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宗教に対するイメージについて

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

私は宗教に対していいイメージを抱きにくい人間です。

ニュースを見ていると宗教の悪い面が目に入ってくるので悪い印象をどうしても持ちがちになってしまいます。そしてなかなか中にはいい人もいるという印象も持ちにくくなります。例えば最近だったらイスラム過激派のテロであったり昔だったらオウムや霊感商法だったりでしょうか。

そういうこともあってかもし仮に私が大勢の前で「私は宗教をやっています」だとか「宗教のおかげで生活がよくなりました」と言ったら大半の人が「この人はカルト宗教に入っている」だとか「勧誘している」と思われる、そういった流れが容易に想像(たとえ誤解であったとしても)できてしまうのです。

別に宗教全般が憎いわけではないですが前述のような人を傷つけるような宗教は許せないですね。

どうすれば宗教のよい面に触れることができてなおかつカルトみたいな危ないものにはまっていないと周りに誤解されずにすむのでしょうか?

2015年1月17日 23:40

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

伝統宗教には続いてきた理由があります。

誤解を恐れずに言えば、浄土真宗も昔はカルト宗教のようなものでした。
明治時代までは浄土真宗と名乗ることも許されなかったです。
しかし、親鸞聖人がお示しくださった教えは、何物にも変えられない魅力的なものでした。
だから、脈々と続き今は伝統教団として認知され、浄土真宗を新興宗教やカルト宗教という人はほぼいないと思います。

新興宗教やカルト宗教という類のものは、続かない理由があるのです。
それは教団によって様々ですが、単純に言えば魅力がないのです。

宗教の良い面を知りたいということであれば、やはり魅力的な宗教(伝統宗教)へ足を運ぶことです。
脈々と続いてきた宗教に触れてみましょう。
中でも仏教はずば抜けて素晴らしい宗教だと確信しています。
だから私は僧侶をしています。

私はいつも声を大にして言っています。
「私は仏教を信仰している信者です!仏教は素晴らしい!」と。
でもおそらくそんなに変人には見られません。
それは私が僧侶だからです。
僧侶になれば好き放題仏法を語れますよ。

2015年1月19日 0:08
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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

拙宗教考・2

取り柄がない様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「宗教」に関しましては、最近に下記問いにお答えさせて頂きました。

問い「宗教とは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017725553.html

宗教は、幸せや安心のための一つの方法論として、どう利用していくべきかを考えていくことが必要になります。

仏教の場合では、実践思想哲学的側面が強くありますので、実践しながら、納得して受け入れていくことが大切となります。納得できるかどうかは色々と学び試さつつ、随時合理的に検証なさられながらに修習されることをお勧めさせて頂きます。

破壊的カルトなど結果的に不幸になる、迷い苦しみになるような、そんな宗教はやめる、いらないと考えるのが妥当であるかと存じます。それはもちろん信教の自由の下における個々人の自由意思、それぞれの良識、良心にも委ねていくことになりますが、反社会性、犯罪性を帯びるような宗教、信教、信仰は当然に論外であり、厳しく排斥、淘汰されてしかるべきことになるでしょう。

さて、ここで、私が貴方様に対して私になって下さい、思想、信条、性格、癖、言動・・など私に全て合わせて下さい、と言われたらどう思うでしょうか?当然に無理でしょうし、嫌でしょう。逆もまた同じです。

それでもお互いにこの世界で過ごすことができているのは、違いは違いとして認め合って、互いに尊重し合い、時には衝突や喧嘩もしながらにも、バランス、折り合いをつけていけているからであります。

この世にて幸せに、円満に過ごすためには、支え合い、分かち合い、助け合いと共に上記のようなことも大切となります。

宗教や宗派、信仰の違いも同じことであり、違いは違いとして、別に無理に信仰や教義を同じくする必要は全くなく、違いがあることについて互いに尊重し合い、認め合うことがまず必要になります。その上で教義上での違いや方法論などについて議論、提言、意見、時に互いに諌言し合ったりもしながら、よりよい世界を目指して、人類、衆生の皆の幸せや安心、安楽のために資していくべきであるのではないかと考えております。

川口英俊 合掌

2015年1月19日 14:15
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有り難し
おきもち

お寺や霊場に…

四国八十八ヶ所をお参りして回るお遍路さんや、
お寺で行なわれる座禅会や瞑想会に出席している人に対して
周囲の方々は怪しい宗教にハマっているとは思わないと思います。

逆に仏教を銘打ってもどこかの会議室や集会所などで
宗派を明らかにしないで行なわれる集まりに熱心になり、
人にもやたらと進める人を周囲では
怪しいカルト宗教にハマったと思う事が多いのではないかと思います。

日本の伝統仏教の宗派では現在は
他宗派を謗ったり非難する事は稀だと思いますが、
カルト宗教では自分の宗教以外を責める事が多いようです。

ですから、カルトにハマっていると
周囲から思われずに安心して仏教を学ぶには
お寺の写経会や坐禅会や法話会に通われるのが
良いのではないかと思います。

本や理論だけでは仏教は学べません。
もし、触れてみたいのであればお寺を巡ってみてください。
ただし、いろいろなお寺があります。
少数のお寺だけで仏教を判断しないで頂ければ幸いです。

2015年1月18日 20:42
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有り難し
おきもち

仏道に入門して30年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

質問者からのお礼

皆様ご回答ありがとうございました。

私の家は浄土真宗なのですが浄土真宗が昔は苦労していたというのは知らなかったので驚きました。確かに伝統宗教のように長い間続いている宗教というのはそれだけ多くの人から信頼を得ないと続けることはできないわけですからまずはそこを起点に知るきっかけにするというのは良いかも知れませんね。

岩瀧山往生院六萬寺川口様

ご回答ありがとうございました。ブログの方も読みました。
今回ご回答とブログを読んで思ったことはどの宗教も信仰の対象は違えど最後に行き着く先は皆の幸せなのだなということでした。間違っても特定の誰かだけのことを考えているようではいけないなとも感じました。最後にいつか途中の道は違えど最後は皆が幸せになる道を宗派をこえて考えられるようになれたらいいなと思いました。

この質問をした後に偶然と言ってよいのかどうかは分かりませんがイスラム国が日本人を人質にとりました。そうなるとなおさら宗教の在り方とは何なのかを考えさせられるようになりました

「宗教について」問答一覧

神様に関する領域の石を持ち帰ってしまい

仏教とは異なる宗教のお話をしてしまい申し訳ございません。 もう半年以上前に、自宅から遠くの、日本でもない、神様に関する領域(わざと遠回りな言い方をさせていただいております)を観光で訪れた際、つい地面の石を持ち帰ってしまいました。その後、そういったことはするべきではないと知りました。その日から今日まで、私は良いことも好ましくないことも経験しましたが、決してその石が私を悪いようにしているとは考えておりません。しかし、石を持ち帰ったことは咎められるべきことだと知った今、私はその石とお別れしたく、その石には別の場所へ行っていただきたく考えております。 一番良いのは同じ場所にお戻しすることですが、現状どうしてもそれはできません。そこで、本日流水と太陽光でその石を清め、明日(どうしても日が沈む頃の時間になってしまいますが)家から行ける距離の海にお返ししようと考えているのですが、このやり方は実行しても大丈夫なのでしょうか。「大丈夫なのでしょうか」とはその行いのせいで災いが齎されることはありませんかという意味です。 宗派が異なることは承知の上ですが、どうかご回答をいただきたく存じます。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

他の宗教を学ぶという事

私は…スピリチュアル的な物(パワーストーンとか占い)にハマった→流行りの御朱印集めにハマった→神社とお寺の参拝にハマった(その過程で神様や仏様と摩可不思議過ぎるご縁を頂きました!)→現在、神道と仏教の知識(書籍やネットが主)を学んでいるといったプロセスを踏んでいる者ですが… そんな私が「イスラム教」や「キリスト教」など世界の宗教を“なんとなく書籍やネットで学んで”良いのか…“仏教のお坊さんに”教えて欲しいです 何でそんな事聞くかと言うと…うまく説明出来ないのですが “神道の神様や仏教の仏様”に「こいつ異国の宗教に浮気しやがったな!?」って思われたり「こいつが我々に抱く信仰心はこんなものなのか…」って思われないか…どうか ちなみに何故私が日本にあまり馴染み無い宗教を学ぼうと発想したかと言うと単に他国の神の考え方捉え方を知りたくなった…それと 【高次元の存在は確かに存在するのだろうが、仏教神道といった宗教という人間の作った1つ2つの枠組みには捉えきれないものであろう、より多くの宗教(高次元の存在の考え方)を学べば、より高次元の存在と近しくなれるのではないか?詳しくそれらの存在を定義が出来るのではないか?そもそもその宗教に高次元の存在はいるのか】と発想がふと浮かんだからです こういったある種の実験(?)または知識欲の充実を図りたいのですが…どのような結果が付きまとうのか不安なんです “影響されやすい自分”が新たな知識や信仰を得てどのように仏教と神道を見直すか、場合によってはどのような報い(天罰とか仏罰)を受けるのかとか… あまりこんな事言うべきじゃないと思うのですが宗教は教義の違いからともすれば互いを否定しがちですもんね 私はそもそもお坊さんではないし在家信者の定義にも当てはまらない只の“神道仏教ファン”に分類されると思うので失礼は承知なのですが… 恐らくお坊さんの中には私と同じ事を発想された方がいらっしゃるのでないかな?と もしかしたら私のようにビビってまごついてる前に実践された方もいらっしゃるのでないかな?と思って質問させてもらいました どうか回答お願いします

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

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