芸術等で人を感動させてはいけない?
しぇりーと申します。
動揺しているので変な文章かもしれませんが、お坊様のお考えをお聞かせいただければと思って投稿します。
私は昔からお芝居が好きで、学生時代の演劇部に始まり、現在もアマチュアの役者をしております。
あいにくプロにはなっておりませんが、それでも人を感動させたい、少しでも長く芝居を続けたいと考えております。
ですが、先日、別件でネット検索をしていたところ、あるお経に「芸能を生業にしている者は、人々の煩悩を強めているので地獄に落ちる」と書いてあるという情報を目にしてひどくショックを受けました…恥ずかしながら、動揺しすぎて泣きました(恥)
芸能を志し、人を感動させたいと思う人間は、仏教から見ると犯罪者も同然(むしろそれ以上?)の悪人なのでしょうか。
今まで生き甲斐にしていたものを全否定されて落ち込んでいます。
かと言って、今すぐ芝居をやめることなどできそうにありません。(意思が弱いとお叱りを受けそうですが)
一体、どう考えたら良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去の芸能と、現代の芸能
しぇりーさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
仏教のルールを「戒律(かいりつ)」と言います。出家していない一般仏教徒が普段守るのは五戒、また日限を決めて守る八戒斎というものがあります。
その八戒斎の中に「不歌舞観聴戒(ふかぶかんちょうかい)」というものがあり、文字通り歌や舞を見聞きすることを禁ずる戒律です。歌や舞の中に、演劇も含まれるのではないかと思います。
ただ、古代のインドで歌や演劇を行っていたのがどういった人たちだったか考える必要があります。
たとえば日本では、平安〜鎌倉時代に白拍子(しらびょうし)という、歌舞を生業とする人たちがいたようですが、遊女としての性質も持っていたようです。
つまり、近世に至るまで歌舞芸能を生業にするということは、大地に根を下ろして生活をしている庶民から見て、なにか不思議で怪しげな存在だったのでしょう。
ですからそれに近づくような行為=歌舞観聴を禁ずる戒律があったのでしょうし、しぇりーさんが目にしたお経のような表現もあったのだと思います。
しぇりーさんは演劇をされているのですね。
実は私の妻も学生時代の演劇部から始まり、しぇりーさんよりだいぶ年上ですが、今でも下北沢などの小劇場で舞台に立っています。
また、僧侶である私と夫婦になったことで、お寺での芝居を始めました。
詩人の金子みすゞさんの生涯を描く「金子みすゞ いのちへのまなざし」は今年で10周年を迎え、日本各地のお寺に招いて頂き、120回以上の回数を重ねています。
3年前に始めた、浄土真宗 宗祖 親鸞聖人の妻を描いた「恵信尼ものがたり」も30回近くになり、今月には観無量寿経というお経をテーマにした新たな演目「イダイケの涙」も始めます。
これらの演目は、お芝居を通じて仏教を分かりやすく伝えることを目的としていますし、感動して涙を流して下さる方もいらっしゃいます。しぇりーさんが目にしたお経が成立した当時とは、時代背景も状況も異なっているでしょうから、現代で舞台に立つことが地獄に落ちる原因にはなりません。
しぇりーさん。今後も舞台に立って、観て下さる人々に感動を分かちあげて参りましょう。
参考までに妻のブログもお知らせしておきます。
http://kanako3.blog.so-net.ne.jp/
質問者からのお礼
浦上 哲也様
はじめまして、お答えありがとうございます。
お経はその時代背景等を踏まえて理解するべきということなのでしょうか。なかなか難しいですね…。
歌・踊り・お芝居などは、今の仏教から見ると、必ずしも忌み嫌うべきものではないのですね。
(正直に言いますと、優しいお言葉を頂いたにも関わらずまだ少し動揺していますが…笑)
奥様のブログも拝読いたしました。金子みすゞさんの優しい詩、私も大好きです。