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気付いて観察すること。

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

仏教の教えから気付き、立ち止まり、静かにそれを観察して見極めようとする。
自分のこころに余裕があると出来るのに、こころに余裕が無いと気付くことも、立ち止まることも忘れて、今目の前にある出来事、感情にとらわれてしまいます。
お坊様方は「常に」「何時も」、感情にとらわれることなく静観して見極める事は容易ですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

眺める自分すらなくなる

苺さま

”静観する”という時にはかならず、それを見ている自分の存在があります。
しかし、眺める事なくとも、問題なく今を生きています。様々な出来事にその都度触れては、心も動きます。しかし、その次の瞬間には、その次の瞬間のように心が動きます。
そうした気持ちを掴んでしまうと苦しみになります。手をつけずにそのままにしておけば消えてゆくものなのに。

僧侶も日々修行しています。自分を参究し、そうした我見にとらわれない、生まれながらにある、本当の姿を見極めようとしているのです。簡単な事ではないかもしれませんが難しい事でもないように思います。
赤ちゃんのころはみんな、それができていた事なのですから、仏道とはそこに気づく道なのでしょう。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

円通寺/邦元様
お忙しい中、ご回答有り難うございます。
気持ちを掴んでしまうと苦しみになる…本当にそうですね。手を付けてしまいます。
流れ行くままに、放っておく、とらえない。簡単なようで難しい、難しくしているのは自分。
お坊様方も日々、修行なのですね。

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