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今、患ってる病気の苦悩

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有り難し有り難し 14

自分は起立性調節障害という病気です。
この病気は昔はなまけとか言われていたらしいのですが研究でなまけてるひとの中に病気が原因で学校に来れないという人が居るという事が最近、分かったそうです。
そしてその病気が起立性調節障害という最初の分に書いた病気です。

自分は中学一年のある日、突然、朝が起きれなくなって朝に無理やり起きると自分だけ重力が何百倍もかかったような倦怠感に襲われて吐き気もし、強烈な頭痛もし、あまりのしんどさに意識を失う事もありました。
最初の頃は親も何でこんなにしんどいのか分からなかったらしく完全になまけだと思われて色々怒られたりしました。
でも、その後、起立性調節障害という病気だった事が分かって親も理解してくれました。
当然の事、中学校はそれからほとんど行けてません。
人生に一度の中学校をもっと体験したかったなと泣きながら思う時があります。

今は多少、しんどさがマシにはなったんですが夜間の高校でも週に三回行くのが精一杯です。
単位も取れずにいつ高校を卒業できるか分からない状況です。
同級生は高校を卒業して進学なり就職なりしてる人が大半です。
そうなると皆が羨ましくなって逆に辛くなります。
何で自分はこういう人生なんだろうと思う時もあります。
免疫力が弱いのか急性胃腸炎を二回もなって、そのうち一回は死にかけるほど苦しみました。意識を失ったことは経験したのですが意識を失って死ぬ直前まで目の前がブラックアウトしたのは初めてでした。

この病気になってから辛い事が多すぎて死にたくなる時もあります。
それに吃音も持っているのですが小学校の頃、喋っただけで笑われたり目の前で真似されたりと、という事がトラウマになったりと対人恐怖症も若干、持ち合わせております。
学校に行ってない日はYouTubeでマックスむらいさんという見てるだけで勇気を貰えるような人が居るのですがその人の動画を見て癒されて思いっきり笑って心をギリギリ保ってるような状況です。

でも、この先、仕事とかすることになるんだよなぁと考えると不安で不安で仕方ありません。
人との付き合いも難しい所もあるのでそういう事を考えると胸が強烈に苦しくなるときがあります。
こんな自分でも幸せな人生を送れますかね?
良い人に出会えますかね?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなただからわかる「苦しさ・辛さ」

わたしには、あなたの苦しさのほんのわずかもわかりません。
なさけない限りです。
おつらいことと存じます。そんななか、ニコニコ動画でしょうか。
マックスむらいさんの姿に勇気を得ている、それは、
苦しいなかだからこそ、勇気って、こういうことなんだろうかと、
思える瞬間なのかもしれません。

ここに書き込みして頂き、わたしはそのような障害を知りました。
きっと、おなじように苦しむひとたちが、沢山いるのだろうと
思いました。

あなたは、そういったひとたちの苦しみを、わかるひとなのだと
思うのです。それは、おなじ病気の人たちには、ものすごく
勇気を与えられることなのではないでしょうか。

「つらいね。大変だったね。苦しかったね。」
わたしが言うよりも、あなたが言ったときの、ことのはの力は、
何倍も大きいものとなるのではないか、そのように思うのです。

でも、現在進行形の御自身の御病気がそれで治るわけではないのだと
思います。

これは、わたしの尊敬する人の言葉です。
「わたしは、あしたの天気もわからない。だから天気予報を見ます。
ひとが死んだとしても、あしたの事はわかりません。

2011年、3月10日、この日本で、だれか霊能力者や予知能力者と
いわれる人たちが、『あした、地震がくるぞ!!沿岸部の人たちはみな逃げろ!!』
と、こぞって叫んでいたならば、あのような悲しみはなかったはず。
でもだれもわからなかった。明日はわからないのです。

でも、わたしにはひとつだけ、確信できるものがあります。
それは「明日はきっと来る。明日はいい日になる」そう信じることです。
それで叶わなかったとしても、その日の最後にはまたもういちど、
「明日はきっと来る。いい日になる」と、信じるのです。」

あなたの内にある、病気と付き合い、克服するちからが
必ず発揮されることを、わたしは信じています。
そしていつか、いっぱいの幸いがあなたを包みこんで行く事を
わたしは祈ります。幸あれ幸あれ。合掌

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有り難し
おきもち

不完全の全肯定

あなたは自分の不完全をちゃんと認識して、そこに向き合っていこうとされています。それは素晴らしいことです。なかなかできる事ではありません。
それを認める事さえちゃんとできればいくらでも立ち直れます。一歩ずつ歩みを幸せ、安心という本拠地に進めることはできますからご安心ください。
フラッシュバック、トラウマも克服することはできます。
その克服法と致しましては、過去の記憶が浮かんだ時に、その思いを打ち上げ花火のように、眺めるだけにすることです。打ち上げられて開いた花火は必ず、消えます。必ず消滅します。
第一発目に出てくる思いには、よいわるいは関係なく、全自動で出てくるものです。
そのぜんじどうで出てきたトラウマな思い、フラッシュバックな思いの打ち上げ花火に対して、あなたが主体性を持って関わらない、触らない、取り上げないようにすることです。
ニュースでも取り上げる記事は決まっています。
報道しなくても良いニュースもあります。
わざわざピックアップしなくても良いことはあります。
ある映画監督に記者が尋ねました。
「アナタの映画の中で最高傑作は?」
「これから作るものに決まってるだろ」と。
フラッシュバック、トラウマは、過去です。
それに対する評価は今、下すものです。
わたしは過去の苦い経験の全てを自分を支えてくれた、成長させてくれた、育ててくれた機縁としています。そこにネガティブ意識を伴わせないようにしています。
いつかはいずれ死ぬ身ですし、老病は避けられませんが、そこにもネガティブ意識を添えることはありません。
過去は変えられない。でも過去への評価はネガティブからポジティブに変えられます。
評価自体をしなければ良いも悪いもありません。
どうぞ、アナタの新しい、いちばんあたらしい、こんにちを、新たな気持ちで生きてください。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

素晴らしいお言葉ありがとうございます。
誰も明日は分からない。良い言葉ですね。
確かに自分の明日も分からないのに先にある辛いを考えるのは良くないですね。
それより明日がいい日になる様に考える方がよっぽどいいですね。
良いお言葉教えていただきありがとうございました。

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