてしまいます。 よく親や年上の方々にテレビを見ろ、ニュースを見ろ、本を読めと10代の頃は言われました。 20歳になったのを機に、せめてニュース位は見ようと決意したのですが、暗いニュースばかり、しかも不倫報道に関してはもうこれ以上要らないと思う程に長い間報道されていて、何でこんなニュース見ないといけなのか…と病んでしまいました。今はニュースを見ない時もありますが、数年かけてやっと耐性が付いてきました。 芸能人の顔は分かっても名前がなかなか覚えられず、周りの他人との話題にもうまく乗れませんでした。主人と出会った頃もお笑い芸人や俳優の話をされてもこれっぽっちも分からず、電車もあまり乗った事が無く、地名や駅名を言われてもさっぱりで、地元の地名(市町村より先の名称、その場所)もあやふやで、自分がどれだけ狭い世界で生きていたのかを痛感させられました。 それから少しずつTV番組を面白くもつまらなくても観るようになり、好きな番組を見つけて見ています。暇な時は一人で地元を散歩してどこに何があるのかを知るのを趣味みたいにしています。本も、小説は読むの苦手ですが気になったものは読んでみる事にしてみました。ですが読むと感情移入…感化され過ぎて読み終えた後になんか自分が自分じゃなくなってしまう感じがして苦手です。 20半ばになってやっと芸能人や最近流行ってるもの、今世の中で何が起こっているのか人並みにわかる様になってきた気がします。最近他人と話していてもあ、ちゃんと話題に乗れている、とホッとしています。でもまだ知らない事は多いなぁとも思います。 世間を知るという事は最低何ををどのくらい知っておく必要があるのでしょうか。

有り難し有り難し 6
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年齢的に危険だと言われている自分の葛藤

人を裏切りたくなくてがんばって尽くしたら逆に裏切られ、配慮したら配慮自体がお前のせいだから謝れとか、すごく気を使って接することに疲れました。 極度の神経質なんでしょうね。 仕事もしっかりやって、気を使ってるのに職場で悪口を言われ、おそらく変な人なんでしょうね。 捉え方が自分でも周囲と違うと自覚があります。自己防衛のために、引きつった笑顔だけ振りまいて、本当に性格の悪いことを悶々と考えて、物にあたったりしています。ダメだなと思う心と葛藤していて、本当につらいです。 何も感じずのうのうと生きている人たちがうらやましいです。私のように、実は純粋に平和を願って、純粋に周囲の人々の平穏な毎日を願い、マナーをもって、法を守り、真面目に生きているのに、それでもいやな思いばかりしかできないのは、世の中が悪いとさえ思ってしまいます。こんなこと、思っちゃだめですよね。でも、自分には、気持ちが戻るエネルギーやきっかけがない。前向きになれない。 死ぬわけにはいかない、でも、このつらくて苦しいところからどうやって抜け出せるんでしょうか?もう、自分のイヤな部分や考え方をする自分とは決別したいのにできない。 やはり私は変わっている人間なんでしょうか?世の中の害難でしょうか。

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