誰とも関わらず自分のことだけ考えるのは間違いでしょうか?
私は関西から知り合いのいない福島県に嫁ぎ10年以上主人や姑、小姑、その娘のために尽くして来ました。震災の際には自分の実家にみんなを連れて避難し、飛行機の手配から実家での世話まですべてしました。箸1本運ばせてもいません。それなのにここに書ききれないくらいのひどい仕打ちを受けましたが主人に何を言ってもお前が悪い!お袋は間違ってない!といいます。これも嫁姑の関係、しょうがないと諦めもしていますが、実家に帰っても今度は実の妹(独身で母と同居)が何かにつけ言いがかりをつけ自室に閉じこもって何日も出てきません。実家に帰ったからと言ってのんびりできる訳でもなく親孝行だと家の用事を一生懸命して年2回の帰省、楽しくみんなでと思って動いているのに、今年のお正月も大晦日突然切れて部屋に篭もり母が呼びに行っても罵声を浴びせる、泣き喚く、母が持っていった赤飯のおむすびも食べず1度も出てきませんでした。認知症の始まってる母にこれ以上の心労をかけるのも嫌で早めに帰省を切り上げて帰ってきました。さかのぼれば私の結婚式の数日前にも妹は切れて結婚式には出ませんでした。
余程私が楽しそうなのが気に入らないのでしょう。母は私が帰ってくるのをいつも楽しみに待っていてくれるので年2回だけの帰省ということで長めに帰っていました。昨年は母が胆石で入院したので妹の仕事に影響ないように帰省して看病もしました。震災のときに主人の家族や6人も連れてお世話になったその恩返しだとつくしましたがそれももうやめにしようと思います。どちらの親兄弟のために一生懸命尽くしても結局最後は悪者になってしまう、主人だけでも味方になってくれれば耐えられもしたでしょうがそれも望めない。私の中で何かが崩壊しました。感謝して欲しいわけじゃないです。恩着せがましくしてるつもりもありません。ただみんながうまくいくように心を砕いてるだけなのに、やはり私が間違えてるのでしょうか?主人が言うようにやり過ぎですか?こちらから困りごとはないか聞いて回ってるわけじゃないんです。でも「ご相談」といってみんな困ったときだけ擦り寄ってくる。もう全部断って自分の生活だけに専念してはいけませんか?自分の親にも寂しい思いをさせるのは辛いですが帰省は今後はしないつもりでいます。どうか何が正しいのか御導きください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人に何も期待しないことです。
あなたの環境や状況は、本当に苦しく厳しい状況であったし、これからもそうした環境に大きな変化があるとも思えません。おっかなびっくり、平行棒の上を歩いているような感じでしょうか。実家も婚家もどちらも理解者がいない。お母さまだけですよね、そんな感じがします。結婚式に出ない妹さん、震災で散々な思いをしながら、精一杯尽くしてきたのに、何という仕打ちなんだろうと、思います。そんな世間一般からみたらかなり非常識な方々があなたに、お世話になってありがとう!と感謝すると思いますか?私はこの人たちからはありえないと思いますよ。砂漠に雪が降るようなことを期待しても仕方がないですよ。依頼を受けないことはしない。徹底したらいいんです。人の気持ちは変えられませんが、あなた自身の気持ちは変えられますよ。私は不惜身命ふしゃくしんみょう、と言って仕事や作業をするのは、すべて自分のため、運動になった、経験を積めた、自分のためだから、お礼もいらないのです。そのようにお考えを転換することはできませんか?佐藤師がリフレッシュが大切だとおっしゃっていますが、私ばかりが苦労していると、縛られていて身動きができなくなっていらっしゃる自分自身の気持ちを解放することも大事なように思えます。私ばかりが、と思う心も執着ですからね。サラッと、自分自身の気持ちを大事にして、そういう雑言を受け流していくと、遥かに軽くなりますよ。私は疲れると、副住職のチワワ大吉くんと散歩します。爽やかですよ。まずは気分転換をはかりましょう。お幸せを祈っています。浄光寺
宗教の出番かも。
こんにちは。質問を途中まで読んでいて、「あれ、妹さんのこと・旦那さんのことを”自分のことだけ〜”と考えているだろうに、それを改めて”間違いでしょうか?”とはいかに?」とか考えていたのですが、自分自身がそういった束縛から離れて(=自分の事だけ考えて)しまいたいが如何か?というご質問なのですね。
丁度今日から伊勢志摩サミットが始まりました。江戸時代から「一生に一度はお伊勢参り」と、ものすごいポピュラーな観光地だったのですね。なんでも、最盛期には年間で「6人に1人」がお参りしたそうですから驚きです。
さて、「では江戸時代の人達は、それだけ信心深かったのだ」と思うと…さにあらず。いろいろ観光だのグルメだのしていたようです…つまり、リフレッシュ。周りの人達には「お参りに行って、みんなの無事を祈ってきます」とは言うものの、そして実際少しはするでしょうけれど、実体としてはリフレッシュだった…ようです。
私も実は昨年末、一週間ひとりで外国へ行ってきました。英語の勉強とかもしましたが、実体はリフレッシュだったかなと思います。しかし、確実に一回り大きな視野を手に入れてきたと思いますよ。
ですからね、周りは当然反対するでしょうけれど、リフレッシュ旅行をお勧めします。「私、このままじゃ滅入って狂っちゃう」くらい言っても構いません。その替わり、その間に親が死んでも後悔しない。それだけしがらみを断ち切って、で戻ってきたらまた同じように働く。改めて色々と溜まってくるでしょうから、そうしたら又行く。そして帰ってくる。
「宗教かも」と書いたのは「大義名分」ということ。ここhasunohaの趣旨で使うのとは異なったやり方ですけれど、これもまた、日本の知恵だと思います。
ご自身がやりたいことって思い出せますか?
tomokoさま
こんにちは
ここに出ているtomokoさんの想いは
きっと氷山の一角なんでしょうね。。。
書き尽くせない想いの方を私は強く感じました。
きっと私みたいな若輩者には分かりもしない
苦労と努力と我慢をされてこられたんですね。
それでもなお
『何が正しいのか』
を最後の一文に書かれていますので
そこにだけ、私なりのことをお伝えしたいと思います。
tomokoさん自身がやりたいことって何ですか?
ご相談には
「楽しくみんなでと思って動いている」
「母は私が帰ってくるのをいつも楽しみに待っていてくれるので年2回だけの帰省」
「ただみんながうまくいくように」
これって全部、”誰かの為”ですよね
本当に心から尊敬できるほど
すべての文章が”誰かの為”です
そしてその結果が
「私の中で何かが崩壊しました」
そうなりますよね・・・。
頑張って頑張って、みんなの為を思ってるのに、なんで!?
ってなりますよね・・・。
・・・・・
けど、僕には
それがやっぱり”普通”だと思うんです。
だって心の底からtomokoさん自身が
やりたいことじゃないんですもの。
自己犠牲の心ベースの他人への貢献って
とんでもないくらい自己愛が深くて
初めて成立することだと僕は思ってます。
みんなそこまで頑張れないです。
だから、自分の好きなことするんです。
けど、きっと10年以上も頑張り過ぎてらっしゃるので
今すぐこれを読んだからと言って
「私はこれやりたい!」って
見つからないかもしれません。
けど、そんなtomokoさんだからこそ
少しお風呂の時間でも
お手洗いの時間でも
ちょっとの時間でいいので
「私、自身が、やりたかったことってなんだっけ??」
って考えて欲しいです。
それが、ぜーーーーーんぶの問題の
土台を強〜くするエネルギーになると思います。
若輩がおこがましく書いてますが
何か、少しでも、少しでも
変化のきっかけになればと思います。
tomokoさんの人生が少しでも
好転することを願っております^^
また時間があったら
『だてりゅうほう』のYouTubeも
見てください^^
色々人生のヒントをしゃべってます^^
http://bit.ly/1JXVj41
( ↑ ここからでもYouTubeに移れます)
自分の幸せがみんなの幸せ。
カウンセラー見習いの女子プロレスラー僧侶の雫有希です。
tomokoさんはじめまして!
まずは、福島の震災では、大変なご苦労をされたと思います。
そして、避難された時に家族のための必死になってこられたということでたくさん頑張られたのでしょう。
tomoko さんの言うように
「大変でしたね。」「書ききれない思いを感じました。」などの言葉を頂き気付かされました。私は誰かに分かって欲しかったんですね。
とまでご自分で気づかれたのは大変素晴らしいことだと思います。
ではもう一つ考えてみましょう。
主に日本では自己犠牲が美徳になってますよね。
女性の視点から言えば「内助の功」なんていう言葉があって、夫を支える妻みたいなのが素晴らしい女性のあり方のように言われることがあります。
でもそれって裏を返せば「自己犠牲をしなければ魅力のない女性」と自分で言っているのも同じなんですよね。
女性は自己犠牲をしなければ素晴らしい妻になれないのでしょうか?
もう一つ気がついてほしいのは「自己犠牲をしなくてもtomokoさんは素敵な女性である」と言うことを自分で自分に教えてあげてください。
自分を犠牲にしないと人に振り向かれないと思う気持ちにサヨナラしてみてはいかがですか?
ちなみにこれは私の体験談なんですが、うちの母(住職)はお世話焼きの家元とも言えるような人で、世界お世話焼き選手権優勝候補です(笑)
私が実家から引っ越しをすることになり、引っ越し祝いを引っ越し先でやることになりました。
しかし母からストップが!!(゜ロ゜ノ)ノ
「私が占いで見てもらったら○/△に引っ越しなさい!引っ越し祝いは延期するようみんなに言って。この日に引っ越せばあなたのこれからの運気は上がるのよ!」とあれやこれや。
私からすれば友達の予定や仕事があります。
でも母からすれば私の人生がより良くなるために必死なんですよね。
母の深層心理には何をしてもおばあちゃん(母の母)に誉めてもらえない…てのがあるのも私は知ってます。
私が母に思うこと「お母さんが幸せなのがみんなの幸せ」ってことです。
どうかtomoko さんもご自身の幸せをたくさん願ってください。したらまわりも幸せになれますよ!
大丈夫うまくいきます!
チームtomoko
避難暮らし、大変でしたね。
人数が多いだけにその大変さは計り知れないところですが、箸一本も運ばせていないとはまたスゴイですね。
その手際と文章からも察するに、頭の回転がよくテキパキ動ける頼もしい感じがしました。
姑・小姑・その娘・夫・実母・実妹……チームtomoko。
その中でもできがよすぎるキャプテン。それがtomokoさん。
って、例えるならこんな感じでしょうか。
チームtomokoの代表として日々頑張っていても、どうも他の部員はサボり気味。
まとまりもイマイチ。
他の部員は「どーせキャプテンがなんとかしてくれる」って思いながらも、困ったことがあるとやはり頼れる存在なので頼りにいく。
まぁ、これじゃあキャプテンはストレス溜まりますでしょーねぇ(-_-;)
>>誰とも関わらず自分のことだけ考える
ってことは、キャプテンを放棄するってことですよね。
まぁ、そこまでしないとみんなに伝わらないものもあると思います。
でも
>>ただみんながうまくいくように心を砕いてるだけなのに
ということなので、そう仕切れない想いも見てとれるのです。
>>主人が言うようにやり過ぎですか?
とありますが、キャプテンの役割って全部自分でこなすことじゃありません。
チームtomokoの目指す方針が「みんながうまくいくように」であっても、個人個人の求めるものは違うかもしれません。妹、母親、夫、それぞれ求めていることは違うでしょう。
それをうま~く聞き入れ尊重しながら、全体で目指す方針を同じようにしていくことがキャプテンの役割、、らしいですよ。難しいですねこれって!
でもそれを意識して家族みんなが「うまくいく」ならやりがいはあるかも?
、今まで全部自分でやっていたのなら、今度から指示してやってもらう方針に変えてもいいかもしれません(最初からすぐにやってもらえないかもですが)
何が正しいのかは結局曖昧なままの回答ですが、参考になればと。
ストレスをあまり溜めないようにしてくださいね(^^;)
適度なバランス
tomoko様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
関西人は情に厚い(もちろん一概には言えませんが・・)ところもありますから、何となく世話焼きなtomoko様のことが想像できます・・
色々と嫁ぎ先での気苦労、理解されていないことへの苛立ちも理解できます。
できれば、おっしゃられていますように、誰とも関わらず自分のことだけ考えて過ごしていきたいものではございますが、私たちの世界では、自分独りで生きていくことなどできず、色々とお互いに支え合い、助け合い、分かち合いの中においてでこそ、生かされて生きることのできる存在でございます。
しかし、いくら「情けは人の為ならず」と申しても、その情けに甘えられ過ぎても・・というところはありますよね・・
何事もそうですが、適度なバランスが大切となります。
あまり無理せずに、時には肩の力も抜いて、自分のできることをできるだけで良いかと存じます。
拙生も昔は、ボランティアや奉仕・慈善活動に精力的に取り組んでいた頃がありましたが、ある団体で、お互い様の世界であるにも拘わらず、「私はこれだけしたのに、あいつは全然していない、足りない」、「何で私がこんなにしているのに、おまえらわからんのか」など、みんなそれなりにボランティア・奉仕の志で参加している中で、何と醜い愚かな罵り合いになっているのか・・と幻滅したことがございました・・
とにかく、利他・慈悲の心で成すことは、自分のできる範囲でできたこと、頑張ってやれたことだけを見るようにして、他の人のこと、他の評価はあまり気にしないようにしておくのが良いと、その時に認識致しました。
利他・慈悲の心において、他の為にとして行うこと、お世話事も、大切です。大切ですが、無理せず、必要以上までするものでもなく、自分のできることをできるだけということで、それも、できたことを自分の中で評価してあげるに留めておかれると良いでしょう。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
早速のアドバイスありがとうございます。一時的にリフレッシュの旅に出て、戻ったらまたこれまで通り皆のために尽くせということでしょうか?そしてまた同じ状況になったら旅に出るということですか?すぐに日本制覇出来そうです。
憎しみを抱いた相手のために自分を犠牲にして尽くすとは一体何の修行なんだろう。私が困ったときは誰が助けてくれるのだろう。みんな同じように我慢して生きているのだろうか。こんな風に思うのは私の未熟さゆえなのですね。
しばらく何も考えないでリフレッシュに努めてみます。途中で「ご相談」が来ないことを切に願います。ありがとうございました。
こんなにたくさんのお言葉を頂いてありがとうございます。優しいお言葉に涙が溢れました。自分では感謝してほしい訳じゃないと言いながら「大変でしたね。」「書ききれない思いを感じました。」などの言葉を頂き気付かされました。私は誰かに分かって欲しかったんですね。
人に感謝する事を知らない人達を相手に分かってくれない❗と駄々をこねている子供みたいでした。
これからは人に期待せず不惜身命の心を持ち自分を大切に生きていきます。
好きなことといっても編み物くらいしかないのですが確かに辛いときしばらくの間でも忘れさせてくれました。他にも何か好きになれるものを探してみます。
チームtomokoは解散です。やはりキャプテンは主人にやってもらわないと。そう考えたら気持ちが軽くなりました。
温かいお言葉を下さったご住職の皆様、本当にありがとうございました。自分を大切に自分のために前向きに歩いていきます。
次々にこんな温かいお言葉を頂いて本当にありがとうございます🙇自己犠牲だと思うならやらないこと、これにつきるのかと思いました。自分を大切に、無理しないで、とおっしゃっていただいて心が軽くなりました。私がやらなきゃ誰も動かない、私がやらなきゃやるまでグダグタ言われる、なんだっぺ❗と切れられると半ば強迫観念に襲われる日々でした。嫌いな羊羹を口にねじ込まれそうになったりお腹壊すまでおこわをたべさせられたりそのあとはお茶を何杯も飲まされ断ることは許されませんでした。でもそんな我慢をしても誰も幸せにはならないですよね。まずは自分が幸せになる、これを心がけていきたいと思います。