虚無感
こんな風になったのがいつなのかは正直分かりません
でも、私はいつも何かに怯えているように感じます
何か過去にとても悲しくて辛い事があった、とか
そんな壮大な物語は私の人生にはありません
ごくごく平凡に暮らしてきたつもりです
中学二年生の頃に生きているのが嫌になって自殺未遂をしました
死にたかった訳ではありません
だからこそ未遂になったのだろうと今になって思います
ただ、漠然と生きている事が嫌になったんです
その時に両親や友人の悲しむ姿を見て
「あぁ、私が死んだら誰かが悲しむんだな」と理解し
それからは一度も自傷行為はしていません
でも、だからといって
特別「生きていたい」と思うようになった訳でもありません
むしろ、昔と同じで「生きていたくない」と思っています
ただ、死にたいとか死んでしまおうという思考がなくなっただけです
将来の夢はあります
その為に現在大学にも行こうと頑張っている所ではあります
でも、それも特別生きるための活力にはなっていないように感じます
なにをやっても何をしても
胸の奥が満たされないように思うんです
ぽっかりと空いた穴を埋められず
常に虚しいと思ってしまうんです
他者に過敏になって
必要以上に神経を張り詰めて
誰かに会いに行くでもないただの買い物でも
酷く疲れてしまいます
この、虚無感とでもいいましょうか?
安らげる時間が欲しいです
なにをしていても虚しくて恐ろしくて
不安で不安で堪りません
言葉にし難い感情を誰に話す事も出来ず
解決もせず
苦しいです
色々と相談したい事は実は山ほどあるのですが
いつもうまく言葉に出来ず長文を失礼しました
つい逃げる方向に考える
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
中道
刹那様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「虚無感」にお悩みのご様子・・
拙生もその昔、「無帰論」という論を考えて、「虚無感」にさいなまれた時期がございました。
何をしても結局、無に帰するだけ・・人生など無意味では、と。
ニヒリズム、あるいはシニシズムとでも申しましょうか・・
もちろん、漠然とした不安も抱えつつ・・
しかし、やがて、その「虚無感」から脱するきっかけが生じました。
拙生の場合は、もちろん、「仏教」がそのきっかけとなりました。
一切のモノ・コトには実体が無い、「空」なるものである。
しかし、何も無いわけではない。現に現象は目の前にあるし、モノ・コトは存在しています。つまり、虚無・絶無とは違う。
(実体として)「有る」ということと、(実体として)「無い」ということを離れた「中道」。
その「中道」について考えることで、少しずつ極端や偏見を断じていくことにより、虚無・悲観主義を脱することができて参りました。
ヒントは、仏教における「空」と「縁起」という考え方にございました。
是非、これを機会に「中道」にご興味を持って頂きまして、「中道」を「中論」という書物にて明らかとされました龍樹(ナーガールジュナ)大師の著書からでも仏教の学びを進めて頂けましたら有り難いことであると存じております。
「空と縁起」の理解をしっかりと進めていけば、きっと、虚無感、悲観主義からも脱することができていくことになるでしょう。
そして、更に仏教の学びを進めていって頂けましたらと存じます。
もちろん、どうぞお気軽に具体的なことにつきましても何なりとご相談下さいませ。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
少し勉強してみます