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家族の事で悩んでいます。

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有り難し有り難し 24

家族と仲良くなれず悩んでます

母親を中心に家族全員
真如苑
と言う
宗教にはまっており
自分ははまれず
家族と疎遠です。

やめてもらいたいと
言っても
それぞれ考えが違うと言うだけであり

やめる気はありません

母親の「趣味」とみなし
何年か実家にかえったり
親孝行してみましたが

考えや意見が合わないのもあり
どうしても
母親が理解できず
また四年くらい疎遠です。

自分と仲が悪くなることは
宗教によりのめり込む原因

どんどん資金源になっている事も悔しいです

どうせ
息子と疎遠なのは
過去の因縁がどう とかって
うまい事言われている事でしょう…

母親は自分と同じで
意地の塊なので
絶対に折れません

私自身も考えをかえないので
ずーっと平行線です

「ずっと平行線だね」と思いをつづった手紙を書いても
無視をされてます。

そんな状態なので
なおさら自分も
意地をはり
疎遠になってます。

仲良くしたいのに
できない
毎日思っているのにつらいです

でも自分から
謝ったり近づく事は
もうしません

したくありません
これは間違っていますか?

理解し、親子関係を復活させるには
自分も宗教にはいらなければダメなのでしょうか?

ちなみ父親とはあまり喋ったこともなく
母親の完全ないいなりです。
父も少し普通ではないです。

両親2人共おかしいんですけど
自分の親なので
親孝行したいんですが

自分からはもう折れたくありません

どうしたら良いのかわからなく毎日考えていてウンザリします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その信仰宗教よりも大きな宗教性をもって母を救う

私だったら、の話を致します。
一度、その会に参加してみることです。
もちろん信教の自由はありますから、あなたはあなたの信じる道があるでしょうからあまり深く首を突っ込まなくていいでしょう。皆で勉強会のようなものがあると思います。
そういう席に母親とでて、あえて皆の前で質問をして見ることです。
「最近母と仲が悪くてうまくいかないのですが、みな様からご助言を頂けますでしょうか。(ToT)今日中にでも仲直りをしたいのです。」もちろん、その宗教のことを悪くいっては全員を敵に回しますから悪く言わないことです。
そうすると向こうサイドの回答があるでしょう。その言葉ならばおかあさんは従わざるを得ないでしょう。
あなたは演技でもいいので方便としてあえてその条件を仮に、一時的に飲む。
それをすることで、おかあさんは子供が素直に言う事を聞いてくれた、とスッキリするでしょう。
ところが、もちろん本心は別にあります。これはおかあさん奪還計画の一つですから。
あなたはあなたでその宗教よりも大きな宗教心でお母さんをすくい上げる行為をしたという事です。
そういう姿勢を貫かなければいけない。敵対すればどんどんお母さんが飲みこまれる。世の中の多くの人は「条件付け」「理由付け」でかたくなな心が解きほぐされるものです。
あなたのお母さんにとってあなたを赦す条件付けはその新興宗教を入るは要らないは別に同意することです。
もちろん、同意したくはないでしょうが。
ですが、純粋な人間の心理として、自分が信じているものは自分自身と同じと言ってもいいくらいですから、それを否定することが実はあなたがお母さんからより一層反発されてしまっている原因の一つなのかもしれません。
まずは、あえて、外堀から埋めていくように、お母さんと一緒に行動をして見る事です。
10%のズレがあっても90%でつながっていることです。
49%でズレがあっても51%であなたの方が母と色濃くつながっているべきです。
その度量があなたの「母を赦す」というあなた自身の宗教心の芽生え、始まりです。
〇〇教、仏教でなければならない、ということなどありません。
あなたがあなたの母をあなた個人として包み込む。それがあなたのあなただけの世界一大きな宗教心です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます

否定している事で
より反発を産んでいたのですね

会に参加もした事あるんですが
どうも馴染めず…

会いたいけど
これ以上は近寄りたくもありません
もうほっておきます

親が死んだら死んだ
親孝行ができないまま
親が死んだり自分が先に死んだりしても

全部自分の人生です。
後悔して
死ぬのも自分の人生です

親は親の人生です。

僕の人生では
子供も結婚すらできるかわかりませんが
できたら
反面教師で
大きな愛で大切にしていきたいです。

ありがとうございました

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