生きている内は苦しみだけなのですか?
心のままに打っているので失礼な文がございましたら申し訳ありません。
つい先程、私は父親を殺してしまうところでした。
と言っても現実には何もしていません。
朝から小さな事で叱られ、カッとしてしまいました。
父親に化粧道具を投げつけ、台所から包丁を取り出し何度も切りつける想像を何度も何度もしました。
でもその台所には父の朝食を作る母がいました。
いつも母を思うと何もできません。
寂しさと惨めな思いしかしない人生を終わらせたいと何度も思いました。
短気で傲慢な父親や職場の同僚を殺したいと何度も思いました。
でも何十年も短気で傲慢な父親や祖父母の介護に耐えて今の幸せな家庭を築いた母を思うと何もできないまま吐き出せないまま立ち尽くしてしまいます。
母を気にすることができる内はまだ余裕があるのかもしれません。
でもきっと母がいなかったら私は自殺しているか父親を殺していたと思います。
このままずっと苦しみや寂しさを味わいながら何の喜びも味わわないまま生きていかなければならないと思うとこの先の人生が苦痛でしかありません。
今は何も喜びと感じられないのです。
常に寂しさや苦しみが先行してしまうのです。
生きている内は修行だけですか?
死んだ先にだけ幸せ、極楽浄土があるのですか?
ほんのすこしのしあわせもないのでしょうか?
ほんのすこしでいいんです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一切皆苦
お釈迦様は一切皆苦と言われました。
あなたの言う通り、生きることは苦しみなのです。
しかし、お釈迦様やお弟子様達が説かれた仏教とは、その苦しみを無くす方法で、これを修行といいます。
決して苦しい思いをすることが修行ではありません。
ではどのような修行をすればいいのかというと、思い込みや妄想をできるだけ捨てる・止める練習です。
瞑想や坐禅、念仏がその例ですが、普段の生活の中でもできます。
例えば、あなたの家族の人間関係や歴史を知らないので間違っているかもしれませんが、お父さんは悪い人という思い込みを無くしてみましょう。
お父さんが悪人のように書かれていますが、
家族の為に良いことは何もしてこなかったのでしょうか?
何も頑張っていなかったのでしょうか?
生活費を稼いでいなかったのでしょうか?
子供の時にあなたと遊んでくれませんでしたか?
あなたが病気の時に心配してくれませんでしたか?
あなたの誕生日を祝ってくれませんでしたか?
あなたが間違ったことをしたら叱ってくれませんでしたか?
あなたのこれからを心配していませんか?
お父さんのことを悪い思い出だけでなく、良い事もしっかり思い出してください。
人というのは悪い思い出はいつまでも忘れませんが、良い思い出はすぐに忘れてしまうものなのです。
祖父母やお母さんについても、会社の同僚についても同じように考えてみてください。
偏った思い込みをしていませんか?
そして最後にあなた自身を思ってください。
このまま幸せになれないという思い込みを捨ててください。
その思い込みが苦しみを生むのです。
すぐにはできないでしょうが、思い出したら練習してくださいね。修行ですから。
なお、極楽浄土に行きたいのでしたら、南無阿弥陀仏と毎日お称えしましょう。
極楽浄土とは現世で悟りに至らなかった人が死後も引き続き修行して悟りを目指す修行の場であります。
遊ぶところではありませんよ。
遊びたい事があれば現世でしっかり遊んでくださいね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
そうです、もちろん父は悪い人ではないんです。
仕事も40年以上続けて、昔ながらの厳しい人間だとわかっているのです。
ただ父の短所ばかり遺伝してしまった自分を、そんな短所を持つ父をときどき恨めしく思ってしまうのです。
私のまわりに悪い人はいません。
すべて自分が至らないせいなのです。
それを人のせいにしてしまいたいのです。
まだ自分の思い込みを思い込みと理解することすらできません。
自分に自信がないばかりに優しくしてくれたり交流しようとしてくれる人に壁を作ってしまいます。
このままでは自分にとってよくないことは自覚しています。
何度も何度も最悪な事態を想像しても、頑張って考えないようにします。
極楽浄土とはそういう意味だったのですね。
勉強になりました、ありがとうございます。