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生きる希望の探し方

回答数回答 3
有り難し有り難し 16

幼い頃からいままで、「私が我慢をすれば…」と思って生きてきました。
我慢をしていることを家族には気付いてもらえず、母も、夫も、娘さえ、そんな私を都合良く扱い、果てには裏切るようになりました。

私が我慢すればいつかは、

いつかわかってもらえる

いつか認めてもらえる

そう思い、頑張って、耐えてきたのですが

今の私に残されたのは、

借金と、無職と、鬱病と、絶望だけです。

数年前に、「二人で協力して生活しよう」と約束したのを軽々と裏切り家を出て行った娘。
その娘からつい最近、子どもが産まれたと連絡がありました。

子どもが産まれたことで多少は私の苦労を知ってはくれたようですが、それは氷山の一角でしかありません…。
孫は可愛いですし、娘が「母」として成長してくれたのは嬉しいのですが、裏切られたときのショックが大きすぎて立ち直れないでいます。

今、何に対しても希望が持てません。
生活は困窮、借金もある、60歳間近で仕事なぞ見つからない…
生活保護を受けても、その惨めな状態が続くだけ…。
もう、終わってしまいたい。死んでしまいたい。
そう思っています。

娘は、「生きてて欲しい。今は惨めでも、いつか必ず助けるから」と言っているけれど、

私にはもう、今を生きる希望をどう持てばいいのかわかりません…。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一秒だけ、下さい。

元気出してください。
神奈川でしたら鶴見の総持寺に報恩婦人会という集いがありましてね。ちょっとのぞいてみてはいかがでしょうか。まずは無料の月例法話会がおススメですかね。
お寺の色々なイベントにも参加できますし平均年齢は質問者様と同じくらいで、みな同年代の方と友達になれます。
出られる時だけ顔出して頂ければ結構ですので、まずはちょっと体験してみてください。楽しい会だと思いますよ。
みんな苦難を抱えておられる中で寄り添い合って前向きに生きておられます。
誰かに話聞いてもらうとイイですよ。
わたしがあなただったら…。
私にもお寺の借金あり、生産性ゼロのお寺の住職ですので本寺に食べさせて頂いております。
ここじゃ申しげませんが、そりゃもう人生、山あり谷あり激流あり濁流ありです。
それでもそういう悪い所にばっかりに目を向けますとね、人間恨みがましくなります。人を怨むと人を怨むガスで自分が苦しむほかないのですわ。だから今日から娘は互いに不完全であった、育てたのも自分という事で赦してあげて下さい。赦せないなら、もともとあなただってそうですが、誰のものでもないのです。独立、尊重してあげる事です。
悪いことを考えない為には、そこで少しでも学んだことや為になった所に目を向けましょう。
頭ってざっと1秒につき一つの事しか考えないものですから、1分の中で悪いことをずっと考えていれば60秒間悪いことばっかし考えていたという事になる訳です。どんなことにも悪い面と良い面があります。その悪い面にばかり目を向けない方が良いのです。
こうしてお話をしてくださっただけでも、いろんな坊さんが色んな角度で勇気づけてくれます。
オマケに無料ですから良かったじゃないですか(^<^)。生きているだけでなんか必ずいいことあります。
イイことって、転がってるもんじゃないんです。悪い所や何も無さそな所から見つけるんです。いただくんです。頂戴するんです。授かるんです。
まずは、授かっているものやことや出逢いを感じてみましょう。
私との出会いも御縁です。授かりです。お礼も要りません。ありがたしも結構ですから1秒だけ時間を下さい。そして笑ってみてください。一秒笑えば一秒の笑顔です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

よく耐え、よく頑張ってきましたね!

きくさん。文面からは細かい事は解りませんが……
しかし、本当にいろいろと我慢をして、頑張って来ましたね。

さぞかし、お辛かった事と思います。

50代と言えば女性は体の調子も変わり本当に体力も精神も辛い時期です。
本当に良く踏ん張って生きていてくれましたね。

どんな状況も頑張って くぐりぬけて来て 今ある貴女の命こそが、きくさんの尊い宝です。

苦労してきた きくさんだからこそ、見える世界があるのではないでしょうか?

自分が苦労した分、人の苦労にも気がつくでしょうし、

同じように我慢する人の辛さも理解できると思うのです。

そうなんです。ご自分のまわりにもし、辛さに耐えている人がいたら、
きくさんはその人に必要な声をかけ励まして上げる事ができるのです。 

娘さんも、きくさんを必要とする日が必ず来る事でしょう。

きくさん。あなたは大切な必要な人なのです。

どうか、それを自覚してご自分を大事になさって下さい。

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おきもち

個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

阿弥陀様は私を照らし続けておられます。

とてもお辛いことですね。
借金も鬱病も簡単に解決できるものではありません。
よくここに書いてくださいました。
ありがとうございます。

浄土真宗は、いのち尽きたその時に、阿弥陀様のおはたらきで、お浄土にて仏にならせて頂く宗教です。

人生は良きことばかりではありませんね。
生きていることが嫌になることもあります。
そして、いずれ死なねばなりません。

そんな私の苦しい人生を大きな光で照らして下さるのが阿弥陀様です。
私が拝まなくても、拝んでくれている仏様なのです。
「かならず救う、我にまかせよ」とおっしゃってくださいます。
私を必ず仏にならせてくださる仏様です。

死んで仏になるって言われても嬉しくない。
そう言われることが多いですが、よくよく聞いて欲しいのです。
仏になることが今決定しているのです。

例えば、大学受験を頑張っている高校生は、「あなたもう大学合格決まったよ」の言葉を待っています。
合格が決まった瞬間に救われます。
まだ大学生になってなくても、もう救われているのです。
ただただ高校生活を満喫するだけですね。

私の人生は仏になることが決まっています。
だからただただ人生を満喫するだけです。
それを喜べないのは、「仏」が何かを知らないからです。
「仏」を聞かせてもらうのが、仏法を聴聞するということです。

私の苦しみ全ての責任をとって下さるのが阿弥陀様です。
どうぞ、仏法をお聴聞してください。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

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