ひとりぼっち
ひとりぼっちを受け入れるにはどうすればいいですか?
さみしさから、人に執着してしまいます。ですが、人見知り、友達がいない(u_u)
自分にうんざりしてしまいます。
趣味に没頭してみるのは、逃げになりますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
求めるだけでなく、時には与えて
ひとりぼっちは、別に悪いことではありません。ですが、それによって、自分にうんざりしてしまうのは、なんともやるせないですね。
でも、きっと同じ思いを抱えている人は、大勢いらっしゃるはずですよね。
あいすさんにとって、友だちとはどんな方でしょう?さみしいときに隣にいてくれる人?一緒にいつも遊んでくれる人?もし、そうであるならば、あいすさんも友だちにに対して、友だちがさみしいときに隣にいて、いつも一緒に遊んで差し上げるように心掛けてください。そんな、あいすさんを待っている人が、必ずいるはずです。
「一人ぼっちが二人いたら、それはもう、一人ぼっちじゃないんじゃないか」、これは重松清の小説にある言葉です。求めるだけでなく、時には与えることも考えられたら、きっと世界が広がるはずです。
同気相求むが水清ければ魚棲まず
文面から、ひとりぼっちを受け容れることにためらいを感じます。
さみしさから、人に執着してしまいます。ですが、人見知り、友達がいない→自分にうんざりしてしまいます〜趣味の没頭は逃げになりますか?
誰もがさみしいのは嫌です。さみしいから人に執着するのは当然です。問題は人見知り、友達がいないというところで、そんな自分にうんざりしているということですね。
趣味に没頭して逃げるというのは現実世界からの逃げでしょうか?それは、さみしさから人に執着してしまうということを無くすためでしょうか。
あなたの悩みに対する解法を以下のように書いてみました。
趣味に没頭していれば、「同気相求む」が如く、同じ志をもったものが自然に寄り集まってくると思います。ここで、友達が出来るチャンスです。あなたの友達観がこうでなければならないというものがあれば、そこは今まで経験を鑑みて客観視してみてください。「水清ければ魚棲まず」が如く、あなたが潔癖、守りが難い、敷居が高ければ友達は離れていきます。こうなってしまえば今までどおりです。学習成果がありませんね。
「合縁奇縁」という言葉が有ります。人の交わりでお互いの気心が合うのも合わないのも、すべて不思議な縁によるという考えです。心に余裕をもち、許容範囲を広げ、曼荼羅のように何もかも取り込んでしまう大きな世界観をもち、友達付き合いを広げ、知識見聞を深め、あなたの趣味に生かしましょう。そうすることにより、あなたの趣味は仕事の世界にまで広がる可能性がありますよ。それのほうが得やとおもいませんか。
大阪のような町中に住んでいて、ひとりぼっちはもったいないですよ。仙人じゃあるまいし。
解法重要キーワード:合縁奇縁、曼荼羅、世界観、生かす、広げる
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。