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勘違いされて辛いです

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有り難し有り難し 9

今の会社で、頑張っても報われないなぁと思っていたら、わたしは言っていることが伝わらないアスペルガーな人で、コミュニケーションの取れない変人と、上の人たちは思い込んでいるようです。

コミュニケーションコミュニケーションと言うが、何をすればいいのかと尋ねれば「挨拶」と言われましたが、挨拶しても無視されます。でも、無視しているのはわたしの方だとのこと。
言っていることが伝わらないと判断した上司には心当たりがあります。その人のもとにいた時は、そりが合わず不思議とミスが多くて、自分でも本当に不思議で、鬱になりました。その上司はわたしを辞めさせるのに躍起していました。
その上司の評価が一人歩きし、みんな「はるかは人の言っていることがわからない変人」という色眼鏡でしか見ないようになりました。
実際には、上司たちはみんなニヤニヤしながら奥歯にものが挟まったような物の言い方しかせず、こちらがいくら「こうですか?ああですか?」と聞いてもはぐらかし、駄目出しだけはきっちりやる、といった感じなので、取り付く島がない状態です。
先輩たちも3割くらいは教えてくれますが、10やらないとバカにします。
そのくせこちらが丁寧に指導して相手が間違えると、全部わたしが悪いことになります。
人間関係改善の本を読んだりしましたが、もう疲れました。
頑張っても報われないし、こじれるだけなのですから。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こちら(自分スタイルにこだわり)が無ければ対応は自由に効く

「人からどう思われているかを変える事は世界中のゴキブリを死滅させることより難しい」と、仏典ではなくトイレの日めくりカレンダーに書いてあります。
これは推測ですが、単に、愛嬌が無いから煙たがられているのではないかと思います。間違っていたらごめんなさいね。w(._. )w
知人の女性がいってました。
「男性主導の会社で生き残るために一番必要な事は、仕事のスキルより愛嬌。
シタテに出る事なのよ。相手に合わせる事や、男性のプライドをよく熟知して、男性のプライドや自尊心を傷つけないように過ごすことがオトコばかりの会社で生き残るために一番必要な事♡」
修行道場にも、そっけない人間、協調性に欠ける人間は嫌われ、煙たがられていました。
自分のことが最優先されて、周りとの調和がウマく取れないと浮いたり、衝突したり、厄介者扱いされるのです。これは尼僧堂でも同じだそうです。
「木魚や鐘なんて誰でもできる。それより人間関係の調和。出家したいという女性の半数は既に社会、会社で不適合な人が多いので、それがちゃんとできない人は尼僧堂でも受け入れないようにしています」と知り合いの尼さんが。
組織の中で「力を持っている人たちのグループ」ってすでに出来上がっていると思うのです。その「グループ」にうまく溶け込むように身を処していかないと❝浮いている者扱い❞されてしまうのが、どこの業界でも共通の暗黙のルールだということです。イヤーよね、ホント。
それはさておき、その苦手な方にお茶でも毎日入れて、冷静に3分話せるようになった方が手っ取り早いです。それこそコミュ二ケーションです。
これは処世術ですが
「その組織で力を持った上司・同僚がアナタから見る度量・器の小さい人であるとする。その器の小さい相手に対してこちらが正論で向っていっても、こちらが損をするだけである。そういう相手に最も効果的なのは❝降参❞の意思を示す事である。自分の方が劣っていると装いでも良い、自分があなたの部下である、立場が下であることを謙譲、謙遜を込めて示しなさい。問題は即時に解決されましょう。」
私だったら、すべての男性の秘書になるつもりで接すると思います。
女性から見て、あの男性社員の対応ってステキ♡というのがあるように男性からイイね♡と思われる対応ってあるものです。あまり難しく考えずに、柔らかに、柔軟に、フレキシブルに、臨機応変に。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下様ありがとうございます。

確かに愛嬌のあるタイプではないです。
ただ、明るくニコニコ接すると勘違い男が発生するので、加減が難しいです。

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