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自分いじめをやめたい

回答数回答 2
有り難し有り難し 44

何度も同じようなテーマのご相談で申し訳ありません。

自分いじめがなかなか辞められません。
今日も特別に嫌なことが無かったのに段々過去のことを思い出して
嫌な言葉を思いつくのです。
「お前らがいつも俺の邪魔をする」「物語や映画の世界ではいじめられたきた
やつは善人のはずで、最後には幸せになって、いじめてきたやつは不幸になったり死んだりするのに何でそうならないんだよ」とかそういう言葉が浮かんできて怒りがわくのです。そして悲しいです。
前回の相談で被害者意識をご指摘されたので被害者意識はとても強いです。

私は小学校の時に中学受験に全部失敗して、地元の中学に入学しましたがその時のクラスは誰も仲の良い同級生とは一緒になれず嫌な人ばかりのクラスになって悲しくて仕方がありませんでした。喘息だったので走ると発作が出て息苦しくてしゃがんで休むのですがその仕草をからかわれたりしました。いじめを受けた訳ではありませんが「こいつにはいじめにならない程度ににからかったり、冷たくしとけばいい。でも居ても居なくてもどうでもいい存在」という扱いを受けました。どうせならいじめてくれれば徹底的に恨めたのに。
中3の時に不登校をしました。また嫌なクラスになったからです。よくある話かもしれませんが、自分は何も悪いことをしていないのにどうして先生は嫌なクラスにするのだろうと恨みたくなります。その時から自分は嫌な巡り合わせに不思議に合うような感じがするのです。神様がいたら一杯罵ってやりたい。大人になって皆同じ苦労をするくらいなら学校くらい楽しく行かせて欲しかったって。皆笑いながら学校に行くのが羨ましかったです。そんな皆苦しむことじゃない楽に空気を吸うようなこと(学校に行くこと)、自分はさせてもらえなかったって。神様に相当嫌われているんでしょうか。もうとっくに10年以上前の昔ですけど。その同級生たちは皆普通に結婚したり子供がいたり仕事でもキャリアがあったりとフェイスブックを見ては落ち込みます。私には何もない。私には青春が無かったんだなーって。やっぱり負け組なのかなって。神様を本当に罵ってやりたいのです。お陰様で今の自分は何もない人間になったよって。あいつらに全部盗られたよって。とても醜いですが本心です。私はどうしたらこんな恨みを全部忘れて自分の道を歩めますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

べるかんさん、はじめまして。

じぶんいじめを辞めたいとのこと、良く告白して下さったと思います。
私も、似たようなところがあります。
自分の失敗の経験や、邪険に扱われた経験を繰り返し思い出して、つい声を出してしまします。
一度の嫌な経験を、思い出すことで、何度も何度も追体験することになります。

さて、これから抜け出すためには、「どんなに深い闇でも、光に必ず敗れる」ということを覚えていて下さい。どれほど暗い闇でも、小さな蝋燭の灯火さえあれば、そこは闇で無くなります。闇と光が戦っても、闇になすすべは無く、光が必ず勝つのです。
心の闇も同じです。心の闇は、心の光(明るい心)で駆逐するしかありません。
つまり、自分をいじめる様な事を考えたり言葉を発する以上に、良い事を考え良い言葉を使うのです。たとえば、お散歩をして、片っ端から、すれ違う人の仕合わせを願うのも良い気分になりますよ。言葉は、何でもかんでも「ありがとう」って言うと、段々、一つ一つが有り難く思えてきますよ。
もし、悪いことを考えて、悪い言葉を発したら、それを打ち消すように、良いことを考え、言い言葉を発して下さい。それで、リセットです。

それから、一つ気になることがあります。べるかんさんの、お話が中学受験の失敗から始まっているところです。その事が、未だに、べるかんさんを責めていませんか。中学受験の失敗を、ご両親はどう捉えたのでしょうか。中学受験の失敗は、別に悪いことではありません。どうせ終わったことなので、「あそこで、公立に行けたから、良かったんだ!」と考え直すべきです。私立中学に受からなかったことを、失敗と捉えるのでは無く、自分にとってベストな分岐点だったと捉えることが出来れば、べるかんさんの人生全体がプラスに捉えることが出来るようになると思います。

答えになりましたでしょうか。

べるかんさんの、仕合わせを願っております。

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有り難し
おきもち

45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言って...
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ひとのせいにするのをやめる

ニュースを観ていてムカついた→もんげー!ニュースのせいだ
赤信号になってがっかり→もんげー!信号機のせいだ
テレビが野球で中止に→もんげー!テレビのせいだ 運勢のせいだ
一切合切、かみさまのせいだ。
アンタ、これでは失礼ですが、あほうズラよ。
アンタだけ正しくて他の全ての人が間違っているという考えズラよ。
それは単に自己中というモノ。
それはきっと全部妖怪のせいズラ。
妖怪自我ニャンのせいズラ。
妖怪自我ニャンに憑りつかれると、人間は自己中心的になるモンズラ。
…っていって、納得して人のせいにしているうちはアンタは子供ズラ、まるでダメズラ。
人のせいにするのは良くないズラ。
以下、ふつうに。
よく自分を観察しなさい。
物事に対して、過剰に反応する自分を観るのです。
すぐにネガティブな事をオプション、サイドメニュー追加している自分に気づくまで修行することです。
いいですか?メインは、その出来事だけ。
そこにヨイワルイの勝ちはついていません。
酔いとか悪いとか自分意に悪く考えるのはオプションです。
壁にぶつかろうが、人に叩かれようが、ぶつかったということだけしかない。
それで済ませるのが、人生の黒帯、仏陀、覚った人、仏教の修行者的な在り方です。
そこに、ネガティブな意味を添えて、大騒ぎするのが自分のシロートさんです。
人間誰もが自分のシロートさんです。
だからこそ、お釈迦様にならって物事に対する自分の反応し方を改めるのです。
そのコツは、自分を伴わせないことです。
アナタはおそらく自分越しにモノゴトを観てしまっている。
自分の付加価値を添付、添加して善し悪しを起こしているのです。
自分の小さなプライドを固守することは止めるべきです。
もっと大きな心を得るために、自分の非を認め、一切相手のせいにしないことです。
相手に対して問題を起こす自分の心をこそ問題にするべきです。
参禅をお勧めします。
自分の思いが自分を苦しめていることを理屈抜きに坐って自己を見つめて理屈抜きで知る、体得するべきです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

長谷川哲真様 丹下 覚元様

ご返事が大変遅れてしまい、申し訳ございません。
事情がありなかなか返信ができませんでした。
丁寧なご回答ありがとうございます。
ご回答から自分を苦しめている「心」と向き合うのがやはり大事なようですね。
そしてそれはとても難しそうです。理想的な自分にはなかなかできそうもありませんが「ありがとう」の
気持ちはもってみることにします。禅についても調べてみます。
ありがとうございました。

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