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生まれてきたこと、生きること

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

以前も質問させていただきました。
私には4ヶ月の子供がいます。
今は私と毎日一緒ですが、大きくなるに
つれて外に出ることが増え、少しずつ
自立していきます。キリがないくらい
心配事が増え、不安になります。
親である以上、一生続きますよね。
そんな中、ニュースでは罪のない命が
いろんな形で奪われていくのを見ます。
飲酒運転による事故、青信号で進んだら
車が突っ込んできて即死、殺人事件、、。
どんなに気をつけても理不尽に
奪われた命がたくさんあります。
加害者も被害者も、この世に生まれたと
いうことは、お母さんのお腹の中で
育ち、命をかけて生まれてきた
わけですよね。加害者はなんのために
生まれてきたんですか?
殺されて奪われた数ヶ月の命を
どのように受け止めればいいんですか?
蓮の葉の回答によく書かれている、
ありのままを受け止める。というのは
無になると言うことですか?
私が受け止められなくても、世の中は
関係なく何事もなく進んでいくんですよね。
生きていくということは、何事にも
逆らえず、現実を見つめることなんですか。
仏教もひとつの考え方であって、
自然の流れの中で自分なりに
考えたり、幸せを見つけることが
生きるということなんですか?
ニュースを目にすると自分のことの
ように考えてしまって、つらくて
苦しくて、自分が生まれてきた意味さえ
わからなくなりますが、意味なんて
ないんですよね、きっと。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きるとは?大切な問いです

あるお坊さんがお釈迦様に「私たちが生まれてきた意味、生きる意味はなんですか?」と尋ねたら、「意味はない、因縁によって生起しているだけだ」と答えるのではないか。と言いました。何か明確な意味が与えられて生まれてきたわけではなく、様々な縁(条件)が整っているから存在しているのだ。ということでしょう。「私たちは意味があるから生きているわけではない」のです。しかし同時に、「意味なく生きているわけでもない」のでしょう。

さて、現実の世の中では様々な事柄が生じます。加害者になる人もいれば被害者になる人もいます。生まれる時に親を選べないように、私たちは人生に起こる事を選べません。そういう意味では人生というものは極めて受動的なものであります。

そんな中で私たちに与えられた自由は内心の自由だけなのかもしれません。「こうしたい」と心に思い描くということです。(内心すら思いのままにならないこともあります。)

目の前にペンがあるとします。そのペンを手に取ろうと思う事は思いのままになります。自由です。実際にその思いを行動に移し、手に取る事は思いのままにできるようでありますが、実は極めてその可能性が高いというだけで様々な縁が整ってその行為が成り立っています。

ペンがある、健常に動く手がある等、有る事ではたらく有力縁
手に取る瞬間に地震など天災が起きない、邪魔をする人間がいない等、無いことではたらく無力縁

そういったご縁が整って奇跡的にペンを手に取るという行為が成り立っています。そうなるとこの極めて受動的な人生において大切な事は、

①内心の自由が生きる希望となること
「こうしたい」と思うことは希望です。受動的な人生においてその降りかかってくる出来事に立ち向かい自らの道を切り開いていくということです。私たちが人生に意味を問う前に、「どう生きる?」と人生から意味を問われているのです。
②ありのままを受け止めること
内心には自由がありますが行為はご縁というお陰様の世界です。思い通りにならないということを知っているのと知らないのでは苦しみが全然違います。
無になることではありません。嬉しい時は嬉しいままに、悲しい時は悲しいままに。

ということかと。世の中が進んでいっても、はしもと様もまた世の中と一つです。生きるとはどういうことか共に考えてまいりましょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

とても考え方が変わりました。
すごく心が軽くなりました!
ありがとうございます!!

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