お坊様教えてください
何もしていない母を決めつけ愚弄した弟と内縁の妻を母が許して受け入れたように、私もそのような心を持ちたいです。どうすれば許し、受け入れられますか?どうか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
結論出さないことです
私達はどうしても物事を考え、善し悪しを見極め、判断してしまいがちです。
いえ、それこそが生きること、即ち人生で それを上手に出来るようになるのが成長と思い込んでいるのです。親もそうなら、当然子供もそう思うようになります。
私達のそのような思い込みを打破するのが仏教です。自分の考えは正しいか? 誰にも分かりません。人は皆自分の都合で考えますから、自分にとって好都合なことが正しい、正解だと思うのです。
お母様は弟様夫妻をご自身で判断されることを、裁くことを止められたのでしょう。
判断しない、結論を先延ばしにする…世の中にはその方が結果として良い方向に進むこともあるようです。
全部が全部、自分が正しいと思わないでいる…難しいことですが大切なことです。
そのことをお母様が実践されたのですね。
お母様に出来たのですから、あなたにも出来ると思われますが…。
「許す!」なんて難しく考えずに、「まっ、いいか…」です。これこそ仏道ですよ。
相手の立場になってみる
相手の立場になってみると、きちんと怒ることが出来るかもしれません。
気をつけたいのは、相手の立場になって怒りを抑えたり、心を静めて許そうとするのではなく、きちんと「怒る」ことを目指すということです。
お坊さんに勧められたからと言って、簡単に相手を受け入れたり、許そうとする必要はありません。
自分の正直な気持ち、不快感や怒りの感情を押し殺すことで得られる平安は、実はごまかしや我慢であって、本当のやすらぎとはいえないと思いませんか。
貴方のいまのモヤモヤは、怒りを抱える自分自身と周りの認識、状況が一致しないことにあるように思います。
弟さん夫婦との気持ちのズレ、理不尽を受け入れてしまう母とのズレ。
ならば、怒りのそれを心の底に抱えたまま、相手のそれぞれの立場、気持ちになって想像してみるのはどうでしょう。
そうした努力をした上で「怒り方」を考えてみるのです。
たとえば、弟さん、おつれあいさんにとって、あなたの「怒り」がどう映っているか。
きちんと響いているのか、まるで明後日の方向に受け取られているから通じないのか。
せっかく怒りのエネルギーを消費しても、相手の立場を想像し、相手が理解できる言葉や態度を選ばなければ、その感情は伝わりませんし、対話は成り立ちません。
また、対話=ダイアローグですから、一方的な感情表現だけではなく、相手の言い分にも耳を傾けつつ、双方向にならなければ前進はしません。
それぞれが自己中心的な生き物であるからこそ、表面的な「許し」や「受け入れ」は、かえって問題の解決にはならないという考え方も参考にされてください。
質問者からのお礼
お坊様、忙しいなか回答を有難うございます。言われました通り彼等の立場に立ち、理解できる言葉で話してみようと思います。それでも分からないようなら、無理に判断をせず母を見習いたいと思います。少し気持ちが落ち着きました。