仏花について
はじめまして。
人生の悩みとかではありませんが、
私の家は、経済的に厳しく、裕福な家ではありません。仏壇のお花も無いことがほとんどです。お供えものも、ないときがほとんどです。
おばあちゃんの家に行くと、常に綺麗なお花が飾られていて、お供えもののお菓子もいつもあります。おばあちゃんが、いつも一生懸命朝に仏様にお水をあげたり、畑で育てたお花をあげたり、尽くしているからです。
母も毎日、お水は取り替えております。ごはんも毎日とまではいきませんが、ごはんを炊いた日はあげております。
しかし、おばあちゃん家と比べると、家は、仏壇が寂しくてごめんねという気持ちになります。
そこで、おばあちゃんを見習い、さすがに土壌が違うので、菊などは植えられませんでしたが、庭にちょっとしたお花を植えました。
最近になり、植えたカスミ草が小さいけれど、花を咲かせました。
また、季節柄、昔から庭にある紫陽花も綺麗に咲いています。
仏壇用のお花は高くて買えないから、せめて庭に咲いているお花をと思い、調べたところ、紫陽花などは、いろいろな花の魂が宿っているから、仏壇にお供えするのにはふさわしくないと知りました。
季節のお花でも、仏花としてふさわしくないお花など他にあるものでしょうか?
また、常にお花やお供えものがなくても良いものなのでしょうか?
また、お花は、朝、昼、夜、いつお供えしたら良いとかありますか?
ちなみに、おばあちゃんや母を見習い、私も、毎日仏壇に手を合わせるように心がけてはおりますが。
ご回答よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずは、そのお心が大切です。
おばあさまやお母様が、お仏壇にご給仕(お供え等)されている姿をご覧になり、自分もそのようにしよう。とても素晴らしい心がけです。
さて、裕福でないからお供えができない。たしかにそう思われるかもしれませんが、ご供養を受け取る側になってみれば、わが子や孫が、無理をしてまでもお供えものを要求するでしょうか。
お釈迦様が説法されている中で「貧者の一灯」というお話があります。
お釈迦様のお話をお聞きしようと、様々な方々が集まります。その時、皆さんがご供養として様々な品々をお持ちするのですが、ある老婆は、貧困で財産は何一つなく、ましてご供養するものなどありませんでした。
しかし、どうしても尊いお話しを聞きたいという一心で、自らの髪の毛を売り(女性にとっては大切なものです)わずかな油を購入し、その油で灯りを供養されます。
多くの灯りはが集まる中で、突如、大風が吹き、すべての灯りが消えたと思われた時、唯一その老婆の灯りだけが消えずに、しかもあるゆる方法を用いても消えなかった。ということです。
さつきさんも、尊き供養をされようという思いが一番大切なことではないでしょう。
どのようなお花がいいのか、お茶やお水、仏飯など、それぞれの宗派、風習、地域によって異なるかと思いますので、それに準じて頂ければと思いますが、まずは、そのお気持ち、お心が尊きことです。
自分で裕福になったと思われた時、大いにお供えご供養してください。
ご供養とはそのようなものだと思います。
仏花はお慈悲の心を
さつき様
釋 慧心と申します。
この度のお悩み、拝見させて頂きました。
このようなお作法やお給仕、荘厳(ショウゴン)(お飾りの意)のしきたりは、宗派による。という前置きがついてしまうこと、大変申し訳なく思います。
仏花につきましては、特にこれでなければいけないというものは御座いませんが、
毒があるとされる花や、トゲのある花などは、相応しくないと考えられています。
また、造花も相応しくないとしております。
仏さまへのお供えは、香り、香木を焚いて香りを立てます。
「清浄(しょうじょう)」と言いまして、我々の穢れを浄めると考えております。
古くは衛生状態の良くない時代が長くありましたので、娑婆の臭いや、体臭が仏さまの御前には相応しくないので浄めております。
代用として現代は、日常のお参りにはお線香を使用することが多いです。
また、お蝋燭、これはお灯明、我々の姿を照らして頂く仏さまの智慧の明かりを表すと考えております。
花は、仏さまの慈悲のお心を感じてください。
野花、季節の花、洋花、何でも結構です。
様々なご事情で、全て揃えて頂けないときは、お灯明だけ、お線香だけ、お花だけ、でも結構です。
何より大事なのは、私の心構え。
仏さまの御前に出させて頂くときは、出来ましたら、手を洗い、口をゆすぎ、身なりも整えて、お参りさせて頂きたいものです。
お供えの有無よりも、これだけでも十分なくらい大切なことです。
さつき様は既に、お供え物やお花の有無よりも、最も大切なお心をお持ち頂いていると思います。
追記
いけばなのルーツはこの仏花にございまして、
聖徳太子様や、親鸞聖人にもご縁の深い「紫雲山 頂法寺」、池坊(お流派の名称)が起源とされております。
ここのお坊様が観音様にお供えした仏花から、様々なお流派が枝分かれしておるとされております。
仏花の特徴としましては、基本的には正面から見る生けかたをするのが特徴と言えます。
仏さまにお供えするならば、仏さまの方に向けてお供えしても良さそうなものですが、
我々の方に向けてお供えしているのは、やはり、仏さまからのお慈悲の心を、私達が感じる為と言えるのではないでしょうか。
ご参考の一つにして頂けましたら幸いでございます。
質問者からのお礼
尊きご回答、ありがとうございました!
どんな花、どんなお供えものが良いかではなく、仏様を想う心が大事だということがよく分かりました。
どんな花が良いかなどにとらわれないで、仏様を想いながら、庭にある花を活けてみようと思います。
ありがたいお話、本当にありがとうございました。