結局人間は一人ですか?
結局人間は一人ですか?
最近人が信じられません。
自分が信じても他人は同じだけ返してくれるわけではないからです。
自分が他人を悪く言わないように気を付けても他人は悪く言います。
いっそ一人になりたくても人に執着してしまう自分がいます。
心から自分を理解してくれる他人なんて存在しない気がしています。
これは自分を理解してほしいという気持ちを他人に求めすぎている考え方でしょうか。
どういう考えをもって人と関わっていけばいいでしょうか。
ご意見頂ければと思います。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あわく付き合うという「間合い」
人に限らず、あらゆるいのちによってわたしという存在が
あります。一人であると思うことの方が難しいように感じるのが
わたしの感覚です。
要約にはなりますが、澤庵和尚という方の言葉に、
料理というものは、香りも味も淡いものがいい。濃すぎもだめだし
薄すぎてもだめ。
人間というものも同じで、深く濃く交わるよりも、あまり余計な思い
を抱かないでいる事が結局最後の最後まで長く付き合える。
よかれと思ってなにかすることは最もダメなこと。
という言葉があります。
人間というだけあって、いわゆる「間」というものが大事だと
説かれた言葉ではないかと思います。
私たちが生きるには、自分ではどうすることも出来ないこと
ばかりです。水を飲むにも水が安全に飲めることを
信じているわけですが、それだってあまり深く考えたことも
なかろうと思います。
人間関係においても同じ。
相手は自分ではないわけですから、あまり過度に信をおくよりも
「水道の水は飲める」程度の信で付き合うのがいいのでは
ないかと思いますし、それの方が、長く付き合える仲になるはずです。
どうしたって付き合わねばならぬ他人は居ります。
それは忌避したって、自分が苦しむだけ。
ならばあわく付き合う程度に考えを変えたほうが、自分にも
相手にも、いい「間合い」が出来るのではないでしょうか。
そうです、人は一人です。
簡略しますが、お釈迦さまは人生において「サイの角のようにただ一人歩め。」と申されました。
他者に思い悩まされたり、遊んでいる最中にも寿命というものはどんどん短くなっているわけです。
また、完全に分かり合える人なんてそう滅多にいるものではありません。
良い友と関わるのは良い事とは思いますが、それでもあまり他者に期待しすぎず自分を高める事柄に集中するのも一つの大事な生き方ではないでしょうか。
古典ですが、「友と交わるにはその人の良きところを友とすべし。」ですかね。
見返りや報いを求めない心で相手のために
orange様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
私たちのそれぞれは、とても一人で生きていけるような存在ではなく、色々と他に依存することによって、何とか生かされて生きることができるような、非常に弱い弱い存在でございます。
ですので、この弱い者同士が、より良くに過ごしていくためには、お互いの助け合い、支え合い、分かち合い、補い合いが大切となって参ります。
その際に必要となるのが、配慮や気遣い、お互い様の心、仏教的には四無量心の慈悲喜捨の心となります。
もちろん、こちらがそのように心掛けてはいても、期待通りに相手は返してくれないこともあるかもしれませんが、何か見返りや報いを求めての心で行ってしまっては、本当の意味での配慮や気遣い、慈悲喜捨の心とは言えない行為となり、それでは善い行いや功徳にもならないものであると仏教では考えることになります。
相手の迷惑や押し付けにならないことは当然として、見返りや報いを求めずに純粋に相手の苦しみを取り除いてあげようとして相手の為に行う行為こそ、尊い功徳、善い行いになる次第でございます。
「情けは人の為ならず」、仏教的には、「自利利他」と申しますが、この支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いにおいて成り立っている人間世界におけるありようをしっかりと理解して、お互いがお互いで快く幸せに過ごしていけるようにして参りたいものでございます。
とにかく、余裕があればにて、見返りや報いを求めない心で相手のために、任意で、無理せずできることを心掛けていかれてみられてはいかがでしょうか。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
星 大晃さん
回答有難うございました。
確かに過度に信をおいていたかもしれません。
「水道の水は飲める」程度の感覚で気を付けていきたいと思います。
渡部仁海さん
回答有難うございました。
自分は他人との距離感をとるのが下手なので、それで思い悩みやすいのかもしれません。
自分を高める事柄に集中することを意識します。
川口 英俊さん
回答有難うございました。
おっしゃる通り見返りや報いを求めていたのかもしれないです。
情けは人の為ならず、を心がけていたつもりだったのですが、いつの間にか忘れてしまっていました。
無理せずできること、を心がけたいです。
皆さん客観的なご意見を頂けて少し落ち着けました。
回答有難うございました。