生きている意味
18歳、女フリーターです。
最初、私は自分の好きな学科の高校に行っていました。
でも、友達とはうまくいかず、勉強もついていけず、その好きな学科の勉強も嫌になり、通信制に転校しました。
転校してから一時期は、誰も友達も恋人もいなくて、寂しくて、悔しくて、辛くて、リストカットをしたりしてました。
家族には愛されていましたが、すごく辛かったのです。
ある日彼氏ができて、私は前のように切ることはなくなり、愛されてて、本当に出会えてよかったと思っています。
私の通っていた通信制はあまり、進路には協力的ではなかったので、アルバイト生活ばかりしていた私は進路のことも考えず、高3の冬まできてしまいました。
本当は、専門学校か、大学に行って、楽しい学生生活をしたいなと思いましたが、金銭的に厳しく、両親は一回お金のことで離婚したことがあるので(今は復縁しました)、就職をしようと思いました。
高卒求人はほとんど決まっていて、いいのがなく、今年の五月まで一般求人を探しましたが、男の仕事ばかりで結局フリーターをやることにしました。
年輩ばかりの職場には学生のころから慣れていましたが、仕事をしている時に「なんで、どうして私ばっかり、みんなのように大学に行きたかった」と、思ってしまいます。
フリーターがすごく恥ずかしいです。
彼氏がいなかったら死んでもいいと思ってしまいます。
彼氏が私の生きる意味で、いなければ生きていく意味がないと思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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中道
みかん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
色々と悩み苦しまれてつらいことでございました。
今は彼氏さんが心の支え、拠りどころとなっておられるご様子・・
しかし、彼氏さんのことだけを生きる支え、拠りどころとされているのは、少し偏り過ぎていると申しますか、極端と申しますか・・非常に不安定であるのは否めないかと存じます。
仏教では、「中道」と申しまして、偏ったものの見方、考え方を修正することが推奨されることになります。
よくある例えとなりますが、琴の弦は強く絞めすぎると、音が張り過ぎて、あまり良い音が出なくなりますし、もっと張り、いずれ弦が切れてしまっては、音が出せなくなってしまいます。
しかし、かといって、弦を絞めるのを弱くしていくと、だんだん音に張りがなくなっていき、やがて緩め過ぎてしまっても、音が出なくなってしまいます。
強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところにおいて、琴の弦は丁度良い音が出せることになります。
人生も、その丁度良い塩梅において過ごしていきたいところとなります。
また、「生きる意味」というものには、「これが生きる意味です」と言えるような何か「実体」があるわけではありません。でも、それは無いということではなくて、色々な因縁(原因と条件)によって成り立っているものであり、良い因縁によれば、良い意味となり、悪い因縁によれば、悪い意味になる、そういうものであります。
できれば、「彼氏さん」=「生きる意味」とあまりされ過ぎずにて、もう少し柔軟に「生きる意味」につきましても捉えて頂けましたらと思います。
それと、あまり自己嫌悪や劣等感にも陥り過ぎないことも。これからの因縁次第において自己嫌悪も劣等感も無くすことはいくらでもできて参ります。
もちろん、良い因縁を調えるのにはそれなりの努力も必要です。しっかりと努めて頂きまして、どうかお幸せになって頂きたいと存じます。
川口英俊 合掌