親を亡くされた方への寄り添い方について
私の友人や彼氏など身近で、高校生の頃に親を病気で亡くされた人が何人かいます。
長いこと付き合ってくると、ぽつりぽつりと親を亡くした当時の気持ちを話してくれるのですが、その話に対して私は「そうなんだ」「大変だったね」「辛かったね」という、当たり障りのない返答しかできずにいます。
両親は離婚しましたが父も母も健在で、私はまだ親の死を知りません。
話してくれる言葉に対しての私の返答がありきたりで、なんだか薄っぺらいものとして伝わっているんじゃないかと心配です。実際、薄っぺらいのかもしれませんが…。
もし自分が親を亡くした立場なら、と想像はしながら話すのですが、実際に親を亡くされた方々の気持ちとは程遠いような気もします。
お仕事柄、お寺の方は身近な方を亡くされた方に寄り添われることが多いかと思いますが、どのように接しておられるのでしょうか?
また、話を聴く際、声をかける際に心がけることなどあればアドバイスいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
救済者にならなくてもよいと思います。
優しいお気持ちのお方なんですね。
私も若輩僧侶なので、同じ気持ちによくなります。
話を聞くことの
「自分のことばで救おうと気負い過ぎない」
「あなたこういう気持ちなのね」と決め(つけ)ない
話したいときに、話を聞いて共感してくださるだけで、
めちゃくちゃありがたい友だと思います
悲しい話をしてる方は共感してくださる友が必要なんだと思います。
先生でも、救済者でもなく、「友」
声掛けとしては
「ご両親への感謝を表現すること」
をすすめます。
感謝はご先祖様の魂にとっても、
遺族の方にとっても、
心の栄養の源です。
他人の評価を気にせず、
自分なりの方法でご先祖様に感謝を表現して頂ければ幸いです。
方法に関しましては、
宗旨宗派によります。
その道のプロ(お坊さん)から方法を学ばれることが良いと思います。
繰り返しになりますが、
聞いて共感してくださるだけで、相当救われます。
素晴らしい「友」でいらっしゃいます。
「心慮施」・「傾聴」について
みけこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お優しいお心遣い、誠に有り難いことでございます。
布施における無財の七施の一つに、「心慮施」(しんりょせ)というものがございますが、それは、相手の苦しむ気持ちを自分のことのように受け入れてあげて、憐れみ、そして、何とかして少しでも苦しみを和らげてあげたい、癒してあげたいとしての施しとなります。
憐れみの「憐」というのは、「心を隣り合わせにする」という意味の漢字ですが、まさに相手の心に寄り添うということになります。
また、「傾聴」ということも大切な時がございます。
傾聴の「聴」の漢字は、「耳にプラス目と心」がありますように、実際に会って目で相手を見ながら耳で聞き、心をこめて聴いてあげるのがよいものとなるでしょう。
今回のような場合では、あまり自分の意見や反対の意見等を言わないほうが良いでしょう。
おっしゃられていますように、「そうなんだ」「大変だったね」「辛かったね」という、同調のお返事で良いかと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません。お早い回答をありがとうございました。
川口様
心慮施という言葉を初めて聞きました。興味深い言葉です。
傾聴、なるほどと思いました。私は話を聞くことくらいしかできないので、その分心を込めて聞きたいと思います。
とても勉強になりました。ありがとうございました。
田中様
「自分の言葉で救おうと気負いすぎない」にハッとさせられました。どこか、そう思っていた自分もいたのだと気づきました。
聞いて共感するだけでも違うものなのですね。今後ももし亡くなったご家族の話を聞くことがあれば、いただいたアドバイスを参考に、共感しながら話を聞こうと思います。ありがとうございました。