この先どうしたらいいのか。
二人で支えあって生きてきた大事な母親が亡くなり三カ月です。
介護のために仕事を辞めてしまっていたので、新しく仕事を探していますが、空白期間の話を聞かれて母の話になると涙が止まらなくなり面接どころじゃなくなります。
これからは1人で生きていかなきゃいけないのに。
泣きながら帰っても誰もいない、褒めてくれる母も慰めてくれる母も励ましてくれる母もいません。母がいたから自分に自信が持てた。
これからどう生きたらいいかわかりません。
いい事があっても素敵な物を買っても母に見せる事が出来ないならもう何もしたくありません。心の中で生きてるとかいつも見てるよって人は言うけど、そんな言葉はもう聞き飽きました。
年令ももう40代なので早く仕事を探さないといけないのですが、とにかく涙が止まらないのです。
時間が経てばというけれど、三カ月毎日のように考えては嗚咽しています。
自殺はいけない事なので、事故などで死なないかなと考える毎日です。
どうしたら涙は止まるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母様に居なくなってしまわれたご自身が淋しいんですよね…
お母様と支え合って、お二人で生きてみえたのに、そのお母様に先立たれ、お一人になってしまわれた…お寂しいことですよね。ご心中お察し申し上げます。
『心の中で生きてるとかいつも見てるよ』というような言葉は聞き飽きておられるとのことですから、申さないようにします。つまり、そんな「薄っぺらい言葉」より、「必ずお母様に生き返ってもらう」ことがあなたの望みなのかも知れません。
でも、それは無理だということをあなたは重々承知しておられますね。もうお母様は生きて帰ってこられることはない…このことをしっかりご自身で受け止めることが大切です。
自身にとってこの上なく重いそんな事実を受け止める為には、あなたと一緒に居て、あなたを支えて下さる存在が必要です。
周りにそういったお方みえますか…頼れるお方が。
そういうお方がみえない…大丈夫です。あなたには仏様が、お母様がみえます。
イヤなお気持ちになられたでしょうか? ほら、また聞き飽きた言葉に逆戻りと…。
仏様・お母様じゃイヤ、かといって他に頼れる人は居ない…なら、自分は自分一人で生きていくしかないのです。
幼児は砂場でお母さんと遊びます…砂遊びに夢中になるとお母さんを忘れます。ふと、思い出して振り返るとお母さんが居る…安心して、今度はもっと長くお母さんの存在を忘れて砂遊びに熱中するようになります。そしていつか…。
「自分は幼児ではない。こんな例え話、わけがわからない」とお感じですか? 私自身は自分が幼児の心のまま身体だけ歳を取った気がしています。
あなたの気付かぬうちにあなたを見守り、支えて下さっている存在がある…その存在を頂き、依り処として生きる道、もしくはそういった存在を否定して自分で自分の人生を生きる道。どっちもアリです。どっちにしてもお母様はあなたの人生にすっとご一緒下さっていますよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます。何度も何度も読み返してはまた泣いています。確かにまだ自分の中で母にもう会えないんだという事を受け入れていないと気付かされました。
またつまづいたら相談させてもらいます。
本当にありがとうございます。