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お坊さんの人柄?

回答数回答 3
有り難し有り難し 79

昨日、有名な某お寺で、住職の立場にあるお坊さんが暴力で人に怪我をさせ逮捕のニュースがありました。怪我をさせる暴力がお寺の中で起こったようです。
1度だけではなく、何度かあったとのことでした。
質問ですが、お坊さんや住職というのは人柄に関係なくなれるものなのでしょうか?
きちんと修行をおこない、その立場になるための規律を守っていれば、人間性は関係なくその立場を与えられるのですか?
それとも、きちんと見定められるシステムがあるのでしょうか。

お坊さんだって人です。逮捕されたご住職は、何か辛いことや思わず暴力をふるってしまう事情があったのか、と考えてしまいます。
仏教に従事する世界でも何か我慢のならない、よんどころない事があるのかと。
仏教の教えやこのサイトのお坊様の回答を見てると、非常に考えにくいのですが、少ないながらもやはりあるのかな。

一般的な会社や学校等である、ごく一部の心無い人のおこないが、お寺やお坊さん達の間でもおこっているとすれば、どこにでもある現実ということでしょうか。
仏教の教えを説く方々なので、なんだか悲しい現実に思えます。

私の感覚ですが、お坊さんや仏教に対して、聖職というイメージを抱いています。
でも、人間なので色々あり、色々起こるだろうと思います。
たくさん巻き起こる事柄の中で負けてほしくないです。
ものすごく多くの人の心を実際に救ってるお坊さんが現にこのサイトには沢山いるので複雑な気持ちになりました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

常に精進を心掛けて

さららさん、こんにちは。

僧侶の暴力事件は悲しく、また私の宗門でもありますので情けなくなります。本山仲間に伺うと少し悪しく書かれた報道内容とは違うようで、私は面識がないのですが暴力を犯した僧侶も、「えっ!なぜ?」というような真面目な方だそうで友人僧侶も驚いたそうです。大法要の受け入れでイライラしていたのでしょうか。しかし手を出した時点で僧侶としてというより社会人として失格です。僧侶はもっと厳しく自分の行動を見なけれな人々の模範になれません。

私も今回の事件を通して思うことは、例え真面目に生きていても条件がそろうと、そのような暴力を起こしかねないということです。私は一度も暴力をしたことがありませんが、イライラすることはいくらでもあります。私が心掛けている修行でどんな理不尽なことでも怒らないという「不瞋恚戒」を心掛けていますが、それでも生活の中でいろいろなことが怒ると、特にこちらが悪くないことではイライラした気持ちになります。その日はまだまだ修行が足らないと反省し、読経供養して懺悔行を続けています。

僧侶だけでなく、警察官や政治家も志を高くしてなったものだと思いますが、気を抜くと堕落の道が待っています。その堕落は急ではなく、少しずつ少しずつの小さな「これぐらいはいいだろう」という気持ちが積み重なるのだと思います。私が今真面目に僧侶として精進できているのは貧乏寺だからだと考えています。何も贅沢することができず、お寺の復興を目指す目的が生活を支えているからです。しかしお寺の上手くいけばどうなるかわかりません。私はよく弟子・信徒に、私の腕時計がキンキラロレックスに、車が高級ベンツになったら、ぶん殴ってくれと、冗談半分でいいますが、そのような弱い心を持っていることを知っているからです。

人は弱い心を持っています。少しでも油断すると弱い心煩悩がムクムクと起きてきて、誤った方向に向かわせます。そんなことにならないように毎日読経をして仏さまの教えを伺い、自分の心を点検し下座の精進をしなければと、再度戒めました。

今回の事件は同じ宗門僧侶として本当に申し訳ございませんが、出家・在家に関わらず、この僧侶を半面教師にして、たとえ真面目に信仰をし仏道修行していても気を抜くと、咄嗟に悪行を起こしてしまうこともある、だから気を抜かず精進精進と、学んで頂ければ幸いです。

合掌

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仏門に入ってからが真の修行なのですが・・・。

お坊さんも人だから・・・と言ってしまえばそれまでですが、僧侶になったからと言って修行が完成したのではなく、むしろそこからが真の修行の始まりなのではないかと私は思います。

また人にはそれぞれ個性があるように、僧侶になるまでに歩んできた環境や人生経験等によってもそれぞれのご気性のお坊さんがおられます。

今回の件ではありませんが、以前修行に来ているのに言いつけをきちんと守らない、正座が嫌だからと言って本堂でのお勤め中に足を投げ出して座るといった修行僧が先輩僧侶にはたかれるといったことがありました。
擁護するわけではありませんが、一体この人は何しに修行道場に来ているんだろうと閉口させられたものです。

今回の事件の詳細はわかりませんが、訳もなく暴力を振るうような人が責任のある立場を任せられるといったことはまず無いと思います。

ご質問の件ですが一概には言えませんが現代日本の仏教界においては世襲が多いのも事実であります。そのため一人一人の性格や人間性を一々見極めて・・・というのも難しいのではないかと思います。

然しながら家がお寺だったから仕方なく・・・といった人も修行が進むにつれ段々と道に目覚めていくものであると私は信じております。

もちろん仏道修行だけが修行ではなく、娑婆生活で一人の社会人としてのスキルを磨いていくのも修行であることは言うまでもありません。

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おきもち

一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普...
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お釈迦様は殺人鬼でも弟子(僧侶)にした

僧侶は修行している人です。
未熟だから修行しているのです。
お釈迦様の時代にも、出家者の中にも色んな人がいました。
連続殺人犯もお釈迦様の弟子になって心を入れ換えました。
また、出家してなくてもお釈迦様の教えを受けて悟った在家信者もいたようです。

ですから、僧侶だからといって、皆がりっぱな人格を完成しているわけではないのです。
ただ、現代の日本では、おそらく多くの宗派では、刑事事件を起こしたりしたら住職の資格は失うのではないでしょうか。
しかし、そのような人にこそ仏教が必要なのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

金剛座寺 染川様
早々のご回答をありがとうございます。僧侶でも修行僧でも、心に余裕がなくなるのは一般社会で暮らす人と変わりないものなのですね。
そんな中で、厳しく自分の行動をみることは大変なプレッシャーだと思います。
ある意味、一般社会より厳しく辛い道であるのではないかと思いました。
様々な人の悩みに応えているこのサイトのお坊様方、御自身も大切にしていただきたいです。
自分に厳しくあるのが当然かもしれませんが、時より息を抜いて普通の人と同じくぐちったり

して欲しいなと思います。その時は身分や職業をふせたり、理解ある方の前でできたらいいですね。

阿弥陀堂 渡部様
今回のご住職には何か事情があったと思います。きっとあったのでしょう。イライラする何かか、大切な何かを守るためかも知れないですね。規律や大切なお弟子さんとか、重んじなければいけない礼儀等々。。。
だからといって暴力を肯定することは何があってもできませんが。なので、修行するお寺で有名な場所なだからこそ、防げる何かがなかったのかともどかしくなります。
その他の僧侶や修行僧に水をさすような影響がありませんように。
でも、皆様、ちょっとやそっとの影響ではびくともしないくらい、日々の修行と精進を重ねてるのでしょね(笑) そう考えると少しホッとします。何が起こっても頑張って欲しいです。
私を含めてこのサイトに集まる人の悩みや迷いに有難いお言葉が必要なので。プレッシャーになってしまうかな…?

願誉浄史様
回答ありがとうございます。
確かに仏教に従事するすべての方が素晴らしい人格者ではないのだろうと思います。
世襲で仕方なくなる方もいるようですし、お金儲けに特化しているお寺もあるようですし…
そんな世の中だから余計に仏教が必要になるのかと考えさせられます。
もし、それが本当ならお釈迦様の教えや、仏様にすがることのない、仏教の必要がない世の中が理想になるのかもしれないとも思います。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

前住について

こんにちは 「問答」に同様な内容があり、相談していいか悩みました。 たまたま恋愛した方がお寺の長男で2年前に帰省し彼が住職となり私が坊守となりました。私は在家で両親は生前は全くお寺との付き合いをしていなかったので私もお寺の知識はありませんでした。 彼の両親は最初は私との結婚に否定的でしたが、息子が後継ぎとなることで止む無く許してくれたようです。(最初は彼は後継ぎを拒んでいました。) 結婚前に坊守の仕事を全く教えてもらわなかったので、仕事内容を覚えるのに必死な毎日でしたが、前住・前坊守の私への当りがきつく毎日辛いです。 一番辛いのは私の亡くなった両親のことを悪く言われることです。両親が亡くなったとき、嫁ぎ先の宗派(浄土真宗)とは違うお寺(浄土宗)でお葬式・法事をしましたがその事についてひどく非難されます。細かいことを申し上げればきりがないのですが 「だからお前の親はろくな死に方をしなかったんじゃ」と言われ とても悲しかったです。そのことを夫に伝えましたが、そんなこと 聞き流しておけばいいと相手にされませんでした。(もともと、夫と義父は仲が悪いです) 他にも私の態度や色々なことについて罵声を浴びせられ我慢しますが、その度に「ろくな死に方をしなかった」の言葉が思い出され涙が止まりません。 この先も罵声は無くならないと思いますが、その際、私の心をどのように整理していけばよろしいでしょうか。

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導師様の態度について

いくつもの質問にお答えしていただきありがとうございます。また、あけましておめでとうございます。今年もまた質問でご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願い致します。 さて、今回は今までの質問とは違います。先日父方の祖母が亡くなってしまい、家族葬ではありますが出席させて頂きました。 葬式自体は業者の方々が丁寧にしてくださったので、良い別れができたのではないかと思います。 しかし、1つ心残りがあります。それは、お経を唱えてくださった導師様の態度です。通夜、告別式ともに同じ方が来てくださったのですが、どちらの時も読経中に草履で遊んだりマスクの中を掻いたり…また若干眠たそうに読経していました。 葬式のランクは低い方で設定しましたし、家族葬で出席した人数は少ないので、気の抜けるのはあるかもしれません。しかし、そのお経は意味のあるものだったのか、祖母はちゃんと仏様?になることが出来たのか(祖母が浄土真宗だったので)気になります。 父や叔母さんなどは特に何も言わなかったのですが、今回の導師様の読経中の態度は問題なかったのか、また問題あるとすればどうすれば祖母は大丈夫なのかお答えください。 長くなりましたが、どうかお願いします。

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お寺=〇ちゃんねる?

 いつもお世話になっております。最近、思うことがあります。 失礼を承知で単刀直入に申し上げますと、 「お寺の客層(とくに常連)、やべえ」 まるで、「〇ちゃんねる」のようです。まともな人もいますが、 やばい人の方が多いです。  自分より弱そうな信者を探して友だちになる振りをして近づき、 支配下に置いたり利用したり、いじめの標的にするソシオパス サイコパス野郎。  他宗派をバチボコに叩き散らかし、「俺たちこそ特別、俺たち こそルールだ」と言わんばかりの薄っぺらな、説法というのも 噴飯な講釈を垂らす僧侶。  神秘主義に傾倒して、(本来、現実ととことん向き合い、 しんどい事が起きても、物事が成立する条件、環境を 炙り出して現実的に解決していくと説いているはずの)仏教を 捻じ曲げ、拝んでさえいればいいと思い込んで、現実的な 行動を起こそうとしない怠け者。  たたりや呪いのせいにして、努力しようとしない奴。  これでは、ますます仏教が誤解されるばかりです。新興宗教 と大して変わらないじゃん。  他の信者(時にお坊さん)に対してマウンティング、 時代遅れな神秘主義の信奉…  精進努力を誓うはずの道場で正反対の行動に勤しみ、 人格が破綻、結果、現場に蔓延しているのは、妄信、魔境、無明…  ちゃんとしたお寺さんもあるのでしょうが、私が行ったお寺の 数々は、冷静に振り返ってみると、全てこんな感じです。親鸞 さんの気持ちが、痛いほどわかります。  たまにちゃんとした人もいるけれど、基本多いのは、人格が ぶっ壊れたやべー奴。「〇ちゃんねる」かよ。先日など、 「生活保護費が下がるそうね。いいじゃない。みんなの税金で 食べてるんだから、働けるなら働いてもらわないと」 などと平然と抜かした奴がいて、さっきまで相槌を打っていた 信者さんたちが、静まり返るという事態も発生しました。 (ちなみに、障害年金がもらえず、生保を受給して就労準備を している人もいる。こんな発言をする奴が仏教徒だなんて)  最近は、山門や鳥居を潜るのが恥ずかしいくらいです。こんな 奴らと同類かと。  先生方のご高見を拝聴したく存じます。よろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ