母の死期と、家族の捉え方
去年、私の母は40代で他界しました。
約3年間、癌と戦い最期のときを迎えたのです。
大好きな母を失うというのに親不孝ばかりしてきました。
最期を迎える一週間前まで母は自宅で頑張り、いよいよ入院をするその日から私は地元へ帰り、入院の付き添いを父と交代で行いました。
日に日に弱っていくが、痛みが強く暴れ、でも薬で眠らせる決断も私にはできなかったのです。
終わりの見えない看病に疲れていたのでしょうか。
今日が最期の気がすると思ったその日、母は旅立ちました。
喉に痰が絡み、看護師さんが吸引をしようとしましたが嫌がったので中断しようとしたところ痰を詰まらせて呼吸停止。そのまま帰らぬ人になりました。
母が選んだ最期だったのか。
どうしてもっと早く眠らせてやれなかったのか。後悔でしかありません。
このことは誰にも話せません。
最後の瞬間、苦しそうな母の顔を忘れることができません。
眠るように最期を迎えさせてあげたかったのです。
でもこれは遺された者の自己満足でしかないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
孝行とはこれからどう生きるか、生き様を示すこと。
謹んでお悔やみ申し上げます。まだまだ、お気持ちの整理ができていないことと思います。まだまだ、これからの年齢でああしたかった、こうしたかった、との想い、後悔しきりのことと思います。お母さまが、病気を罹患したこと、お若くしてご往生されたこと、これはどうしようもないことです。誰のせいでもない。そういう運命を負って生まれ、そして逝かれたのです。苦しまないように緩和ケアをすべきだったのではないかとの後悔。これはどうしようもありません。私はお母さまは苦しまなかったと思っています。私は注意力散漫で子供の頃に2度も交通事故に遭い、車に轢かれて大怪我をしたんですが、私のためにご迷惑をかけて運転手さんごめんなさい。泣き喚いて騒いでいたと、母は言っていましたが、私自身は気持ちが飛んでいてすごく、ふわあと気持ちが良かったんですよ。痛すぎて気持ちが離れたのかもしれません。意識が戻ってからは痛かったですよ。ホントに。ですから、お母さまは無意識に暴れたかもしれませんが、全く痛みを感じてないと確信してます。2度も大怪我して体験している拙僧が言うのだから間違いありません!ターミナルケアは、いいの悪いということはないのです。お見送りなのですからね。緩和ケアをしたら早く意識が低下して、早くご往生したした。そしたら、早く死なせたと後悔するんですか?お母さんに怒られますよ。いい加減に、ぐちぐち考えるの止めなさい!って。親はね、子どもが幸せになって欲しいの。私のことで暗く悲しくされたら、たまったもんじゃないわ。しっかりしなさいよ。って、生きてたら喝を入れられますよ。親にとっては自分の命を捧げても子供を守りたいし、幸せになって欲しいんです。もう、過去を振り返るのは止めなさい。明るく前向きに活きる。充実した人生を歩む。これこそが親孝行。あなたができること、あなたがこれからしていくこと。幸せになってね。もっともっと幸せに!浄光寺
人はいつかは死ぬのです。
紫陽花さん、こんにちは。
お母さんが亡くなって辛いですね。
もっとこうしてあげたかった、母親孝行してあげたかったと、後悔の念がたくさんわき上がっているのだと思います。私も同じでした。でも後悔は先には立ちません。
これからは、母親から授かった命を大切にして、あなたの人生を幸せに生きられるように歩んでください。あなたの幸せが霊界の母の願いなのです。辛いときには、お寺参り、追善供養をしましょう。昔の人々も亡くなった人への思いを伝える方法として考えたのです。私も両親のことを思い出しながら毎日読経供養をしています。
両親に感謝の気持ちを伝えながら両親に守られている気持ちになります。そして人生のエネルギーを今でも両親からもらっています。合掌