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結婚が決まってから…

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初めまして。私が今悩んでいることを相談させてください。

つい先月にお見合いをした方との話がまとまり結婚をすることになりました。本来ならば嬉しい話なのですが憂鬱な気持ちがあります。それはなぜかというと私は結婚式をしたくないのです。もともとボーイッシュでありスカートなんてものは自分から進んで買うことはなく制服と友人の結婚式のドレス(嫌々着て行きました…)くらいです。なのでウエディングドレスなんて、憧れや着てみたいな~という気持ちは全くないです。むしろ絶対に着たくないヽ(´Д`;)ノそれに高砂に座ってスポットライトを浴びてみんなの大注目だなんて…耐えられませんっ…

そのことを母親に伝えると「あんたおかしいんじゃない。女の子やったら憧れるもんやろ」と「結婚式せんとか親に恥かかすつもりなん」とも言われてしまい大喧嘩真っ最中です。女性に産まれたら全員が結婚式に憧れて絶対に挙げなければならないのかな…自分がおかしいんかな。結婚がせっかく決まったのに親は世間体ばっかり気にして…自分が我慢して結婚式をすればいいのかな、嫌々しても嫌な思い出にしかならないのに…と悩んでいます。旦那になる人は「結婚式は女の人が主役だから僕は合わせるよ」と言ってくれているのですが。

どのように母に伝えればよいでしょうか?ギスギスしたままで家を出ていってしまうのはなんだか辛いですし。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の為にやる という意識を捨ててみましょう

ご成婚、おめでとうございます。
この結婚が喜ばしいもの、めでたいものに為すべく、冷静に進めてまいりましょう。
解決策は二つ
①どうしても結婚式をする事が自分にとって大きな負担であることをご両親に婚約者も交えてのご報告をして、分かってももらえがたい気持を分かってもらいましょう。
②自分の為にやるばかりが結婚式ではない 
太陽も、月も、スポットライトもアナタばかりを照らすのではありません。
結婚式の影なる主役は本当はご両親さま方、ですわよ?
結婚式は何もあなたの為、自分たちの為ばかりじゃありません。
ご両親や相手の家族だって、それを望んでいる世代であるはずです。
ご両親やご親族を安心させるためのものでもあります。
結婚式とは単にお披露目ではなく、今まで育ててくれた事に対する、報恩、感謝、報告も兼ねています。
ある意味それをもって、親や子育てが終わる、象徴儀式です。
子育てお疲れ様でした。本当にありがとう。今日から巣立って一人で生きていきます、というメッセージを込めて、はじめてフィアンセさんと協力して勤めるお招きするお客様へのオモテナシが結婚式でもあるとも思いますよ。
反対に世間では、式の全てが全部自分&自分した式もあります。数時間終止自分たちのことばっかりの式もあります。本当はそれはイカンのです。
あくまで縁ある方、お世話になった方へ感謝の気持ちを込めてお招きするのが結婚式です。
両親も相手の親御さんも「ああ、これでようやく子育ての卒業だ。」と思えるのではないでしょうか。
この世に存在させてもらったこと自体が、本当は自分の為ばかりに生まれてきたのではないのです。
もちろん自分の幸せも大切ですが、結婚という、他者との縁を深める事も、この世に新たな働きかけを作り出していくという始めの一歩です。あなた方よりも大人の人でも「自分だけ」という気持ちを捨てられません。この気持ちがあると子育てもできませんから、これをはじめの一歩と致しましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ご結婚おめでとうございます。

さななさん

ご結婚おめでとうございます。

さっそくですが、私は結婚式をしたくないならしなくてもいいと思います。
私自身、それほど結婚式にこだわりませんでした。
第一の理由は資金があまりなかったからですが・・・。

お金はありませんでしたが、友人たちがお祝いをしてくれました。
私はその結婚式がいまでも大切な思いでです。

なにが、大切か人それぞれ違いますが、さななさんが大切だと考えられるものをこれからも大切にしていかれてはどうでしょうか。

立派なドレス姿にこだわらなくてもいいような気がします。

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おきもち

好きな食べ物はスイカです。

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