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宗教に対するイメージについて

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

私は宗教に対していいイメージを抱きにくい人間です。

ニュースを見ていると宗教の悪い面が目に入ってくるので悪い印象をどうしても持ちがちになってしまいます。そしてなかなか中にはいい人もいるという印象も持ちにくくなります。例えば最近だったらイスラム過激派のテロであったり昔だったらオウムや霊感商法だったりでしょうか。

そういうこともあってかもし仮に私が大勢の前で「私は宗教をやっています」だとか「宗教のおかげで生活がよくなりました」と言ったら大半の人が「この人はカルト宗教に入っている」だとか「勧誘している」と思われる、そういった流れが容易に想像(たとえ誤解であったとしても)できてしまうのです。

別に宗教全般が憎いわけではないですが前述のような人を傷つけるような宗教は許せないですね。

どうすれば宗教のよい面に触れることができてなおかつカルトみたいな危ないものにはまっていないと周りに誤解されずにすむのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

伝統宗教には続いてきた理由があります。

誤解を恐れずに言えば、浄土真宗も昔はカルト宗教のようなものでした。
明治時代までは浄土真宗と名乗ることも許されなかったです。
しかし、親鸞聖人がお示しくださった教えは、何物にも変えられない魅力的なものでした。
だから、脈々と続き今は伝統教団として認知され、浄土真宗を新興宗教やカルト宗教という人はほぼいないと思います。

新興宗教やカルト宗教という類のものは、続かない理由があるのです。
それは教団によって様々ですが、単純に言えば魅力がないのです。

宗教の良い面を知りたいということであれば、やはり魅力的な宗教(伝統宗教)へ足を運ぶことです。
脈々と続いてきた宗教に触れてみましょう。
中でも仏教はずば抜けて素晴らしい宗教だと確信しています。
だから私は僧侶をしています。

私はいつも声を大にして言っています。
「私は仏教を信仰している信者です!仏教は素晴らしい!」と。
でもおそらくそんなに変人には見られません。
それは私が僧侶だからです。
僧侶になれば好き放題仏法を語れますよ。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

拙宗教考・2

取り柄がない様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「宗教」に関しましては、最近に下記問いにお答えさせて頂きました。

問い「宗教とは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017725553.html

宗教は、幸せや安心のための一つの方法論として、どう利用していくべきかを考えていくことが必要になります。

仏教の場合では、実践思想哲学的側面が強くありますので、実践しながら、納得して受け入れていくことが大切となります。納得できるかどうかは色々と学び試さつつ、随時合理的に検証なさられながらに修習されることをお勧めさせて頂きます。

破壊的カルトなど結果的に不幸になる、迷い苦しみになるような、そんな宗教はやめる、いらないと考えるのが妥当であるかと存じます。それはもちろん信教の自由の下における個々人の自由意思、それぞれの良識、良心にも委ねていくことになりますが、反社会性、犯罪性を帯びるような宗教、信教、信仰は当然に論外であり、厳しく排斥、淘汰されてしかるべきことになるでしょう。

さて、ここで、私が貴方様に対して私になって下さい、思想、信条、性格、癖、言動・・など私に全て合わせて下さい、と言われたらどう思うでしょうか?当然に無理でしょうし、嫌でしょう。逆もまた同じです。

それでもお互いにこの世界で過ごすことができているのは、違いは違いとして認め合って、互いに尊重し合い、時には衝突や喧嘩もしながらにも、バランス、折り合いをつけていけているからであります。

この世にて幸せに、円満に過ごすためには、支え合い、分かち合い、助け合いと共に上記のようなことも大切となります。

宗教や宗派、信仰の違いも同じことであり、違いは違いとして、別に無理に信仰や教義を同じくする必要は全くなく、違いがあることについて互いに尊重し合い、認め合うことがまず必要になります。その上で教義上での違いや方法論などについて議論、提言、意見、時に互いに諌言し合ったりもしながら、よりよい世界を目指して、人類、衆生の皆の幸せや安心、安楽のために資していくべきであるのではないかと考えております。

川口英俊 合掌

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お寺や霊場に…

四国八十八ヶ所をお参りして回るお遍路さんや、
お寺で行なわれる座禅会や瞑想会に出席している人に対して
周囲の方々は怪しい宗教にハマっているとは思わないと思います。

逆に仏教を銘打ってもどこかの会議室や集会所などで
宗派を明らかにしないで行なわれる集まりに熱心になり、
人にもやたらと進める人を周囲では
怪しいカルト宗教にハマったと思う事が多いのではないかと思います。

日本の伝統仏教の宗派では現在は
他宗派を謗ったり非難する事は稀だと思いますが、
カルト宗教では自分の宗教以外を責める事が多いようです。

ですから、カルトにハマっていると
周囲から思われずに安心して仏教を学ぶには
お寺の写経会や坐禅会や法話会に通われるのが
良いのではないかと思います。

本や理論だけでは仏教は学べません。
もし、触れてみたいのであればお寺を巡ってみてください。
ただし、いろいろなお寺があります。
少数のお寺だけで仏教を判断しないで頂ければ幸いです。

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仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

質問者からのお礼

皆様ご回答ありがとうございました。

私の家は浄土真宗なのですが浄土真宗が昔は苦労していたというのは知らなかったので驚きました。確かに伝統宗教のように長い間続いている宗教というのはそれだけ多くの人から信頼を得ないと続けることはできないわけですからまずはそこを起点に知るきっかけにするというのは良いかも知れませんね。

岩瀧山往生院六萬寺川口様

ご回答ありがとうございました。ブログの方も読みました。
今回ご回答とブログを読んで思ったことはどの宗教も信仰の対象は違えど最後に行き着く先は皆の幸せなのだなということでした。間違っても特定の誰かだけのことを考えているようではいけないなとも感じました。最後にいつか途中の道は違えど最後は皆が幸せになる道を宗派をこえて考えられるようになれたらいいなと思いました。

この質問をした後に偶然と言ってよいのかどうかは分かりませんがイスラム国が日本人を人質にとりました。そうなるとなおさら宗教の在り方とは何なのかを考えさせられるようになりました

「宗教について」問答一覧

宗教とは

祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。

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宗教、神道、スピリチュアル

今の世の中は情報で溢れています。 スマホって簡単にいろいろ調べることができて、情報で溢れかえっています。 心がツライときや精神的にしんどいときに、 精神的に弱く強くなりたいなぁ 傷つきやすい性格を変えたいなぁと思い、 検索魔になって検索すると、 あれやこれやいろいろ出てきて、 何が良くて何が悪いわけではないと理解していますが、情報が多すぎて、よくわからなくなってきます。 何がホントなのか?何を信じていいのか? きっと私意外にも藁をもすがる思いで、いろいろ検索する人もいると思います。 (確固たる宗教など崇拝してる方は、このような迷いはないかと思いますが…) 信じたいことだけ信じてればいいのでしょうか? 仏教的な目線は下記のことはどのように思われますか? 全ての出来事は引き寄せ? 出会う人や出来事は偶然?必然? 自分に起こる出来事は必ず必要? 乗り越えられない試練はない? 健康に問題があるときは暗示? 仏様にお願い?神様にお願い? 宇宙に任せる? 自分の胸にすーっと収まった言葉こそがご縁があり、その時に、ん?なんか腑に落ちないなって思う言葉は受け入れなければいいのでしょうか? そのような言葉でも後から受け入れるようになるかもしれませんが… 私自身、家に仏壇もあり仏教ですが、正直、意識するときはお墓まいりや法事の時だけです。ですが、今度はお墓があるお寺に仏教講座があるので、参加しようと思っています。 自分勝手な考え、散文、お許し下さい。 お手数お掛けします。よろしくお願い申し上げます。

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信仰ってなんだろう

私は、信仰するということの概念について悩んでいます。何故なら、私は、神様や仏様の存在を信じてはいるのですが、それは人間の心の内にある概念に過ぎず、形而下で捕捉できるものではないと思っており、この考え方が取っ払えない以上は心底から神仏を信仰することは叶わないのではという疑念を抱いているからです。 私がこのような考え方をもったきっかけは、遠藤周作さんによる著書「沈黙」を読んだことです。ご存知でない方に簡単にあらすじを説明しますと、キリスト教の弾圧があった江戸時代に、ある宣教師が拷問の末に棄教したという報を受けてその弟子が真相を求めて来日し、救いを求める弱い隠れキリシタンや彼らを拷問にかける大名と出会いながら、仏教との相違や絶対神の是非について考え、葛藤するというものです。 私がこの小説で衝撃を受けたのは、諸行無常の考えを礎とした仏教を信仰しているはずの大名が、キリシタンだというだけで農民の魔女狩りを行い、キリスト教の弾圧に執心していたことです。 宗教というのは、固まった思想を提示することで人々の心を安定させたり、民衆を統制させる側面があるとは思うのですが、劇中のように政の道具としての扱いにとどまったり、科学が普及した現在において金稼ぎのダシに成り下がってしまったりする宗教文化を多々見ると、もしかして心の底から神仏の存在を信仰することは最早なり得ないのではないか、という疑念を感じずにはいられません。 こうした疑念に輪をかけるのが、自然の脅威です。現在猛威を振るうコロナウイルスや、台風、地震などといった災害は、私たちにとっては害悪でしかなく、早期の収束や撲滅を願われるばかりですが、それらの現象は我々の嘆願とは関係なくただ事実として存在するのみであり、これらを既成の宗教概念によって説明するには限界が生じるのではないかと思います。それを考慮すると、我々に都合の良い神仏への疑念が益々助長されるばかりです。 私は、目的によっては多少の方便は許されても良いと思っていますが、神仏を本気で現実のものと信じている方々のことを考えるとどうしても後ろめたいものを感じます。こうしたことについて、僧侶の皆様はどう思われるのでしょうか。冒涜と思われるのでしょうか。それとも、これも信仰と思われるのでしょうか。 大変無礼な質問であると承知しておりますが、何卒宜しくお願いいたします。

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神を信じているはずなのに~相談します。

私は神の実在を信じています。でも、各宗教の説く信仰の世界になじめず、ひとりでさまよっています。 私の煩悩は「自殺したい」とか「神よ私を速やかに殺してください」と願うことです。 自殺すると仏教で言う「無間地獄」に堕ちると信じるので、具体的にはあの世で自殺霊・地縛霊になり、救われることはないと信じるため、怖くて実行できません。 そんな人生否定の感情や死後の恐怖から生きるとしたら、なんと消極的で暗い、マイナスの人生観・生活観でしょうか? 私は人生の初期に親から新興宗教の経典を読まされ、神棚の前に正座して「人生は苦悩なり」という経文を唱えさせられていたことが、そもそもの間違いの始まりだったのではないか?と思います。 小学生のころから「人生は苦悩なり」と権威をもって教え込まれるのではなく、夢や希望や「わくわくすること」を追いかけてがんばり、その夢をつかむよう教えられるべきだったのでは?と思います。 小中学校時代、その新興宗教の夏季合宿に必ず参加させられていました。 中学に進学したとき無意識に友達の前で「あ~死にたい!」と口にして嫌われました。そのころそんなことを言う子は一人もいませんでした。 高校時代は「自分は不幸だ」と友達に告げて「じゃあ、なぜ自殺しないのか?」と問われました。 大学時代、変な宗教に強引に勧誘され「早く過ぎ去れ、青春よ~!」という歌を歌わされました。 大学卒業後は自殺未遂をして精神科に入院することになり、絶望のどん底でした。 3年後、父の死をきっかけに退院して新聞配達や肖像画制作をしてがんばり、登山までするようになったのですが、15年ほどで体力が衰え、失職してひきこもりになり、医師の診断通り「統合失調症」ということを受け入れざるを得なくなりました。幻覚も妄想もない統合失調症患者もいるということですが、私もそのひとりなのだと思います。 症状は「疲れやすさ」「意欲の低下」「睡眠障害」の3つです。 神への信仰、医療に頼っていますが、仏教文化も私には必要で、多くの影響を色濃く受けています。「般若心経」「観音経」「白隠禅師和讃」を仏前であげることもあります。CD集『ひろさちやの感動するお経』全8巻も繰り返し聴いています。 障害年金で暮らし、身近に相談相手もいない私は母亡き後果たして生きて行けるのか心配と不安で夜も眠れないほど悩んでいます。

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キリスト教か仏教か。

いつも、相談にのっていただきありがとうございます。 ストレートで申し訳ないのですが、キリスト教を信仰するか、仏教を信仰するか、迷っています。 キリスト教の教会は10年ほど前ですが、通っていました。信仰告白もして、あとは洗礼を受けるだけ…という所までいったのですが、別れた主人が浄土真宗のお寺の孫でキリスト教なんてとんでもない!と激怒され、そこから疎遠になってしまいました。 仏教はお経を今、私なりの言葉でわかりやすく訳していて、お釈迦様や阿弥陀如来の智慧に向き合う度に泣くほど感動することもあって、とても心を惹かれています。 幸い、わからないことがあったら聞いてくださいねと言っていただける僧侶の方とも出会うことが出来て、何度か質問もしました。 その僧侶の方の人となりだと思うのですが、終始、仏様を信じられたらいいですね。と言ってくれます。 私は仏様を信じたいと思っていますし、お経から導かれたこのご縁を大事にしたいとも考えています。 ただ、どうしたらいいのかわからないのです。キリスト教の時は日曜日の礼拝から始まり、聖書の勉強会を定期的にすることで 信仰を深めて行くことが出来たのですが、仏教は敷居が高いと言うか、私の住んでいる地域では勉強会もないですし、法話会もこのご時世なのでやっていない所も多く、やっていても都合が合わなかったりでなかなか信仰が深められません。 そんな時にクリスチャンの友人からまた、教会に行かない?と誘われました。 私の気持ちは仏教に傾いているので、教会に行く気持ちはないのですが、正直揺らいでいるのも事実です。 どうしたら、今ご縁がある僧侶の方に仏教を信じたい!仏教の勉強がしたい!という私の気持ちが伝わるのでしょうか? 仏教の勉強が出来るサイトや学校みたいな所も見つけたのですが、お金がそこそこかかるようでカツカツで暮らしている今の現状では厳しく…。 内容が前後して申し訳ないのですが、ご縁があった僧侶の方には信じたいということも、もっと勉強したいということも伝えています。それでも、返ってくる言葉は「信じられたらいいですね〜」という感じで、最近は私と関わってしまったことを面倒臭く感じているのでは?と思うことしきりです。 長文駄文失礼しました。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 33
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